OBR1 −変化−


079 2011年10月02日08時30分 


<小島昴> 


 少しずつ離れていく安東涼の背中。両側を茂みに囲われた小道を歩いている。
 その後ろ姿を見ていると、胸が沸き立った。
「ちくしょう!」
 は憤怒の感情に身をゆだね、藪から飛び出した。
 握りしめたサムライエッジのグリップに力を込める。そして、引き金を二度引いた。
 確かな反動とともに、涼の右の腿裏にばっと赤い血が散る。
 安東涼が潰れた悲鳴をあげ、振り返る。
 その顔を狙い、 さらに一撃。しかし今度は外した。
 外したことでまた怒りが増す。
 そのまま彼に飛びかかった。
 地面を二人して転がる。小柄な昴だが、涼とて決して恵まれた体格ではない。簡単に組み敷くことができた。
 土と血が舞う。
 勢いそのまま、銃を握り締めたまま涼の顔を殴りつける。
 一発では収まらず、何度も何度も。
 拳をふるいながら、「何やってンだろ、俺」昴はどこか冷静でもあった。銃を持っていながらどうしてわざわざ殴打を選ぶのか。不合理だった。
 だけど、止まらない。

 地面を背にした涼の顔が、見る見るうちに腫れ上がっていく。持っていた銃はどこかに飛んでしまっていた。
 まぁ結局素手で殴っているのだから、同じことだ。
 一度手を休め、ぜいぜいと肩で息をする。殴った側の昴にもダメージはあり、拳が割れ、血が滲んでいた。
 あおむけに倒れる涼にまたがった体勢。涼もまた息を乱していた。 
 と、ぐわんと後頭部に衝撃を受けた。間髪置かず、激しい痛みに襲われる。
「なっ」
 左手で頭に触れると濡れた感触が走る。手のひらをみると「血……?」赤い液体がべっとりとついていた。
 きっと振り返る。
 背後には、大きな石を両手で抱えた矢田啓太郎が立っていた。
 石の重量に負け、両腕が垂れている。
「あぁ?」
 睨みつけると、啓太郎は気圧されたような顔をした。
 彼が持つ石の角が赤く染まっていた。啓太郎が石を両手で振り上げ、殴りつけてきたのだと知れる。
 涼の付属品としか見ていなかったので、すっかり油断していた。
 

 重みに耐えられなくなったのか、長身の彼が石を地面に落とし、ごとっと鈍い音が響く。
 これを合図とし昴は立ち上がった。
 今度は啓太郎に殴りかかろうとしたところで、「あ、銃」彼がポケットから拳銃を取り出した。どうやら彼も銃の存在を忘れていたらしい。
 ずいぶんと締まらない戦闘だ。
 だけど、命のやり取りには変わりはない。
「ああっ」
 啓太郎に飛びかかる。
 同時に、がんと鈍重な音がし、わき腹に衝撃。くるりと身体が舞った。啓太郎に撃たれたのだ。
 あおむけに倒れる。
 折り重なった枝葉の向こうに、曇り空が見えた。
 今にも雨が滴り落ちてきそうな深い灰色の空だった。
 
 一瞬の間の後、「ちくしょっ」繰り返す。
「何、助けられてンだよっ」
 顔の向きを変え、安東涼を見やる。
 彼は膝をつき、四つん這いになっていた。
 上げた顔は、打撲で赤黒くはれ上がりひどい状態だ。瞼が重そうだ。
 涼が唾液交じりの血を吐き出し、「また、助けられちまったな」啓太郎に声をかける。
「あ、うん……。でも、ああっ、どうしよう」
 啓太郎の惑い声。
 ……また?
 少なくとも二度、安東涼は矢田啓太郎に助けられているということか。
 普段の学校で、孤独を恐れない彼に畏怖に近い憧れを感じていた。
 きっとプログラムにおいても安東涼は変わらない。一人でプログラムを冷酷に生き延びる、狩る側の人間だ。そう思っていた。
 なのに、安東涼は誰かに寄りかかり、守られ、生きている。
 しかもそれが『オヒトヨシ』であることに、苛立ちを覚える。

「大丈夫だ、最終的に筒井を殺したのは俺だ。お前じゃない」
 次いだ涼の台詞にはっとする。
 では、襲撃者の命を奪ったのは涼ということだ。
 これは、『彼らしい』。昴の思う、彼の姿だった。
 しかし違和感。
 考えるまでもなく、その正体は知れる。
 それは、彼の台詞が啓太郎を気遣って発せられたということだ。
 涼は啓太郎の罪の意識を軽くしようとしている。
 なんだよ、それっ。
 怒気とともに起き上がろうとしたら、身体が動かなかった。手足の自由が利かない。
 どうやら、どこか重要な器官か神経を損ねたらしい。瞼が落ち、再びあけることができなくなる。
 痛みも感じない。……それは、とても不味いことなのだろう。

 詰まる所、涼にはもっと冷酷であってほしかった。血も涙もない殺人者であってほしかった。強くあってほしかった。
 たしかに涼は殺人者だ。
 昴の望み通り、少なくとも一人は手にかけている。
 だけど彼は血の通った人間だった。迷い、他人を気遣う、ただの少年だった。痛々しさすら感じる。
 閉じられた暗闇の中、「小島を殺すのも、俺だ」涼の声が耳に届いた。
 殺される恐怖よりも、その言葉の意味が気になった。
 安東の奴、また矢田を気遣ってやがる。ああ、なんだよ、安東……。
 寂しいような侘しいような、羨ましいような気持ち。
 空気の抜ける音が聞こえた気がした。数拍おいて、憤激が身体から抜けて行ったのだ分かる。

 涼は普段一人だった。
 昴も一人だった。
 涼はプログラムを経て、他者との繋がりを持った。
 昴は持てなかった。
 その差はどこから来たのだろう。



 と、「啓太郎、何、やってんだ?」誰かの戸惑い声がした。
 男子生徒だ。
 授業中以外は教室にいない昴のこと、誰の声かは分からなかったが、「一也……」矢田啓太郎が彼の名を呼ぶ。

 野崎一也か。
 目立たない地味な生徒だが、女子生徒とちゃらちゃらするような軽薄なタイプではないので、印象はそれほど悪くなかった。
 ただ、一度、妙な場面を見た。
 数ヶ月前、放課後一度家に帰ってから宿題に使うテキストを忘れたことを思い出し、暮れなずむ教室に戻ったことがあった。
 そのときに、一人教室で立ち尽くしている彼を見たのだ。
 一也は切なそうに目を瞑っていた。
 昴にはすぐに気づき、取り繕っていたが、明らかに動揺していた。
 まぁ、彼なりに悩みはあるのだろう。
 友人は多いようだから、その人間関係に起因するものかもしれない。
 彼との会話の材料になるかと思ったが、人とのコミュニケーションが苦手な昴のこと、教室から出ていくその後ろ姿に、声はかけられなかった。
 
 
 藪をかき分ける音が近くなる。見えはしないが、野崎一也が一歩足を進めたのだろう。
「違う」
「違うって、撃ってたじゃないか」とが めるような台詞。
「ち、違うんだ」
「どういうことだよっ。お前、プログラムに乗ってるのか?」
 今度は責め立てるような声色だった。
「違う、違うよっ」
 啓太郎は否定を続ける。

 しかし「尾田陽菜」一也の尖った声が被せてくる。
「え?」
「診療所で、尾田と筒井の死体を見つけた」
「あれは……」
「丹波議員の事務所じゃ、西沢海斗だ!」次第にボリュームアップしていく野崎一也の声。怒声といってもいいだろう。
「やったのか? お前、あいつらをやったのか? 馬鹿なことをっ」
「そ、んな……」
「会えたのに。やっと、会えたのに……」
 話も姿も見えないが、一也が困惑しているのがよく分かる。 
 どうやら、矢田啓太郎の足跡を追っているうちに何人かの亡骸を発見したらしい。

「ち、違うっ」
 矢田啓太郎が叫び、そのあと誰かが駆けていく音がした。啓太郎が野崎一也の追求から逃げたのだ。
「矢田っ」
 これを安東涼が追ったようだ。
「啓太郎、なんで……」
 ややあって、取り残された一也の力無い声。
 そして、少しの間をあけて、違う誰かの声がした。
「馬鹿は、お前だよ」
 掠れた声だったが、女子生徒だった。
「羽村……?」
 一也がその女子生徒の名前を呼ぶ。「馬鹿はお前だ」彼女が強く繰り返した。
 羽村京子か。
 京子は多くは語らなかったが、言いたいことは分かった。
 そして、昴も同じ意見だった。
 仮に矢田啓太郎が尾田陽菜らを殺したのだとして。
 だから何だというのだろう。
 昴には、啓太郎が罪を犯したのだとは思えなかった。
 野崎一也は「やっと会えたのに」と言っていた。矢田啓太郎との再会を望んでいたということだろう。
 ならば、プログラムを生き抜いてきた彼をたたえるべきだ。
 たとえ、その過程で誰かを踏み台にしてきたとしても、だ。

 
 ややあって、矢田とともに安東涼がいなくなったことに気付く。
 涼は止めも刺さないで行ってしまった。
 ここで、昴に恐ろしい考えが落ちてきた。
 ……俺だからか?
 取るに足りない俺だからか?
 俺の存在なんて、もう、頭の中から消えちまったのか? 止めを刺す価値すらないのか?
「ああ……」
 怒りの感情は消え、力なく声帯を震わせる。
 現状が己の存在感の無さに起因するのならば、なんて情けないことだろう。 

 数拍の間のあと、「……分かってるよ、馬鹿なのは、俺だって」野崎一也が暗い声を落としてくる。
 追って、野崎一也が立ち去っていく足音が聞こえた。
 どうやら矢田啓太郎とは逆方向に歩いて行くようだ。
「悪い、言い過ぎた」
 羽村京子も消える。



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小島昴 
地味で目立たなかった。藤谷龍二の万引き現場を目撃し、以来彼をゆすっていたらしい。龍二、木沢希美、中村靖史を殺害。一人ぼっちを恐れない安東涼にあこがれていた。