<永井安奈>
階下には頭部から血を流した越智柚香
が横たわっている。
永井安奈
はゆっくりと階段を降りた。
後ろ髪を自然に肩におろし、前髪を左から右に流しピンでとめた髪型。卵型のつるんとした顔には、はっきりとした二重の瞳と、やや厚い唇がのっている。
目立つほどの美しくはないが、決して十人並みでもない。化粧をすれば十分に映える顔立ちだし、それは夜の街で実証済みだ。
教会の居住部分。一階に降りるとひやりと冷たい風を感じた。
先ほど飯島エリと津山都が扉をあけ放して出て行ったからだ。
扉の向こうには、月明かりに照らされた街並みが見えた。
「寒いじゃない」
顔をしかめ、扉を閉める。
振り返ると、左手、教会堂に続く扉も開いていた。越智柚香が激突した際に蝶つがいが壊れており、こちらは閉められなかった。
電気が通っておらず電灯はついていないが、ステンドグラスから月星の光が漏れ入っている。木造りの長椅子がならび、奥には祭壇が見えた。なかなかに幻想的な雰囲気だった。
顎先を天井に向ける。
二階の寝室には、飯島エリに殺された吾川琴音の亡骸がある。
見たところ、琴音はさして抵抗しなかったようだ。膨れ上がった顔、かっと見開いた眼、だらりと垂れた舌……。死にざまが焼き付いて離れない。
両腕で身体を抱き、震えを抑える。
「うまく行くもンだね、ホント」
気持ちを切り替えるため冗談めかして言い、肩をすくめる。
数拍置いて、皮肉げに笑う。
大人び、けだるい表情。先ほどまでの泣き腫らしていた少女、クラスメイトの死に震えていた少女の姿はすでにない。
それは、飯島エリを操り、吾川琴音を操ったのは自分だという自負からくるのかもしれない。
成績優秀で教師受けの良い安奈だが、その実、私生活は乱れていた。
夜遊びにとどまらず、盗みや薬、売春にも手を出している。
ただし、薬と売春は安奈が実際にやるわけではなく、斡旋に徹していた。理由は明快。自身の体を守るためだ。
夜遊びや飲酒も決して身体には良くないけど薬物ほどではないというのが、安奈の線引きだ。
重原早苗や筒井まゆみはその仲間だった。
早苗たちや他校の女子生徒に売春を斡旋し、荒稼ぎをしていたのだ。
高く売るため、いっぱしの不良娘だった彼女たちの見た目を落ち着かせたのも安奈だ。
早苗たちは安奈の商売道具だったと言える。
しかし、心の繋がりがなかったわけではない。
定期放送で彼女たちの死を聞いたとき安奈は涙を流したが、その涙は……少なくとも最初の数滴は……本物だった。
もう、一緒に悪さを出来ないんだな。悲しい気持ちに襲われもした。
ただ、感情に囚われることはなかった。
彼女たちの死は悲しいが、所詮他人は他人。ずっと悼んでいても仕方がない。ドライな現代っ子の安奈らしい切り替えだった。
では、なぜ泣き続けていたのか。泣きまねをしていたのか。
それは、教会に集まったメンバーの絶望感や切迫感を煽るためだった。
平和主義の越智柚香が中心になって、教会はまずまず平穏が保たれようとしていたが、これは安奈の望む展開ではなかった。
プログラム。
生き残るのはたった一人だ。
手に手を取り合ってゴールテープを切れるはずもない。
ならば、その最後の一人となれるようせいぜい勤
しむだけだ。
そのための武器はあった。
柚香たちにはペーパーナイフを支給武器だと騙っていたが、実はブローニング・ベイビーを支給されていたのだ。
ペーパーナイフは最初に忍び込んだ家で入手した。
他者に見せる偽物の支給武器としてちょうど良いと思い、持ち歩いていた。
そのペーパーナイフは台所の床下収納に仕舞われている。
穏やかな雰囲気を維持したい都や柚香が中心になって、刃物や鈍器を床下収納に隠す動きがあった。
実は、これには安奈の恣意が多分に含まれている。
皆が刃物や銃器を持っていることが怖いと涙ながらに訴え、都たちを誘導したのだ。
もちろん、自身が銃を持っていることは伏せていた。柚香たちの戦力を削ぐのが目的だった。
支給武器のブローニング・ベイビーは、名が示す通り小型だ。
制服の胸ポケットに違和感なく隠せていた。
ただ、極力ブローニング・Bは使いたくなかった。
素人がうまく銃を扱えるはずもないし、一人を殺しても他のメンバーに取り押さえられたら意味がない。
また、他人を傷つけること自体に躊躇もあった。
私生活は品行方正から程遠かった安奈だが、暴力行為とは無縁だった。
安奈は自身を過小評価しないが、過大評価もしない。
そして慎重だ。目立つことも嫌う。『悪さは身の丈に合った範囲でする』これが安奈のモットーだ。そのかいあって、素行が教師にばれることなく優等生として学園生活を過ごせてこれた。
もちろん、事はプログラムだ。
生き残るためにはクラスメイトを殺めなくてはいけない。
しかし安奈は、人を殴ったことすらない自分が一足飛びに殺人に至った場合の影響を考える。
たとえば、エリや柚香らを順に殺していく。
なんとか気持ちを切り替え進むことができたとして、その先は?
帰還して一週間後、一ヶ月後、一年後は?
……平穏に過ごせている自信はなかった。
罪悪感や死者の幻影に苛まれている自分が容易に想像つく。優勝しても、精神を病んでしまっては仕方がない。
プログラム優勝者の社会復帰が遅れるケースが多々あると聞く。また、精神病棟から一生出れないケース、自殺してしまうケースもあると聞く。
それは当たり前のことだと思う。
だから、なるべくクラスメイトの命に手をかけないでおこうと決めていた。
ただ、そこで奪われる側に回らないのが、安奈の安奈たるゆえんだ。
主体的に殺して回ることができないのなら、他人にやらせればいい。自分の手はぎりぎりま汚さない。
これが、安奈のプログラムに対する基本的なスタンスだ。
もちろん、自身が命の危険にさらされた時は話は別だ。
襲われれば抵抗するつもりだし、相手を殺めることもあるのだろう。
この場合は、向こうから襲ってきたのだからと言い訳が立つ。安奈の心の中にいる陪審員は認めてくれるはずだ。
でも、自分から積極的にゲームに乗ったら?
それは駄目だと彼女は首を振る。心の陪審員から無罪を引き出せない。
ただし、他人が動き出すのを膝を抱えて待つのは性にあっていなかった。
だから、エリたちを動かした。
幸いと言ってよいのか、安奈は他人を操るのが得意だった。
重原早苗も筒井まゆみも、それとなく安奈が思う方向に変えていった。
それぞれが持っている憤懣や希望を充分に把握しつつ、そこに安奈の恣意を織り込んでいく。目を見るタイミング、使う語彙、語調。手振り身振り。メールや電話も活用する。
プログラムでもその能力を活用した。
教会は平穏であってはならない。プログラムの恐怖に震える演技を続け、みなの不安を煽った。
銃撃戦になるととばっちりを食うので、銃器や刃物を仕舞うように誘導した。
いずれ誰かが動き出すだろう。うまく行けばその誰かが他のみんなを殺してくれる。そして安奈はその誰かの背中を撃つ。
また、その誰かは高い確率で飯島エリになるだろうと踏んでいた。
彼女は気が強く短慮だ。
苛立たせ、疲弊させるのは容易だった。
もちろん、自身が犠牲者となっては元も子もないし、苛立ちの原因となっている安奈にはその危険性が十分にあった。
だから、彼女とは常にテーブルや他者を挟むようにしていたのだ。
吾川琴音の絶望を煽っていたのはついでで、自殺でもしてくれたらと考えていた。
結果、どうやらエリの癇癪
と琴音の自殺願望がうまくかみ合ったようだ。
佐藤理央の携帯電話も、エリの焦燥感を煽るのに役だった。
プログラムが開始してからまもなく、南の集落で佐藤理央と生谷高志の亡骸を見つけた。マシンガンか何かで襲われたのだろう、二人は酷い有様だった。
恐ろしかったが、二人の荷物を探り、食料などを持ち出した。
その際に携帯電話も入手していたのだ。生谷高志の携帯は銃弾で破損してしまっていたが、理央のものは無事だったため、彼女たちの仲間を動揺させることにした。『みやこにころされた』単純な策だったが、うまく扇動できたようだ。
と、足元の柚香が「う……」呻いた。
気を取り戻したのか。
まぁこの傷だ。いずれ命を落とすか、誰かに殺されるかするだろう。
彼女は抵抗などできない状態だ。殺そうと思えば殺せたが、やはり当初の方針通り、自身の手は汚さないことにする。
ここで、正面扉のノブが回る音がし、安奈はびくりと肩を上げた。
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