OBR1 −変化−


007 2011年10月01日02時00分 


生谷いくたに高志> 


「佐藤! 大丈夫か!」
 崩れ落ちそうになる理央を支えながら、高志は叫んだ。
 そう言う高志もまた、左足のふくらはぎに鈍い痛みを感じている。
 足元を見る。ぼたぼたと二人の血が地面に落ち続けていた。
 また連続した銃声がしたが、3メートルほど離れた位置で木塀が砕けただけだった。見当をつけ、襲撃されたらしき方角を見ると、木製の電信柱の影に誰かが隠れるのが見えた。反撃に備え、隠れつつ攻撃しているのだろう。
 高志の状況認識は正確で、なおかつ素早かった。
 襲撃者が隠れながら撃ってくるのは、高志たちが所持している武器を把握されていないことの証だ。
 把握されていたら、遠慮なく撃ってくるはずだった。
 高志自身の支給武器はヌンチャクだ。そして理央はカッターナイフだろう。銃などを持っていれば、先ほど使ったはずだ。

 撃たれた足の痛みに顔をしかめながら高志は叫ぶ。
「俺たちには、やる気はない!」
 この言葉には、額面通り争う気はないことを伝えるという意図もあったが、「反撃できないんじゃなくて、やる気がないだけだ」と見せかける意図を重視したものだった。
 続いて、自分の背丈と理央の背丈を計る。
「走れるか? 俺の背と力じゃお前を背負って逃げることが出来ないっ」
 話し掛けられた理央が、痛みに顔をしかめながら頷く。
 長身の彼女は、右の太ももから血を吹かせていた。みるみるうちに真っ赤に染まっていく理央の脚、すでにスニーカーまでもが血に濡れている。
 高志は理央の肩を抱き、半ば引きずるようにして駆けだした。
 むかうは集落の外。襲撃者が隠れていると思われる方向の逆だ。

 重なる銃声、今度はかなり離れた場所に連着し土ぼこりが舞った。
 マシンガンか何かだろう。
 そんな強力な武器も支給されているのか。政府の意地の悪さを呪いながら駆けているうちに集落の外に出ていた。
 アスファルトで舗装された農道を踏みしめる。
 月夜に、10メートルほどの幅を持った川が見え、さらにその向こうに竹薮 が見えた。
 あそこなら身を隠せるだろう。
 橋を探している余裕などなかったので、土手を駆け、ざざざと音を立てながら川の中を駆けた。幸いにして浅く、膝が濡れる程度の深さだった。
 懐中電灯の明かりが揺れる。
 流れ落ちる二人の血に紅く染まる水面。銃声とともに水面が跳ねた。川を越え反対側の土手を駆け上り、竹薮に分け入る。
 数メートル進んだ所で、一番濃いと思われる茂みの中に飛び込み、身を隠した。
 
 高志のそばで乱れる息。見ると、理央が青ざめた顔で座り込んでいた。
「大丈夫、か?」
 高志の問いに理央は答えなかった。
 ここで高志は気づく。理央が撃たれたのは太ももだけかと思っていたが、その腰の辺りからも血が流れ出ている。茂みの下生えにどす黒い血溜まりが広がりつつあった。
 ……よくこれで走れたものだ。
 無理をしてでも背負えばよかったと後悔し表情を失う。
 上着を脱ぎ理央の傷の上においたが、絶望的に早いスピードで上着の布地が血に濡れていく。理央の息も次第にか細くなっていった。
 高志の背筋に何か冷たいものが走る。目前で命が、クラスメイトの命が失われていく瞬間だった。
「お、おいっ」
 ほほを軽く叩くと、理央は力なく瞳を開いた。高志の姿を認め、薄く笑う。
「ごめん、私、やっぱ尾田のこと、嫌い……」
 何を言っているんだ、と思った。
 こんなときに、何を。
「そんな、こと、今どうでもいい! ……どうでもいいから! も、話さなくていいから!」

 連撃音。隠れていた茂みが揺れ、切れた草端と共に土ぼこりが舞い、高志の身体がくるりと回った。赤い色の何かが飛沫する。
 腹部に熱い感触が走り、同時に引きちぎられるような痛みが高志を襲った。
 倒れた先には、座り込んでいたいたはずの理央の横顔があった。
 彼女の瞳はうつろに見開かれたままで、泥と血と泪に濡れ汚れている。
 このとき、高志は馬鹿げたことを思った。
「おい佐藤、そんなで、目、痛くないのか?」
 痛む身体に顔をしかめながら、声すらかける。
 そして、一瞬の間をあけて理央の死を理解した。
 あまりにも理不尽な、クラスメイトの死。
 
 狂おしいほどの痛みの中、何か切ないようなものを感じた。 
 遅れて自分の感情の意味を知る。
 その理由はつかめなかったが、自分がどうしようもないような孤独感、寂しさを感じていることは分かった。この世でたった一人、そんな気がした。 
「お願いだから……。お願いだからっつ。俺を一人にしないでくれ!」
 懇願し、座り込んだ体勢のまま理央の身体を抱きかかえる。
 理央の身体からはすでに力は抜けており、そこに大事なものが詰まっていないという事実が流れ込んでくる。
 ぼろぼろと泪がこぼれ落ちた。
 日頃の彼からは想像もつかないような気弱さ。しかしそれは確かに、高志の感情だった。

 
 ふと、幼なじみの野崎一也のことを思った。
「一也……」
 両親のことも、大好きな尾田陽菜のことも、日頃親しくしている鮫島学や矢田啓太郎のことも思い出したが、ここで強く思うのは一也のことだった。
 家が近く、親同士が親しかった。
 神経質な一也と万事に大雑把な高志。喧嘩はよくしたが、不思議に気もあった。
「俺さ……」
 唐突に、脳内に響く一也の言葉。
「俺さ、ヘンタイだった。……男が好きみたいなんだ」
 一也から自身が同性愛者だったことを明かされたとき。あのときは本当に驚いた。
 彼にはナヨナヨしたところはなかったし、それまでは普通に女の子の話なんかもしていたからだ。
 その疑問を口にした高志に一也は「女の子の格好をしたいとは全然思わないけど、男が好きみたいなんだ。女の子が好きな振りをしていないと仲間外れにされそうで怖いんだ」と返してきた。
 痛みを伴ったに違いない一也の告白だったが、このとき高志は気持ち悪さを感じたものだ。
 こいつと一緒にいたくない、そう思ってしまっていた。
 幼なじみの彼らは、文字通りの裸の付き合いが多かった。
 親同士が親しかったこともあって、よく両家で旅行に行った。
 互いの家に遊びに行ってそのまま泊まることもあった。一緒に風呂に入る。海に行く。体育の着替え。その時々に、高志が女の子を思うのと同じような感覚で、一也が自分の裸を見ていたのかと思うと、気持ち悪くて気持ち悪くてたまらなかった。

 そう思ったにもかかわらず親交を続けたのは、それまでの付き合いが至極良好だったからだろう。どんな事情を抱えていても、一也は一也だと思い直すことが出来たからだろう。
 高志は、幼なじみが同性愛者であることにゆっくりと慣れていった。
 その過程では相当の無理もした。
 いっそ友達付き合いをやめたい、そうも思った。
 ……俺がこいつの秘密を握っているんだ。俺が秘密をばらせばこいつはお終いなんだ。
 今思えば、嫌らしい優越感にかられたときもあった……。


 誰かが竹藪を進む足音が高志の耳に届く。
 どきりと心拍が上がった。
 こちらが銃を持っていないことはすでに襲撃者に知れたのだろう。持っていればこれまでに反撃の一つもしている。
 抱きかかえていた理央の亡き骸をそっと地面に寝かせた後、節くれだった竹の幹に手をかけ立ち上がる。
 腹部の傷は幸い致命傷には至らなかったようだが、狂おしいほどの痛みが走りつづけていたし、時間をおかず出血多量で死ぬことは目に見えている。
 せめて、誰に殺されるのかだけは見届けておきたかった。
 やがて目の前の茂みが掻き分けられ、一人の男子生徒が姿を現した。
 睨みつける高志の視線に気おされながらもマシンガンの銃口を向けた生徒は、安東涼 だ。
 センターで分けられた黒い艶髪に、黒目勝ちな瞳。
 いつもは大人びた表情を浮かべている細面には、さすがに緊張感が見えた。
 寡黙な男で、普段の教室では一人で過ごしていた。何を考えているのか分からないところもあったが、クラスで孤立していることもなく、独自のポジションを築けていた。仲間内では鮫島学が多少なりとも交流していたはずだ。
 
 なんで!

 ほとばしる高志の感情、疑問。
 いつしか声に出ていた。
「なんで! なんで、俺たちが殺しあう必要がある!」
 叫ぶと、口から飛び出た霧のような血が舞った。
 涼は、高志の疑問に答えなかった。何も言わず引き金を引く。
 オートマチック拳銃を大きくして後部を厚く引き伸ばしたような形状の銃、マイクロ・ウージーサブマシンガンから銃弾が吐き出されるその瞬間、高志は再び一也のことを思った。
 一也。
 ごめん、俺、謝りたかった。一也のことを気持ち悪いと感じたことを謝りたかった。俺は謝りたかったんだ……。

 吐き出された弾丸は高志の心臓を掠め、喉下を砕き、眼窩を抉り、頭蓋を破壊し、脳漿のうしょう をぶちまける。着弾の振動に高志の身体はいびつに揺れ、仰け反るような体勢で理央の亡き骸の上に倒れこんだ。
 どう、とくぐもった音が立ったが、すでに高志からあらゆる感覚は抜け落ちており、その音は彼の耳元には届かなかった。



−佐藤理央・生谷高志死亡 29/32− 


<安東涼>

 安東涼 は銃撃の反動に崩れた体勢を戻すと、踵を返した。
 そのまま立ち去ろうとしたが、ふと立ち止まる。
 少しの間を空けて、涼は二人のそばに膝を突き、遺体を整えはじめた。顔色は蒼白で、その手元は小刻みに震えている。
 それぞれの眼を閉じてやり、胸の前で両手を組ませた。
 高志の身体は、特に損傷が激しかった。なんとか手だけは組ませ、上着を掛け白いタオルを顔に乗せた。流れ出る血が布地を赤く染める。
 そして、二人の亡骸に手を合わせる。
 30秒ほどそのままでいただろうか、やがて頭を上げ、小さく声を落とした。
「すまない」
 その拍子、涼の黒い瞳から、一筋の涙が零れて落ちた。



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生谷高志
一也の幼馴染。尾田陽菜のことを好いていた。