<佐藤理央>
野崎一也が渡辺沙織の入水自殺を見届けたその少し前、佐藤理央(新出)は支給武器であるカッターナイフを握りしめ、おさげ髪を恐怖に震わせていた。
場所としては、南の集落
の入り口付近になる。
振り返れば、緩やかな斜面の下に広がる田畑が月夜に見える。理央が今立っているあたりから、住宅が少しずつ密集し始めていた。
過疎の島と聞いていたので藁ぶき屋根を想像していたのだが、家屋はそれぞれが近代的な作りだった。どうやらある程度は開けているようだ。
170センチを超える長身。バレーボール部で鳴らした自身の体力と照らし合わせても野宿は辛いものと思われ、集落をめざしたのだが……。
舗装の切れ目から生える野草、夜露に濡れる草木を踏みしめる。
背にした黒塗りの板塀に手の平をつき、そのじっとりと湿る感触を確かめる。
そして、その視線の先に立っているものを信じられないような思いで見つめた。
5メートルも離れていない塀の角からひょいと顔を出した彼、生谷高志
の姿を。
高志もまた驚いたような表情で理央のことを見ていた。
はしっこそうな小柄な体躯。
あちこちに跳ねさせた、もともとお世辞にも整っているとは言えないスタイルをしていた髪は、ひどく乱れており、制服の下に着こんでいるブルーのパーカーには泥がついていた。
そのせいだろうか、どこか退廃した雰囲気を纏っているように理央には感じられた。
ああ、神様……。
なんで、よりによって生谷なんかに。
理央の瞳が涙で滲む。
高志は、理央にとって出会いたくなかった生徒の一人だった。
彼は尾田陽菜
に公然とアプローチしていた。
理央はその陽菜にかなり辛く当たっていた。飯島エリ(新出)や香川美千留(新出)といった仲間と陰口を叩くだけではなく、面と向って嫌味や悪口を何度も言った。
理央はその中心だった。
そんな理央のことを、高志が心良く思っているわけはないのだ。
プログラム会場で出くわせば、きっと殺される。
そう思っていた。
理央も大東亜共和国に住む中学生だ。
プログラムのことは気にかけている。政府の告知がどこまで正しいのかは分からないが、時間切れによる全員死亡例はほとんどないらしい。
エリとは、北の集落のどこかで落ち合う約束となっていた。彼女とはプログラム説明時にいた場所が近かった。兵士の目を盗んで、それだけを打ち合わせたのだ。具体的な場所は通信許可が出たときに話し合えばいい。
他の友人たちとも連絡を取り、集まる。
そう決めていたのに……。
丸い月を背にした高志が、一歩、歩み寄ってくる。
「佐藤……か」
「近寄らないで!」
理央は手に持ったカッターナイフを高志に向けた。ナイフの切っ先が震えていると思ったら、足元を起点に身体の何から何までが震えていることに気が付く。
そんな理央に、高志がゆっくりと噛みしめるような口調で言った。
「俺は、乗ってない。やる気はないんだ」
そしてまた一歩近付いてくる。
……嘘だ。
まずは、心の中で吐き捨てる。
そして、「ばっかじゃないの。これが何だと思ってるの? プログラムよ、プログラム。乗ってないわけがないじゃない。みんな、気に入らなかったヤツをやっつけてるに決まってる。……あんた、私のこと嫌いだったんでしょ? あんたが私のことを狙わないわけがない!」不安と恐怖を爆発させた。
そんな理央のもとに、高志が駆け寄ってきた。
「やっ」
恐怖に目を閉じ、自らが作った暗闇の中、無茶苦茶にナイフを振り回す。
何かを切り裂く感触が手元に走った。
しかし、両腕を掴まれ、そのまま木塀に体を押し付けられてしまった。
「落ち着け! 落ち着けって」
至近距離から響く高志の声。
男子と女子とは言え、小柄な高志に比べ理央の方が体格がいいし、バレー部で鍛えられている。本来の理央ならば抜け出そうとすれば抜け出せたはずだった。
だが、あまりの恐怖に力が入らない。……それでも理央は出せる力を振り絞って抗
った。
と、ぱしり。いきなり平手打ちをされた。
「何、すんのよ!」
打たれた頬を抑えながら、涙に濡れる両のまなこを開き睨みつける。
「お、れ、は、やる気はないんだ」
高志が一言一言噛み締めるように言う。
目前に立ち自分の腕を掴む生谷高志。
理央の方が背が高いので見下ろす形となった。
日に焼けた丸顔に乗った、いかにも気の強そうな太い眉、強い光を放つ瞳、ひきしまった口元。
ナイフの刃が掠めたのだろう、その額のあたりに真新しい切り傷が出来ていた。
「うそっ、うそよ! ……だって、だって、殺しあうのがっ、殺しあうのが、プログラムじゃないっ。現実を見なよっ。……殺さないとっ、私たち家に帰れない! 私はあんたをっ、あんたは私をっ。そうだ、みんな、みんな、みんな! みんな、殺しあうんだ!」
おさげ髪を振り乱し唾を飛ばす理央を前にしても、高志の表情は変わらない。
「そっ、それにあんた私のこと嫌いなんでしょっ、今ここで殺せばいいじゃない!」
最後は、ほとんど叫び声になっていた。
思いをぶちまけ、ぜいぜいと息を上げる理央。
その理央の口元を手の平で抑え付けながら、「ばかっ、大声出すなよっ」高志が制した。
そして、理央の耳元で小声に囁く。
「ああ、嫌いだね。尾田さんのこと、虐めるお前なんか、だいっ嫌いだ。けどさ、だからといってさ、殺すわきゃねーだろ。俺たち、クラスメイトなんだぞ」
ごくり、理央は震える喉に唾液を落とした。
「こ、怖くないの?」
「ああ……、怖いよ。いつまでこの気持ちでいられるか、わかんねーよ。もしかしたらこの先、お前を殺してでも生き残りたいと思うかもしれねーよ。けどさ、今はそんなこと考えちゃいない」
理央が聞いたのは、理央自身のことを恐れていないかだったし、高志自身も理央の質問の意図は理解しているように見えた。
しかし、高志は質問をはぐらかし、己の弱さを見せた。
それに反した瞳の力強さに、理央は息を呑む。
そこには小さな勇者がいた。プログラムの恐怖に打ち勝とうとしている、少なくともその意志をたぎらしている勇者が。
「今は、だ。く、悔しいけど、今は、だ」
ぎりぎり、ぎりぎりと歯軋りをしながら、高志は言う。
「俺は、俺をこんな気持ちにさせるプログラムが、政府が、憎い。そ、それに、男は女を守るもんだ」
高志が冗談めかした口調で言ったが、その口の端は歪み震えていた。
「なに、それ。あんた、いつの時代の人間よ」
高志の肩を掴んでいた理央の手の力が抜ける。
「ああ、痛ぇ」
高志がわざとらしく顔をしかめた。一歩身を引き理央との間隔を取る。
高志の頬や手の甲には、理央がナイフで切りつけてできた真新しい切り傷が見えた。
「何よ、そっちだって私の顔を叩いたじゃない」
「じゃぁ、お相子だな」
理央は力ない笑みを浮かべた。
昨晩以来の笑みだった。まだ恐怖に震えてはいるが、それは確かな笑みだった。
返事はできなかったが、高志が言いたいことは分かった。
争うことはやめよう、争ったことは忘れよう。
そして、彼がいじめなんて詰まらないことはやめようと諭していることも分かった。
……分かったよ。あんたの言いたいことは分かった。でも、でもさ、私、尾田のことはやっぱり嫌いだ。何がむかつくって、彼女、自分が可愛いことを認めようとしないんだ。気がつかない振りをしているんだ。実際、悔しいけどあの子は可愛い。なら、それ相応の態度を取ればいいのに。でも、尾田は私なんてって態度を取る。そう言うところが最高にむかつくんだ。
この思いは口に出すことはできなかった。
プログラムの恐怖に負けそうになる心情は吐露できても、女としてこれはできない。
ちらりと高志の顔を見る。
そして、男には一生理解できない気持ちだろうと思った。
男は、外見以外でも、スポーツや勉強など様々に勝負できる。
クラスメイトの三井田政信
(新出)などはその典型だ。
彼は容貌自体はそれほど整っていはいないが、運動神経抜群なうえ喋りが洒脱なので、女子生徒に人気がある。
理央のグループの中でも、飯島エリが一時期交際していた。
政信は女癖が悪く、それが原因ですぐに別れてしまったようだが。
……だけど、女は駄目だ。女は結局のところ、顔だ。
だから、理央は陽菜のことが嫌いだった。せっかくいいカードを引いて生まれたのにそれを有効に活用しない彼女のことが嫌いだった。
このいささか極端な思いを高志にぶつけるほどの余力は彼女には残っていなかったし、また、その気もなかった。
と、あたりに連続音が響くと同時に、理央の下半身に鈍い痛みが走った。
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