<野崎一也>
丹後議員の後援会事務所
はしばらく使っていなかったらしく、そこここにほこりが積もっていた。
民家と併設されており、すぐそばに丸井戸があった。
事務所は正面口が開いていたが、小部屋の窓が割られていた。誰かが侵入経路として使ったのだろう。
「啓太郎……」
矢田啓太郎からここにいるとのメールを受けてやってきたのだが、彼の姿も、同行しているという安東涼の姿も見えない。
追っても追っても彼と再会することができない、もどかしさ。
がりがりと爪を噛む。
ただ、数人の人間が一時期でも滞在していた痕跡はあった。
ほこりの上についた足跡に一也が指を這わしていると、「おい、カズ!」隣の部屋から羽村京子
の声がした。
行ってみると、膝をついてしゃがんでいた京子が顔を上げる。
「ほら」
懐中電灯が照らすのは、部屋の隅に置かれたディバッグだ。
どきりと脈が上がる。
「誰の?」
「……西沢みたいだな」
啓太郎のものではなかったことにほっと胸をなでおろす。
「西沢って、さっきの放送で呼ばれてたよね」
「ああ」
京子がうなづいて返してくる。
女子生徒としてはがっしりとした体格。栗色の髪は緩やかなウェーブを描いている。
西沢海斗は先ほど放送で死亡者リストに挙がっていた。
定期放送は6時間おき。その間に死亡した生徒の名が呼ばれる。
海斗はこの6時間の間に命を落としたということだ。
ディバッグには、私物のほか、簡易食料や医療キッドが残されていた。支給武器だろうか、千枚通しもある。
啓太郎と安東涼がいたはずの場所に、違うクラスメイトの荷物がそのまま放置されている。いかにも不吉で、懸念に値する事態だった。
京子は食料や医療キッドを取り出し、当たり前のように自身のものにしていく。
これを、立ちすくしたままぼんやりと眺めていたら、「あんだよ、文句あるのか?」凄まれた。
非難の目で見ているとでも思われたのか。
「いや、荷物がそのまま残ってる理由を考えていただけだよ」
実際、彼女の行為を責めようとはかけらも思っていなかった。
海斗はすでに死んでいる。物資はだれかが有効活用すればいい。
「ふん」
京子は鼻を鳴らすと、「ろくな理由じゃないだろう、な」皮肉げに笑う。
遅れて、死者の私物を暴く行為を当然のものとして受け入れている自身に驚く。
プログラムで感覚がマヒにしているのだろうか、何らかの心理的変化が訪れているのだろうか。
なんだか薄汚れてしまったような気がして、意味もなく体についた埃や泥を払う。
この部屋は応接室のような使い方をしていたらしい。
中央に、革張りのソファと木造りのテーブルが置かれている。飾棚に懐中電灯の光を当てると、これ見よがしに並べられた記章や丹後議員自筆の書物、資料などが浮かびあがった。
丹後は中央政府の議員で、やり手。
一代で今のポジションに上り詰め、政府の主要なポストを歴任していた。たしか、軍部に近いはずだ。褒章も軍関連、プログラム関連のものが多かった。
テレビで見る脂ぎった肥満体、高慢な態度を隠そうともしない彼にはもともと好印象は持っていなかったが、プログラムで賞辞を得ていることに不快感が強まる。
資料によると、出身地である角島にプログラム誘致を始めたのもどうやら彼らしい。
故郷に錦を飾る。
そんな言葉が頭をよぎる。
嫌悪の味なのだろうか、口の中に何か苦いものを感じる。
と、「鬼塚」京子の鋭い声が飛んだ。
「え?」
彼女の視線の先にあるのは、壁に飾られた写真だ。
「鬼塚がいる」
眉を寄せ、まるで睨みつけているようだ。
写真を見やる。
端書が付けられており、丹後議員が島の支援者と一緒に撮影したもののだった。
彼を中心に数人の男性が写っている。その中にスーツ姿の若い男を認める。やや長い髪、すらりと背が高い。あごひげを蓄え、黒ふち眼鏡をかけている。
確かにそれは、鬼塚教官だった。今よりも幾分若く見える。議員の斜め後ろに一歩控える形で写りこんでいる。
「秘書っぽい」
京子がつぶやく。
正確なところはわからないが、同じ印象を一也も受けた。
説明時、鬼塚は陸軍出向中の役人と名乗っていた。丹後議員は軍に顔が利く。接点は見えなくもない。
そういえばと、思い出す。
最初の説明のとき、京子が鬼塚に突っかかっていった場面があった。
プログラムに逆らうと銃刑にあう話は一般に知られている。みな京子の命はないと肝を冷やした。実際、護衛の兵士が銃を彼女に差し向けたのだが、それを制したのが鬼塚だった。
プログラム担当官だって人間だ。
選手に同情の念を抱くものもいるのだろうが、からかい口で説明をしていた姿とは符号しなかった。
分からないと言えば、一也を記念碑に向かわせた意図も釈然としない。
「鬼塚か……。いったい、何考えてるんだろ」
これ以上得るものはないようなので、事務所を出る。
いつの間にかしらじらと夜が明けていた。政府支給の腕時計をみるともう少しで午前7時だった。
7時から30秒間の通信許可時間だ。
二つ折型の携帯電話を開き、考え込む。
鮫島学と坂持国生は北の集落に向かったそうだ。この事務所は北の集落のはずれに位置する。
うまくすれば合流できるかもしれない。
もちろん、啓太郎の安否も気にかかる。
三人あてに今いる場所を尋ねる同報メールを作成する。後は通信許可時間を待って送信すればいい。
「楠とは会えたのか?」
ふと思いつき、京子に訊く。
彼女は楠悠一朗と交際していた。
学校いち素行の悪かった彼は、プログラム早々の死亡者リストにあがっていた。粗暴で、およそ自殺するような男ではなかったから、おそらくはだれかに殺されたのだろうが……。
京子は軽く頭を振り、「どうせ、馬鹿な死にかたしたンだろうよ」口をへの字に曲げた。
その様子に何か感じるものがあり、おやと眉をあげる。
悲しげな感情が滲んで見えたのだ。
彼女との交流は小学校時代から数年間飛んでいる。
子どもの頃は、男子と一緒に駆け回るガキ大将だった。
しかし今は、誰かを想い、憂いている。
いつの間にこんな表情を覚えたのか。
京子の悲哀に引かれたのか、啓太郎のことを考えた。
そして、自分はどうしたいんだろうと思った。
彼との再会を願い、移動を続けているのは確かだが、問題はそのあとだ。
たった一人しか生き残れないプログラム。
再会して、そのあとは?
分からなかった。
分からないということは、彼を手に掛ける未来があるかもしれないと予測しているということだ。
木沢希美を殺してしまいそうな自分が怖いと震えていた中村靖史のことを思い出す。
彼の危惧は一也の危惧でもある。
遅れて、本当に自分は啓太郎のことが好きなんだろうかと思った。
自身の性志向が同性に向いているのは疑いようのない事実だ。
それは、痛みとともにやっとで受け入れた。
では、この感情は?
これも、分からなかった。
また、分からなくなっている自分に驚く。
ずっと啓太郎に恋愛感情を抱いていると思っていたのに、その想いに迷いを持っている自分に驚く。
彼と一緒にいれば心休まるのは本当のことだ。
啓太郎はいつも穏やかに微笑んでいる。憂鬱に押しつぶされそうになっている一也には、その姿が眩しくてたまらない。
穏やかな、凪のような強さ。
その強さに憧れた。
ただ、憧れと恋慕は別物なのではないのだろうか。
15歳。まだ自身が好むタイプもよくわからないし、同じ志向の人間と触れ合ったこともない。一也は同性愛者としても未熟といえる。
だからかもしれない、唐突な逡巡に襲われていた。
まだ気持ちが固まっていなかったのだろうか、それとも合流するのが怖いのだろうか。
分からない。
いろんなことが分からなくて、分からなさ過ぎて、目まいがする。
と、「俺さ、好きな人、いるンだけどさ。なんか、自信なくなってきた。そいつのことがホントに好きなのかどーか」台詞が口を衝いて出た。
「ああ?」
「え?」
京子の反問と一也の惑い声が重なる。
「いや、驚いてるのは、こっちなんだけど」
もっともな感想だ。
これを無視する形で、一也の口は滑らかに動く。
「そいつ、凄いやつでさ、憧れるンだけど、憧れと恋愛って同じ感情でいいのかな」
おいおい何を言ってるんだと、自分に突っ込みを入れる。
しかし、堰を切ったように言葉があふれ出た。
「そういや、中村が言ってたんだ、木沢と合流したら殺してしまいそうで怖いって。なんか、よくわかるんだよね、その気持ち。俺もそいつのこと殺してしまいそうで、怖いんだ。だとすれば、ほんとに好きなのかなって。……ああ、中村はちゃんと木沢のこと、好きだったんだろうけど、俺の場合どうなのかなって。俺、恋愛ケイケンチ? 少ないからさ、よくわかんないんだ」
脈絡のない長い吐露になった。
沈黙。
見やると、京子がぽかんと口をあけていた。
「京ちゃん?」
「いや、アタシにそんな話してどーするんだっていうか、なんていうか」
彼女にしては珍しく濁してくる。
「うわ、ほんとだ、俺なに言ってるンだろ」
言われて、心の内を明かしていることに驚いていた。
あわてて、「今の、忘れて」ぶんぶんと手を振る。
思春期男子。恋愛話をする機会は今までもあった。
だけど、性志向が露見しないよう、気をつけてきた。
誰のことを好きなのか話さないと不自然な流れのときは、適当な女子の名前を挙げて誤魔化すなどしていたものだ。
色々あって高志にだけ自分が同性愛者であることは明かしていたが、啓太郎のことは話していない。
そうやって、自分を守ってきた。
なのに、なんでこんな話をしてしまったんだと、心の中で頭を抱えた。
先ほどの台詞を思い返し、何かまずい表現をしていないか確認する。
本当に忘れてくれたわけではあるまいが、京子はもうこの話には触れないでいてくれた。
気遣ってくれたのだろうか。
まぁ、単純に他人の恋愛話に興味がないだけという可能性も彼女なら大いにあり得る。苦笑いを一つ。
また、独白の相手が羽村京子でちょうど良かったのかもしれないと考えた。
もともと、コメントを期待した吐露ではなかった。
伏せて、隠して、誤魔化してきた感情が、プログラムを経て漏れ出ただけだ。
勢いで、啓太郎のことを話そうかとも思ったが、これはできなかった。それでいいとも思う。まずは、これだけ。
これだけを話せただけでも、一歩前進だ。
自分自身を認められたような、清々しいような、不思議な感覚。
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