OBR1 −変化−


075 2011年10月02日07時00分 


<坂持国生> 


「あなた……坂持、国生くん、ね」
 それは、国生が神戸の伯母の家に世話になってから半年ほどが経った、ある夏の日のことだった。
 六甲山の中腹に位置する墓地。焼け付くような太陽、わんわんとこだまするセミ時雨。
 川田章吾の墓前に手をあわせていたときに、背後から声をかけられたのだ。
 振り返ると、レース地の日傘をさした20代半ばの女が立っており、あいた腕に小さな花束を抱えていた。
 ふっくらとした頬に黒目勝ちな大きな瞳、整った顔立ちをしていた。
 おそらくは10は年の離れている大人を相手にこのような表現をしていいものか迷ったが、美しいというよりも可愛らしい、そんな女性だった。
 そして、気づく。
 その頬、ちょうど左眼の下のあたりにうっすらと何かの傷跡が残っていた。
 負ってからかなりの年月が過ぎ、薄まったのであろう傷の跡、化粧を後ほんの少し濃い目にすれば目につかなくなるであろう傷の跡だった。
 この人は誰だろうと思うよりも先に、この人はどうして傷を隠そうとしないのだろうと思った。

 黒地のワンピースに身を包んだ彼女は、ゆったりとした口調で「坂持、国生くんね」とくり返した。
 そこで、分かった。
 どうして分かったのか、理由などまったく掴めなかったのだが、とにかく国生の直感が告げた。
「中川……典子、さん?」
 これに、彼女が戸惑い顔を見せた。
 ほんの数十秒のことだったのかも知れないが、国生にはその間がひどく長く感じられた。
 そして、彼女、中川典子が小さく頷いた。



 それから日が陰るまでまでの数時間、墓地からほど近いカフェに中川典子……世間的には戸籍を買い取った別の女性を名乗っていると言っていた……と国生はいた。
 ずっとずっと、七原秋也と中川典子に会いたいと思っていた。
 二人は、父親が最後に担当したプログラムの生き残りであり、父親が殺されたプログラムの生き残りだ。記録によれば、父親を殺した川田章吾と彼らは、プログラム中の行動を共にしていたという。
 まず、アメリカ国に渡ってからのことを訊いた。
 父親が最後に受け持ったプログラムの顛末は人聞きしていたし、国生なりに調べてもいたが、その後どうしたかまでは知らなかった。
 彼らはアメリカ国に一年の間しかいなかったらしい。
 大東亜共和国内の反政府組織に請われ、帰国。組織の一員として活動していたようだ。
 ただ、数年のうちに典子だけが組織から離れたそうだ。
「暴力に暴力で返すのは……違うような気がしたの」
 そう、言っていた。
 七原秋也とはこの時点で離別した。
「彼は……熱にうなされたようになっていて。私は……熱からさめてしまった」
 さみしそうに語っていたものだ。

 その七原秋也は故人とのことだ。
 6年前、七原が所属していたテロ組織はある軍部高官を暗殺したそうだ。
 高官は西陣藤永といい、『プログラム狂い』と揶揄されるほど制度に深く関与していた。そのため、ターゲットになったのだ。
 国の威信を維持するため西陣の死は公には病死とされていたため、国生たち一般人には知らされていない事件だった。
 組織は現存していない。
 政府に追われ、主要メンバーは捕縛され、処刑。組織は解体されている。
 処罰された者たちの中に七原秋也も入っていたそうだ。
 七原秋也の死を中川典子は苦しそうに語っていた。
 ただ、処刑は秘密裏に行われ、典子も七原秋也の亡骸を直接みたわけではないそうだ。
 ……生きているのではないか? 心の隅でそう考えている様子は見て取れたが、同時に諦めてもいるようだった。

 典子はその時点ですでに組織から離れて長かったため、難は逃れた。
 いまは違う名前を名乗り、大阪のオフィス街で普通に働いていると言った。
 ただ、反政府運動にはまた身を投じているそうだ。
 たった15でクラスメイトと殺し合い、そして生き残った。
 湧き上がる反政府心に身を任せた時期もあった。
 普通の生活に戻った時期もあった。
 そして再び怒りに身を寄せる。
 そこに行き着くまでには、相当の紆余曲折があったのだろう。

 多くは語らなかったが、迷い後悔し自戒を繰り返しこの十数年を過ごしてきたことが、国生には分かった。
 中川典子という女性は決して強くはない、普通の、当たり前の人間だった。
 目の下の古傷を隠していないのは、自戒からなのかもしれない。
 それは、プログラム中につけられた傷だった。彼女が巻き込まれたプログラムでは、桐山和雄という生徒が多くのクラスメイトを葬ったということだ。
 桐山が仕掛けたトラップにかかり、傷ついたのだという。
 それから十数年の歳月を経、その間にいくらでも整形を施す機会があっただろうに、彼女はその傷を残していた。
 そして、ずっと国生のことを見てきたと言った。
 だから、国生が父親を嫌悪していることは知っていたし、香川時代には父親が受け持ったプログラムの生徒たちの墓に、神戸に来てからは川田章吾の墓に時おり花を捧げていることも知っていた。
「俺に話しかける危険性は考えなかったのですか?」
 おそらくは未だ政府に追われる身である彼女にそう訊くと、「だから声をかけるのに10年かかった」という答えが返ってき、そして「政府は、それほど私のことを気にしてないわ」という答えが返ってきた。

 また、彼女は驚いたとも言った。
「だって、あの坂持の子どもが、あの川田くんの住んでいた街にやってきたんだもの。因縁だとか運命だとか、そういったものってあるんだと思った。これも歴史の波のひとつなんだって」
 国生が神戸にやってきたのは、そこが川田章吾が生まれ育った町だったからだ。
 もちろん、坂持の家で育つことに懸念し声をかけてくれた伯母が神戸に住んでいたことが、その基底にはある。
 しかし、それだけではない。
 その街が川田章吾の街だったから、父親を殺した川田章吾の生まれ育った街だったから、国生は神戸にやってきていた。
 歴史の波というフレーズは、川田章吾のものらしい。
 時流だとか時勢の意味合いだろう。
 西陣藤永の死もその一つだ。

 彼女は言葉を続けた。
「ほんとはね、あなたに会うつもりなんてなかった。勇気を持てなかったし、会うべきじゃないとも思ってたから。でもね、あなたは川田くんの住んでた街にやってきた。だから、声をかける気になったの。……それでも半年かかったけどね」
 十数年の歳月が過ぎ、坂持の血統と川田章吾と中川典子、七原秋也が交わった。
 そこにどんな意味があるのかは、国生には分からなかった。
 ただ、例えて言うのならば、あえて言葉で表すのならば、必然であり、それもまた歴史の波なのだと、思った。
「みんなのお墓にいつも花をありがとう」
 中川典子はゆっくりと頭を下げる。
 その様子に何か惹かれるものを感じ、国生の心臓が……決して丈夫とは言えない心臓が小さくジャンプした。
 今思えば、あのときが彼女に恋慕を抱いた瞬間だったのかもしれない。



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坂持国生 
香川県出身。父親がプログラム担当官だった。現在は伯母の家に世話になっている。