<野崎一也>
夜明け前、野崎一也は、南の集落のはずれにある竹藪にいた。
少し前に定期放送があった。鬼塚教官によると、放送は最初は午前3時、次が午前6時に行われ、その後は6時間おきになるそうだ。
その死亡者リストに、幼馴染の生谷高志の名前があった。
渡辺沙織と遭遇したときに銃声を何度か聞いた。もしやと思い、音が聞こえてきた方角に見当を付けて南の集落を訪れ、血だまりを発見した。
血の痕を追い、ここまでやってきたのだが……。
目の前の惨状。
茂みの中、ひと組の男女が倒れていた。二人の制服は朱に染まっていた。むせかえるような血の匂いに隠れるようにして、硝煙の匂いも漂っている。
それぞれの顔には白いタオルが被せてあった。
支給物資の一つだ。一也のディバッグにも入っていた。
まずは、二人に手を合わせる。
次いで、女子生徒のタオルを先にめくった。
……佐藤理央だった。決して整ってはいなかったが、若く溌剌とした雰囲気だった彼女。その顔からは血の気が引いており、見る影もない。
また、目は閉じられていたが、涙を流した痕があった。
そして、男子生徒。
小柄で華奢な体躯。すでに変色が始まっていたが、もとが日に焼けた健康的な肌色であることは見て取れる。
制服の下に着込んだブルーのパーカー。
それが誰なのかは顔を確認しなくても予感で来ていたが、一縷の望みを捨てることができない。
タオルをめくる指先が震えている。
どっどと心臓のドラムが内側から胸を叩く。
やがて、「ああ……」一也は大きく息を吐き捨てた。
生谷高志だった。
頭部が半壊している酷い有様だったが、幼馴染の顔を見間違えるわけがない。やはりその瞳は閉じられていた。
「た、かし……」
切れ切れにその名前を呼ぶ。
地面に膝をつき、四つん這いになる。涙が零れ、嗚咽が漏れた。
恐ろしさは不思議に感じなかった。ただ、悲しかった。
その渦に巻き込まれながら、思う。
初めて自分の性志向に気付いたのは、いつのことだったか。
友達に見せてもらったヌード雑誌に何も感じなかったときだろうか? 若い教生に胸をときめかしたときだろうか?
とにかくいつの頃からか、一也は自分のことをどこかおかしいと感じていた。
同性愛者だったと認識するのは、それよりも少し後のことになる。
もちろん、同性愛に関する知識はあった。
……まさか、自分がそうだとは思わなかっただけだった。自分と同性愛を結びつける発想自体がなかっただけだった。
だから、自身が同性愛者であったことに気がついたときは、大きな衝撃を受けた。自覚するには、痛みと時間が必要だった。
「まさか。まさか、俺がヘンタイだったなんて!」
あのとき感じた震えは、今も一也の身体に刻み込まれたままだ。
それから一也は、自分が同性愛者だという事実を、徐々に徐々に飼いならしていくこととなる。
誰かを好きになる。
ああ、これは誰にも言っちゃいけないことなんだと想いを抑え込む。
相手に気取られないよう、自然に振る舞う。
友達と女の子の話をする、性に関する話をする。
「C組の北原って可愛くね?」
「……ああ、いいね。ああいう可愛い子は、俺も好きだなぁ」
「兄貴にさ、DVD貰ったんだ」
「……うそっ。今度、俺にも見せてよっ」
笑って、笑って。自然に、自然に。今の言動は『普通』か? 何か不自然なことを言ってはいないか? バレちゃ駄目だ。バレたら最後だ。友達は誰も話し掛けてくれなくなる。ウワサの的になる。親は泣くかもしれない。 そんなことになったら、耐えられるだろうか? ああ、生まれてこなきゃよかった……。
気を張り、偽り、負い目を感じ、擦り切れていく毎日。
そんな一也を救ってくれたのが、高志だった。
高志に最近変だぞと聞かれたとき、一也は「ああ、やっぱり」と思ったものだ。
彼とは幼馴染だ。
生まれた時からほとんど一緒にいたのだ。また、高志は単純に見えて勘が良かった。思い悩んでいた一也に気付かないはずがなかった。
声をかけられたときは、誤魔化して逃げた。
それからたっぷり一ヶ月、話すかどうか悩み抜いた。
高志にこそ、知られたくなかった。高志にだけは、嫌われたくなかった。
喧嘩ばかりしているけど、やっぱり大切な友人の、高志の見る目が変ってしまったら……。そう思うと怖くてたまらなかった。
高志に蔑まれたら、本当の意味で最後だ。そう思った。
一ヵ月後、意を決しカミングアウトしたのだが、高志は軽く笑って「やっぱ、お前って変ってるわ」と言い、それ以降も変ることなく接してきてくれた。
きっと、気持ち悪さは感じていたのだと思う。
一緒にいる時間が長かっただけ、それだけ、高志とは裸の付き合いが多かった。
キャンプに行く、海に行く、互いの家に泊まりに行く。高志は、その一つ一つを思い出し、気持ち悪さを感じたに違いない。変わりなく接するには、相当の犠牲、努力を払ってくれたに違いない。
一也は思う。
高志は、一度も俺を気持ち悪がらなかったか? 一度も俺との関係を続けることを怖がらなかったか? ……そんなわけがない。
一也が同性愛者だと周囲に露見したとき、その累が高志にまで及ぶ恐れがあった。いつも一緒にいる彼までもが同類だと見られる危険性は高かった。
人それぞれ。
そんな言葉の意味を中学三年生の皆は知っていたが、中学三年生だからこそ、残酷なからかいの元になるはずだった。
だけど、高志は変ることなく接してくれた。接しようと努めてくれた。
自らのセクシャリティに押しつぶされそうになっていた一也を救ってくれたのは、間違いなく高志だった。気恥ずかしく、面と向かってお礼など言ったことはないが、一也は彼に深く感謝していたものだ。
しかし、その高志はもうこの世にはいない。
「誰に」
涙で声が潰れる。
「一体、誰に」殺されたのか。
しかし、一也はすぐにその疑問を振り払った。
こうしている間にも誰かに襲われるのではないかという心配。死への恐怖。鮫島学や矢田啓太郎の身を案じる心、こんな状況に追い込んだ政府への怒り。それぞれも振り払った。
今はただ、悲しみに浸っていたかった。
高志を亡くした悲しみだけに身を沈めていたかった。
と、遠目に人影が見え、身体を強張らせた。どうやら、プログラムの現実は悲観に暮れることすら許してくれないらしい。
「あれは……」
いつの間にか夜は明け、竹藪の向こうに神社
が見える。
そして、境内へとあがる階段の上に、一人の男子生徒が立っていた。
制服の上着は脱いでおり、白いカッターシャツが朝陽に映えている。黒く艶のある髪、細面、一也よりも少し背の高いすらりとした中背。理知的な雰囲気。
それは、安東涼だった。
あちらも、一也の存在に気づいているようだった。どこか疲れたような表情。血の気が引き、青ざめている。数十秒、そのまま睨み合いを続けたが、安東はやがてぷいと顔を背け、どこかに立ち去って行った。
安東涼は、いつも教室の隅で本を読んでいる物静かな少年だ。
理知的で、他人を寄せつけない雰囲気。仲間内では鮫島学がそれなりに親しくしていたようだが、一也自身はあまり交流を持ったことがなかった。
彼のことはほとんど知らないが、孤児院育ちである話は聞いたことがある。
慈恵院というカトリック系の養護施設で、全国各地にある。
施設云々は、このご時世とくに珍しい話ではない。クラスでは確か、素行の悪い木多
ミノル(新出)も同じ施設で暮らしているはずだった。
問題は涼がゲームに積極的に乗っているか否か、彼が高志を殺したか否かだが、正直なところ分からない。
立ち去ったのは、乗っていたとしても距離がありすぎると判断されたのか、それとも迂回して襲ってくるつもりなのか……。
とにかく、即この場を移動する必要はあった。
現実に引き戻される。
朝陽が角島の闇を駆逐していく。一也がいる竹藪も、次第に光を得始めていた。明るく、温かな世界。しかし、プログラムであることは変わらなかった。
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