OBR1 −変化−


070 2011年10月02日03時30分 


<永井安奈> 


 入ってきたのは、黒木優子 だった。
 物陰に身を潜め、様子をうかがう。
 ふわふわの赤茶けた髪。一重の瞳。頬に散ったそばかす。
 制服は脱ぎ、白地のロングTシャツと七分丈のタックパンツをサスペンダーで吊っている。
 所属しているグループ同士が険悪だったため、学校では親しくしていなかったが、柚香と優子は本来仲が良い。
 買い物に来ている二人を街で見かけたこともあった。
 優子はごく普通の女の子だ。柚香を助けようとしてしまうに違いない。
 そう思い、安奈はちっと舌を打った。

 戸を開けた瞬間に柚香が目に入ったのだろう、「ユズ!」優子が駆けよってくる。
 柚香を抱き上げ、「ひどい……」眉をひそめる。
「ゆう、こ?」
 切れ切れに柚香がこたえた。
「うん、大丈夫……じゃないね」
「そ、かな……」
「ひどい傷だよ。誰にやられたの? 飯島さんや津山さんはどこ?」
 どうやら、元気なうちにある程度メールや電話でやり取りしていたようだ。
「エリが……混乱し、て。上の階で、吾川が……。他はわから、ない」
「飯島さん、が」
 優子が息を吐き、「ずっと教会にいたの?」質問を重ねる。
 柚香が苦しげに頷く。
「他に誰も会わなかった?」
 さらに頷く。 
「そ、か」
 ここで、優子が背負っておいたディバッグを床におろし、中を探り始めた。
 薬か水か取り出すのかと思ったら、出てきたのが包丁で、安奈はぎょっとする。
 柚香は目を開けているが、視界がぼやけてしまっているらしく反応はなかった。
 数秒の間の後、優子が包丁を振り上げ、柚香の胸元に突き立てた。びくんっと一度柚香の身体が跳ね上がり、そして動かなくなる。
 じわりと胸元から血が広がり、床に落ちる。


 この様子を、安奈は物陰から息をのんで見つめていた。
 どきどきと胸が鳴っていた。
 ……まさか、黒木が!
 取れる情報は取り、必要なくなれば冷徹に殺す。
 それが彼女の方針なのだろう。
 殺す際には驚くほどに前置きも何もなく、無駄な語りもない。
 いつからそうしているのか分からないが、とにかく現状の彼女は徹底している。
 そこに至るまでにどのような心理的変化があったのか。
 あるいは最初からそうやって来ているのか。
 とにかく、あの様子では、既にクラスメイトの一人や二人殺めているに違いない。
 明らかな慣れを感じた。
 
 ……まさか、黒木が。
 繰り返し、思う。
 勿論誰だって死にたくない。それは目の前の少女とて同じことだろう。
 ペシミストの安奈のこと、誰だって殺し手に回る可能性があることは十分に認識していた。しかし、積極的に乗るかどうかとなると話はまた別だ。
 普段の学校で見ていた黒木優子はおよそそのタイプではなかった。
 殺された越智柚香も。
 黒木優子と越智柚香。二人は雰囲気が良く似ていた。
 いま二人は、加害者と被害者に分かれている。
 その境界線は一体何だったのか。
 
  
 やがて優子は、「ユズって、昔苛められっ子だったんだってね」亡骸に語り始める。
「でも今は友達がたくさんいて」
 その友だちの一人が優子だったはずだ。
「それって人生が変わったようなもンだよね。人生が変わってどうだった? どんな気分だった?」
 もちろん返答はない。
 優子はゆっくりと首を振り、「私はさ、変わりたくないンだ。優勝しても今まで通りでいたい。今まで通り、地味な、ふつーの女の子でいたい。今まで通り、普通の生活をさ、送りたいんだ」ふっと息を吐く。
 その背にブローニング・Bの銃口を向ける。
 優子は柚香を殺害するときに銃を使わなかった。おそらく所持していないのだろう。安奈の存在にも気づいていない。
 先手を取れば勝てるかもしれない。
 しかし、ややあって、安奈は銃を下げた。
 どうしても、勝利している自分の姿がイメージできなかったのだ。
 銃撃しても命中するとは限らないし、間合いを詰められれば刃物のほうが有利だ。
 彼女は迷いなく反撃してくるだろう。 
 
 優子は自身を普通の女の子と表現していたが、安奈からしてみれば、彼女はその範疇をすでに逸脱している。
 どこの普通の女の子が、友人を冷徹に刺し殺すというのか。
「あれは、駄目だな」
 聞きとられないよう、小声でつぶやく。
「あれは、駄目だ」
 争ってもとても勝てるとは思えない。
 彼女との戦闘は身の丈にあっていない。
 安奈からすれば、影で悪さをしていた自分の方がよっぽど『普通の女の子』だった。
 一般人は一般人らしく。小物は小物らしく。
 せいぜい保身にいそしむだけだ。 
 エリたちを完璧にはめた彼女としては低すぎる自己評価だったが、とにかく安奈は慎重だった。

 ただ、行く行くは自分が勝つという自負もあった。
 二階へと続く階段を上っていく優子を見やり、安奈は軽く肩をすくめた。
「あれは、駄目だ」
 三度同じセリフを吐くが、今度のは言いまわしが違った。
 いずれ、彼女は潰れる。
 確信めいた予測。
 クラスメイトを、友人を殺し、生き残る。
 あまりにも苛酷な道だ。逃げ道なく進めば、いずれ、駄目になる。
 急がば回れ。優勝した後のことを思えば、自分がとっている迂回路が正解だ。

 積極的に戦えば、死の確率があがる。
 実際、優子は右肩を負傷しているようだった。
 彼女といまやり合う必要はなかった。
 放っておいても、今後誰かとの戦闘で命を落とすか、罪悪感に駆られ自決するかするだろう。
 台所に戻る。
 優子が二階に行っている間に、荷物をまとめ出ていくつもりだった。
 床下収納を塞いでいた棚をずらし、蓋を開ける。取り出したのは一丁の拳銃だ。スプリングフィールドXD、津山都の支給武器だったものだ。
 ディバッグ、水の入ったペットボトル、地図。

 そして、テーブルの果物入れから梨を一つ。



−越智柚香死亡 10/32−


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永井安奈 
優等生で教師受けが良いが裏がある様子。重原早苗や筒井まゆみと親しくしていた。