OBR1 −変化−


072 2011年10月02日06時00分 


<野崎一也> 


 と、京子が「なんか、あれ、やばい」怪訝な顔をし、思索が止められた。
「え?」
 彼女の指差す方向を見やる。
 そこには古びた井戸があった。
 垂直型の丸井戸で、簡素な屋根と囲いがつけられている。
 周辺は下草のない土肌だった。
 どきりと脈が上がった。
 地面に踏み乱れた後がある。水を汲むための桶が転がっている。
 悪い予感がした。
 恐る恐る井戸に近付き、中を覗く。
 そして、戦慄が走り、背筋が凍った。
 ……水に浮かぶ誰かの背中が見えた。男子生徒だ。手足と頭部は水の中に沈んでいる。もう命はないのだろう。
「啓太郎っ」
 がくがくと体が震え、その場にへたり込む。
 胸が詰まった。乱れた息、「そんな、啓太郎がっ」涙がにじんだ。

 ややあって、「いや、ついさっきの死亡者リストに挙がってなかったし、矢田じゃないだろう」京子がかすれた声で言った。
「京ちゃん?」
「カンだけどさ」
 確かに先ほどの定期放送、午前6時から数十分しかたっていない。また、後援会事務所に一也たちが到着してからしばらく時間がたっている。
 外で何か騒ぎがあれば気付いただろう。
 この誰かは、今日の6時以前に死んだと考えるのが妥当だ。
 では、啓太郎ではない。彼は少なくとも6時時点では生存していたはずだ。
 そして残された荷物から推察するに、死体は西沢海斗の可能性が高い(実際そうだった)。 
 ほっと胸をなでおろし、遅れて、死んだ彼に、啓太郎ではないと安堵されてしまった彼に、「ごめん……」謝る。
 この様子を見ていた京子が「カズ、変わンないな」暖かに笑う。
「え?」
「あんたは、いいヤツだよ」
「は?」
「でも、なんか……」
 何かを言いかけ、京子は口をつぐむ。
「なんか?」
「いや、いい。アタシには友だちらしい友だちがいないからね。友だちを心配するってのがよくわからない」
 何が言いたいのか。
 黙っていると、「ただ……矢田、やばくないか?」京子が眉を寄せた。

「やばい?」
「だって、診療所でも尾田とまゆみの死体を見つけたんだろ?」
「ああ……」
 そのあたりは話してあった。
「それで、ここではたぶん……西沢」
 ひゅっと息をのむ。
「啓太郎があぶない?」
 尋ねると、京子はゆっくりと首を振った。
「言い方を変える、よ。矢田啓太郎の後をたどったら、死体が出てくる」
 一也にはなかった思考なので、衝撃を受けた。
「そんな、いや、だって……」言い淀む。ただ、彼女の指摘は事実だった。確かに、啓太郎の足跡は死にまみれている。
 何らかの形で彼が関わっていると京子は言いたいのだ。
「まさか、そんなわけ、ないっ」
 怒声を上げる。
 啓太郎がそんなことをするわけがない。
 そう思った。
 しかし京子は「アタシ、馬鹿だからよくわかんないけどさ。……アタシなら、矢田には近づかない。ニンゲンなんて明日はどう変わってるか、わかんないイキモノだ」一つの真理を口にする。
「まさ……か」
 繰り返す言葉。しかし、声は小さくなっていた。

 遅れて、啓太郎のことを疑っていなかった自分に気づく。
 彼を殺してしまうかもと懸念はしていたが、彼に殺される心配はしていなかった。
「まさかって」
 京子は呆れたように一也の台詞を復唱し、「信用するってのは、美しいことだけど、それはそれで失礼じゃないのか?」続けた。
「失礼?」
「だって、矢田だって人間だろ」
 ぱしり。彼女の台詞が頬を叩く。
 思考停止。そんなフレーズが頭をよぎった。
 むやみに信を寄せ、美化し、聖人であることを求めるのは、ただの停滞だ。
 プログラムの中、一也は自身の闇と向き合ってきた。それはきっと、啓太郎だって同じはずだ。彼だっていつまでもオヒトヨシではいられないはずだ。 
 言われたとおりだと思った。
 勝手なイメージを押し付けられるのは、迷惑だろう。
 一個の人間としての啓太郎に好意を寄せるのであれば、彼が見ているに違いない闇も見るべきだ。
 もちろん、彼が過ちを犯したとして、その過ちをむやみに容認するわけではない。
 それはそれで視野を閉じている。
 京子が言っているのは、彼だって間違う可能性があるという事実に目を向けろということだ。
 一也に関しては、そのうえで、偶像ではない矢田啓太郎に対しても情愛を持てるかどうかが問題だった。
 ……分からなかった。
 それこそ、恋愛ケイケンチが足りない。

 ふと思い浮かんだフレーズがあった。
「すべてには意味がある」
 口に出してみる。
 何かの本で読んだ一節だった。
 こうして思い悩むことがいずれ何かの糧となるのだろうか。分からなかったが、また少し前に進めた気もした。

 それにしても……。
「……京ちゃんって、いつの間にそんな大人になったの?」
「はぁ?」
 呆れ声を返される。しかし、ややあって京子はわざとらしく胸をそらし、「当たり前だろ、アタシを誰だと思ってるんだ」不遜な台詞を吐き、にやりと笑った。



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野崎一也 
同性愛者であることを隠していた。島の有様に疑問を持った。