OBR1 −変化−


068 2011年10月02日03時30分 


<津山都> 


 さすがに疲れてきたのか、エリのスピードも落ち、距離をなんとか縮めることができた。
 間隔が一メートルほどになったところで、都は地面をけり、エリに飛び付いた。
 エリの両膝のあたりをぎゅっと抱え込み、一緒になって倒れこむ。
 アスファルト敷きの地面をすべり、体のあちこちに擦り傷を負う。おそらくエリも同じような状況だろう。
「ひあ、あっ」
 エリが体をよじり逃げ出そうとするのを抑え込み、「落ち着いて!」声をかける。
「あた、アタシっ、吾川をっ。永井がっ、アタシを!」
 まとまりのない台詞。
 涙に濡れた頬。
 彼女の混迷が見て取れる。
「大丈夫!」
 抱きよせる。
「大丈夫、私がついているっ。大丈夫だから!」
 エリは抵抗をやめなかったが、大丈夫大丈夫と繰り返すうちにやがて力を緩めてきた。

 そして、「……都?」今更のように呼ばれた。
「大丈夫」
 意識して強く頷くと、エリがほっとした表情を見せた。
「私を追ってきてくれたの?」意外そうに訊いてくる。
「うん」
「嫌われてると思ってた」
 エリが思わぬことを言う。
「え?」
「私、性格悪いから」
 意外だった。彼女がそんな風に自分を卑下するとは思っても見なかった。
「そだね。性格悪いよね」
 冗談めかして返し、「でも、案外嫌いじゃなかった、よ」続ける。
「え?」
「嫌いじゃなかった。だから、こうして追いかけてきたんだ」
 まじまじと見つめられる。「さ、立って」促し、都も立ち上がる。制服に着いたほこりを二人して払った。
「教会に……」
 戻ろうと言おうとして、やめた。
 教会には吾川琴音の亡骸があるし、柚香は重傷だった。もしかしたら死んでしまっているかもしれない。また、なぜだかエリが恐れている永井安奈もいる。
 エリには辛い場所だろう。

 自らに問う。
 これが気遣うと言うことだろうか。
 自分は、都が男の子の話をした意外さをエリが流してくれたように、同じように、できているのだろうか。正しくあれているのだろうか。本物になれているのだろうか。

 足の疲れからか、エリが後ろ向きによろけた。
「危ない」
 倒れないよう、手を伸ばす。
 と、ばんっと鈍い音がすると同時、目の前が霞んだ。何かが目に掛かったのだ。
「え?」
 右手で拭い、目をぱちぱちとさせると、奇妙なものが見えた。最初はマネキンかと思った。デパートの衣類売り場でポーズをとっている体だけのマネキン。  
 一瞬の当惑の後、それが何であるか分かった。
 飯島エリだ。しかし、頭部が無くなっている。司令塔を失った身体がゆっくりと揺らぎ、そのままどうと地面に倒れる。
 首から噴き出す血、血、血。
 悲鳴も上げることができなかった。
 血しぶきを浴びながら、ただ呆然とその様子を見つめる。
 やがて、血の海となった地面に落ちているエリの生首を視認する。
 爆破により捲れあがったあご先の皮膚、白い筋の向こう、崩れた下あごの骨。長かった髪は、爆風で焼け焦げ、嫌な匂いがあたりに驚くほどのスピードで広がりつつある。左眼はどこかに吹き飛び、赤黒い眼窩が見える。
 鼻も潰れていた。唇はおかしな方向に歪んでいた。

「禁止エリアっ」
 やっと、何が起きたのか理解する。
 エリは禁止エリアに掛かったのだ。だから首輪が爆破した。
 ということは、ここは禁止エリアと通常エリアの境目ということだ。知らず知らずのうちに命の綱渡りをしていたということだ。
 いま、何十センチの猶予があるのだろう。
 体が弛緩し、へたりと座り込む。がくがくと身体が震え始める。
 視線の先には、エリの亡骸。
 首から血が噴き出し、あたりに赤い霧となっている。
 とりたてて美しかったわけではないが、若い魅力に溢れていたエリの容貌は見る影もなく、そこにあるのはただの醜悪な脱け殻だった。
 そして、よじれ倒れている身体はまるで打ち捨てられたマリオネットのようだった。
 

 唐突に、すぐそばで「みやこ様をっ」誰かの金切り声がした。多分に怒情を含んでいる。
 見上げると、美夜が立っていた。
 左腕で件の人形を抱え、怒りに震えている。
 先ほど彼女と衝突し、人形を踏んでしまった。そのことを怒っているのか。
「え?」
 遅れて、気づく。
「……都さま?」
 何を言っているのだと思った。
「都は、津山都は、私だよっ」
 訳が分からず、それも含めて恐怖が増す。
 これに、美夜は目を吊り上げて返してきた。
「何言ってるの! ……ニセモノ、みやこ様のニセモノ。そんなの、許せないっ」
 掴みかかられる。
 気が触れた彼女は人形にかつての自分を見ており、自身はその信徒として振舞っているのだが、事情を知らない都は困惑するだけだ。
 ただ、ぞっとした。美夜の双眸はどこまでも深く、黒く、まるで夜の闇のようだ。あるべき光が無い。

 座り込んだまま後ずさろうとすると、手に何かが触れた。
 それが何かも分からず掴み取り、美夜に叩きつける。
 ぎゃっと美夜が叫び声をあげた。彼女が仰け反ると同時に、赤い血が飛沫する。
 続けてもう一撃。さらにもう一撃。
 怖くて怖くてたまらなかった。
 彼女にどこかに行って欲しかった。

 ややあって、「あ……」自分が何をしたのか、気づく。
 掴んでいたのは果物ナイフだった。もとはエリが隠し持っていたものだ。それを美夜に……美夜に突き刺したのだ。
 夢中で抵抗しているうちに、彼女の両手と腹部をさしてしまった。
 美夜の両腕はだらりと下がり、血が流れ出ている。
 そして、腹部にはナイフが突き刺さっていた。
 抜けるような息、悲鳴。自身が悲鳴をあげている姿をまるで他人事のように見る。
 ……なんてことを!
 刺すつもりはなかった。ただ抵抗したかっただけなのに。
 恐怖、焦燥、混沌。
 今となってはエリの気持ちがよくわかる。そして、これがプログラムなんだと思った。プログラムは、我を忘れさせる。

 と、喉元が急に熱くなった。
 え? と疑問符を投げようとしたら、かわりに吐血した。
 そして、胸元に美夜の頭があることに気づいた。彼女はばっと頭を後ろに振り、一歩下がる。その拍子、血が飛沫し、近くの塀に赤い流線を描く。
 いったい何が……?
 思うと同時、ぐらりと体が揺らいだ。
 全身の力が抜け、どうと倒れこむ。
 倒れた拍子に地面に顔を強かに打ちつけた。
 自らの血で染まった土を舐める。止めどなく吹き上がる血液。慌てて喉のあたりを両手で抑えるが、指と指の間からどくどくと赤い物が流れ続けた。
 ……まずい、これって、まずいんじゃないの?
 痛みはなかった。ただ、すうっと血の気が引いていくのは分かった。
 そして、いつの間にか膝を折り座った体勢になっていた美夜の顔を見上げた。
 透き通るような白い肌、ほんのりと紅くそまったほほ。黒目がちな大きな瞳。ぽってりとした厚い唇。その唇が、いや、口元全体が赤く染まっていた。
 ここでやっと、喉を噛み千切られたのだと知れる。
 口を使ったのは、都が両腕を刺し、自由が利かなくなったからだろう。

 美夜は全身に都の血を浴びていた。
 髪は血で濡れ、頬に張り付いている。その赤が、月明かりに不気味に光る。その姿に禍々しいものを感じ、背筋が凍りついた。
 そして、この後、都の全身の産毛が文字通り総毛だった。
「みやこ様、偽物を退治しまし、た」
 美夜が人形に語りかけたのだ。にぃぃぃ、美夜の口元がゆがみ、笑みがこぼれる。
 すでに怒相はなく、満面のと形容してもいいような笑み。
「さぁ、一緒に……生き残りましょう」
 続く彼女の言葉。
 ……ああ。
 息をつく。
 彼女も怖いんだ。彼女も死ぬのが怖いから、あんな世界に逃げ込んでいるんだ。
 そう思うと、少しだけ恐怖が薄らいだ。

 ややあって、どっと音がした。
 ぼやけた視界、美夜が横倒しに倒れたのが分かった。
 先ほど腹部を刺してしまった。その深さは、刺した本人がよく分かっている。きっと彼女も長くない。

 遅れて、気に掛かった。    
 ……ニセモノ。私は本物になれなかった? 正しくいられなかった? 
 もちろん、美夜の言う本物偽物と、都の思う本物偽物は指し示すところが違う。単に、自省のきっかけとなっただけだ。
 そのあたりは良く分かっていたが、悔しかった。
 せっかく一時はエリを救えたのに、結局彼女を見殺しにしてしまった。
 恐怖に呑まれ、美夜を刺してしまった。正しくいられなかった。
 ……もっと。もっと、時間があれば。プログラムなんてものがなければ。
 私はきっと変われた。成長できた。……そう、野崎一也のように。苦しみながら少しずつ前へと進んでいる彼のように。
 神様。
 神様、私に時間を。
 倒れた体勢のまま、ゆっくりと右手をあげる。やがて、夜空を掴むように、何か、大切な何かを掴むように、その手が握られ……地面に落ちた。



−飯島エリ・津山都・結城美夜死亡 11/32−


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津山都 
空手部。佐藤理央や飯島エリ、越智柚香と親しくしていた。