OBR1 −変化−


076 2011年10月02日07時00分 


<鮫島学> 


 長い話になった。
 国生がペンを床におき、手をぶらぶらと振り、凝りをとる。盗聴を懸念し筆談となったので、文字を書きすぎて手が痛くなったのだろう。
 ……歴史の波、か。
 書かれた文字をなぞりながら、鮫島学はふっと息を吐いた。
 二人は北の集落にいた。
 その中ほどにある一軒家、まだ新築で、床に敷かれたカーペットも真新しい。北の集落は割合に開けており、家屋も近代的な作りのものが多かった。
 今いるのは二階にある一室だ。
 八畳間ほどの広さだろうか、ベッドが大部分を占めていた。
 ベッドに背もたれ、二人してあぐらをかいて座っている。
 床はカーペットに覆われており、部屋の二面は背の高い本棚がしめていた。重厚な木のデスクの上には、ノートパソコン。
 部屋の主には絵の趣味があったらしく、スケッチブックや油彩絵の具のセットなどがあり、筆談はスケッチブックを用いて行っていた。
 部屋の隅にはゴルフクラブ。これは他の家で拝借した。その際、包丁も台所から取ってきており、まずまず武装はできていると言える。
 
 国生がプログラム担当官の息子であると知っていると伝えたとき、彼は恥いるような、すまなそうな顔をした。
 体制側、プログラム執行側の父を持っていることに対してどのような思いでいたのかは、それだけで十分に分かった。
 あまりに辛そうにしていたので、話を中川典子に変えたものだ。
 寝言で「ノリコ」と呟いたこと、その「ノリコ」が中川典子ではないかと考えていることなどを伝えたところ、今度は国生は頬を染めて返した。
 こと恋愛話に疎い学でもはっきりと分かる反応だった。
 文字で書くのが面倒だったので、「あいつのこと、好きなのか」と口に出し、スケッチブックに『中川典子』と書いたところ、「……最初はね、なんだか可愛い人だな程度だったんだけどね。だんだんと、そうなってた。もちろん片思いだけどね」照れくさそうに、そう言っていた。
 
 中川典子と接点があったことは、国生から先ほど知らされた。
 学は例の脱出事件の担当教官と同じ坂持性であることから興味を持ち、調べたため、ある程度の予備知識はあった。
 しかし、坂持金発の息子と中川典子が知り合っていたとは思ってもみなかった。
 国生によると、最近は中川典子が所属している反政府組織にも関わっているそうだ。
 ただ、反政府、反プログラムとは言っても、かつて西陣藤永を暗殺した組織ほどテロ寄りではないようだ。
 また反プログラムも掲げてはいるものの、大義ではない。
 国民に自由を……凡庸といえば凡庸ではある。
 国生は、後方支援を担当しているとのこと。
 木多ミノルに襲われた際に国生の応急処置を受け、その手際のよさに驚かされた。
 救護術は組織で学んだらしい。彼はそれを『これが僕の役割なんだ』と少し誇らしげに、丁寧な筆致で書いていた。
 国生は生まれつき内臓を悪くしており、身体が弱い。
 医師に運動を止められているらしいが、いつも筋力トレーニングを欠かしていなかった。体質もあって、その成果は芳しくないようだったが、努力は重ねていた。
 後方支援を担う者でも一定の体力は必要であろうことは、部外者の学でも容易に想像がつく。
 だから国生は体を鍛えていたのかと、今更のように納得する。
 それは、彼の言う『役割』を果たすためだろう。
 歴史の波の一部となるためだろう。
 反政府組織に関わることが正しいかどうかは別として、彼なりに思う役割を全うするために、備えてきたのだ。
 国生はその役割の中で、プログラム担当官の血統であることを贖罪しようとしている。
 
 ……大人なんだな。
 そう、思った。
 父親の罪など自分とは関係ないと素知らぬ顔でいられるだろうに、坂持国生は真正面から向き合い、苦しんでいる。模索し、覚悟し、前を向き、歩いている。
 残された足跡は深い。

 ……自分はどうなんだろう。
 追って、思った。
 備えという意味では、生き残るために、プログラムには備えてきた。
 国生と同じように身体を鍛え、射撃場にも通っていた。
 人を殺す覚悟もしていた。
 果たして、プログラム早々に香川美千留を殺すことはできた。
 だけどそれは彼女が油断しきっていたからだ。その後、木多ミノルに襲われたときは恐怖に足がすくんだ。国生に助けられなかったら、命はなかったのかもしれない。
 覚悟が足りなかったのだろうし、そもそもその覚悟は政府に敷かれたプログラムという檻の中のものでしかなかった。
 比べて、国生の覚悟は科せられた檻を突破しようもがくためのものだ。
 それは、決定的な違いのように感じる。 

 遅れて、なんだか恥ずかしくなった。
 学力は常にトップクラス。運動神経がよく、身体も鍛えればきちんと成果が出た。
 恵まれた資質、万事に有能。
 それは過剰な自信につながり、一段高いところから周囲を見る癖がついてしまった。
「鮫島は偉そうだ」
「何さまのつもりだ」
 昔から陰でそう言われていることは知っていたが、負け犬の遠吠えと相手にはしていなかった。野崎一也と親しくなってその傾向に変化は出てきていたが、ずけずけと物をいう癖は変わらなかった。
 これまでも積極的に周囲を馬鹿にしていたつもりはない。
 しかし、有能である自分が不遜な態度をとるのは自然なことだと頭の隅では考えていた。
 国生に関してもそうだ。
 彼は役割を果たすために身体を鍛えようと日々努力していたのに、「無駄なことはやめろ」と高慢に、無遠慮に言い放っていた。
 彼が無茶をしないように気遣っていた心理がなかったわけではないが、今となっては、それがとても恥ずかしいことのように感じる。

「……悪かったな」
 口を衝いて出る言葉。
「え? なにが?」
 国生はきょとんとしているが、「悪かった」繰り返さずにはいられなかった。
 そして、考える。
 ……自分にできることはないだろうか。
 木多ミノルに襲われ、国生に救われたときから考えているのだが、うまくまとまらない。
 しかし、何気なく目の前の友人を見やったところで、反政府運動に関わっていると知った彼を見やったところで、「ああ、そうか」呟く。
 頭の隅にひらめくものがあった。
 
 視線を下げ、自身の携帯電話を見つめる。
 海外製の最新機種で、携帯電話というよりは小型のパソコンに近い性能がある。
 もちろん鎖国状態の大東亜共和国のこと、外国製品は規制対象だが、ひそかに個人輸入した。 
 見上げれば、デスク上のノートパソコン。
 回線に関しては、プログラム会場内は大東亜ネットの通信システムをローカル適用しているだけのようだ。
 大東亜ネットとは、大東亜共和国の情報通信ネットワークのことで、国内だけに限定されたイントラネットだ。しかし、世界各地に繋ぐこと自体は技術的には可能で、限定された行政機関や業者は監視つきで許可されていた。
 一般人が使う回線はもちろん遮断されている。
 しかし、技術と知識のある者には、ネット上に敷かれた包囲網の突破は容易だった。
 学もその方面に強く、違法アクセスはお手の物だ。
 ただ、その咎で思想統制院送りになった。
 まぁ、それが縁で、同じく院送りの経験のある野崎一也と親しくなり、彼を足がかりに坂持国生や生谷高志といった友人を得ることができたので、結果としてはよかったのだが。

 通信許可時間であるなら、作戦本部に知られることなく島外に通信する自信はあった。
 許可時間以外でもやろうと思えばできなくもないが、学程度の技術では補足から逃れるのは難しい。
 考えているうちに、このプログラム前に見た動画を思い出した。
 プログラム中の生徒が、その様子を携帯電話で撮影したもののようだった。
 あの動画が本物なら、彼も障壁を突破する技術を持っていたということだ。
 だけど、すぐに露見してしまい、首輪は爆破されていた。 
 安全策を取るのならば、次の許可時間を待つほうがいいだろう。
 ……そう、学は島外への通信を試みるつもりだった。
 通信先として考えているのは、坂持国生が関与していた反政府組織。
 彼らに助けを求められないだろうか。思う。
 構成員である国生が助けを求める形にすれば、彼らを動かせるかもしれない。
 ただ、現実主義の学のこと、救出される目がとても小さいことは十分に分かっていた。
 だけど、やらなければ確率はゼロだ。

「よし」
 一人うなづく。
 欠け始めていた自尊心が戻ってきたのを感じる。
 回線障壁の突破。それは、自分にしかできないことだ。坂持国生にも野崎一也にもできない、自分だけのものだ。
「どうかしたの?」
 表情の変化に気づいたのだろう、国生が怪訝な顔で見てきたが、学はこれを無視した。



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鮫島学 
クラス委員長。万事に優秀。プログラムには以前から備えていた。
坂持国生
 
香川県出身。父親がプログラム担当官だった。現在は伯母の家に世話になっている。