<津山都>
真夜中の町を津山都は懸命に駆けていた。
視線の先には、長い髪を振り乱して走る飯島エリの後ろ姿。
エリはテニス部で鍛えられており、すらしとした長身のため歩幅も大きい。教会から飛び出した彼女を追っているのだが、なかなか距離を詰められないでいた。
息が乱れるのは、体力を奪われているからだろうか、死への恐怖からだろうか。
丸みのない骨太の身体、太い眉、ごつごつとした男っぽい顔立ち。
女の子らしい服装や髪形が似合わないため、髪はベリーショートにし、学園生活はジャージで過ごしていた。
学校外はジーンズなどパンツルック一択。
いまは制服を着ており、下がスカートになるが、これは都としてはなかなかに珍しい姿だった。着慣れておらず、また周囲が見慣れていないことも充分に分かっていたので、気恥ずかしかった。
ただ、渡された私物の中にジーンズもあった。
だけど、制服、スカート姿を選んだ。
それは、死ぬ時ぐらい女の子らしい格好でいたいと思ったからだ。
男っぽい。男の子みたい。
子どもの頃から言われ続けてきた。気にしていない風を装ってはいたが、実はいつも傷ついていた。
私だって出来ることならスカートをはきたい。可愛らしいものを持ちたい。髪を伸ばしたい。ずっと思ってきた。
しかし、出来なかった。
何度か髪を伸ばそうとしたが、およそ似あわず、結局切る。
スカート姿を鏡にうつせば、ため息しか出ない。
人知れず抱えるコンプレックスに押し潰されそうになりながら、ここまですごしてきた。
そんな中、視界に入ってきたのが、野崎一也だった。
彼とは小学校区が同じだったが、特段親しくしていたわけではない。むしろ、避けてきた。
ただ、気にはなっていた。一也にも何かしらコンプレックス、悩みがあるようで、彼は時折ひどく辛そうな顔をしていた。そして、それを周囲に悟られないようにつとめていた。
その姿が痛々しく、自分を見るようで、近寄りがたく、避けてきた。
しかし、中学三年生となり、久しぶりにクラスが一緒になり、驚いた。
一也は憑き物が落ちた様なすっきりとした顔をしていたのだ。
……乗り越えたのだと、思った。
まぁ、全てを克服するは難しい。彼が切なそうな顔をしている場面を見る機会は今でもあった。
まだまだ思い悩むことはあるのだろう。
いまでもきっと悩んでいるのだろう。
ただ、以前見られた沈み込んでいくような表情ではなかった。
彼は何かしらのけりをつけたのだ。前へ進もうとしているのだ。
心の中で一也の健闘を称えた。
声をかけることなどできなかったが、すごい、すごいと手を打った。
そして、憧れた。自分も一也のようになりたいと考えた。
また、彼と一緒にもがき苦しみたいとも思った。彼から影響を受け、自分も変わりたいと。
それを恋愛感情と言うのならばそうなのだろう。
ただこれも、誰にも言えなかった。
自分のような女が男の子の話題を出すのは滑稽だ。
そんな思いがどうしてもぬぐえず、仲間内でする恋話のときも言い出せなかった。「恋愛なんて柄じゃない」というポーズを変えることができなかった。
数時間前、プログラムに震えるみなを明るくしようとした柚香が先導し、好きな男子生徒を言い合う場面があった。
あのとき、神様がくれたチャンスだと思った。
自分を変えるチャンス、女の子らしく振舞うチャンスだと思った。
……スカートをはき、恋愛話をすることが女の子らしいという考えが偏っていることは百も承知だ。「女がなんだ。男がなんだ。君は君なんだよ」誰のものとも知れない言葉が頭の隅をかすめもした。
だけど、チャンスだと思った。
好きな異性を言う。これこそ、自分が生まれ持った性で生きている証、女の子であるという証なんじゃないか? いささか大げさかもしれなかったが、それが都の価値観だった。
そして、意を決し、野崎一也の名前を挙げた。
エリも柚香も驚いていた。
彼女たちが何に驚いていたのかは分かる。まさか自分が恋愛話に乗ってくるとは思っても見なかったのだろう。
地味と言われ、一也には悪いことをしたような気もするが、プログラムになって初めて得た楽しい時間だった。
ほっこりと胸が熱くなり、暖かな気持ちになれた。
そして、エリに感謝した。
彼女は、意外に思っていたろうに、そのことには触れずに、相手が野崎一也であることが意外だと振舞ってくれた。一也を肴に話しに盛り上がってくれた。
特に、その直前に柚香が都の恋愛話を意外がるような台詞を吐き、それに傷ついていただけに、嬉しかった。
エリはきつい性格だし、意地悪く、口も悪い。
尾田陽菜(黒木優子が殺害)を積極的にいじめてもいた。自己中心的な性格。気の弱い者、立場の弱い者はあごで使う。
決して人が良いわけではない。
佐藤理央(安東涼が殺害)のように仲間内に優しいわけでもなかった。
だけど、ふとした瞬間、気遣いを見せるときがある。
それは、もしかしたら、本人も気づいていない気遣いなのかもしれない。意図はなく、たまたまそうなっただけなのかもしれない。
だとしても、嬉しく感じる瞬間があるのは確かだった。
そんなエリが吾川琴音を殺し、都や柚香を傷つけ、今は目の前を駆けている。
相当に混乱しているのだろう。
大人しい永井安奈に罪をかぶせるようなことも言っていた。
暗い町を逃げるように走っていく友の後姿を見るのは辛い。
ただ、彼女を止めなくてはと思っていた。
そして、エリを止められるのは、自分だけだとも。彼女を止められるのは、彼女にときに優しさを感じている自分だけだ。
教会では恐怖が先立ち、言い争うような形になってしまった。
何としても追い付き、今度はもっとうまく彼女を止めたかった。
柚香は、教会に残してきた。
頭から血を流し、危険な状態。
本当ならば、救うべきは彼女なのだろう。
しかし、都はエリを選んだ。友情は決して並列ではない。都がどちらをより大切に思っているかの表れでもある。
ただし、柚香に問題があるわけではない。
彼女は気遣いの人だ。常に周囲を気遣い、様々にフォローしてくれる。明るく、時に道化を演じることもできる。
グループのリーダーは佐藤理央だったが、ムードメーカーは間違いなく柚香だった。
もちろん、彼女のことも好きだった。
エリと一緒にいるとある種の緊張感があるが、柚香だとほっこり休まれる。
だけど、ふとした瞬間に、その言動に傷つけられることがある。
人間だれしも人知れず周囲を傷つけているもので、それは柚香とて同じことなのだろう。
そこを取り立てるのはフェアではないと、都も良く分かっていた。
また、この心情には、多少の嫉妬があるのかもしれない。
佐藤理央とエリは、可愛らしい容貌で男子生徒に人気のあった尾田陽菜を嫌っており、苛めに近いことをしていた。
グループでは、大人しく人についていく性格の香川美千留(鮫島学が殺害)もこれに倣った。
……都と柚香は参加しなかった。
柚香は多くは語らなかったが、彼女は小学校のころ苛めの対象になったことがあったそうだ。だから嫌だと言っていた。
苛めへの反発には相当の勇気が要ったろう。
また苛められたら? という怯えもあったに違いない。
普通に考えれば、過去の経験から自身に矢が向くことを恐れ、追随しそうなものだが、柚香はその選択を取らなかった。
これを都はまぶしく思ったものだ。
そして、都は都で「やめなよ」と理央たちを諫めようとした。
しかし、さほど意味のある台詞ではなかった。なぜなら、周りが思う『曲がったことが嫌い』という都のイメージを維持するために、言ってみただけだったから。
偽善者。
先ほどエリに投げつけられたフレーズだ。
たしかにそうだ。彼女の酷評は非常に的を射ていたと言える。
エリはわが道を行くタイプだが、良くも悪くも人を見ている。
もちろん、柚香にもそれなりの打算があったのだろう。
理央は外に厳しい半面、一旦仲間と認めたものには優しかった。グループで一団となることを強制しない、個々の意思を尊重するリーダーだった。
重原早苗に目を付けられた香川美千留を守ったりもしていた。
理央なら大丈夫。
理央なら反発しても大丈夫。
打算混じり。だけど、彼女の正さは本物だった。
それに比べ、都は紛い物だった。
……理央たちはユズの前では尾田を苛めなかったけど、私の前ではした。
これ以上の答えがどこにあるのだろう?
柚香には、都がなりたくてもなれない姿がある。
柚香に屈折した思いがあり、彼女の言動がときに癇に障るのは、この辺りから来ているのだろう。
苦しみを乗り越えようとしているという意味では、野崎一也に通じるものがあるはずなのに、なぜだか彼女と一緒に成長したいとは思えなかった。
思うに、彼女は正しすぎるのだ。清廉にすぎるのだ。
なんだか遠すぎて、あこがれの対象にもできなかった。
言いがかりのようなマイナス感情。持ってしまうのだから仕方が無いと考えるのは、自分が幼いからだろうか?
*
と、角を曲がったところで、誰かと正面からまともにぶつかってしまった。
相手は倒れてしまったようだが、空手部で鍛えられている都のこと、とっさにバランスを取り、持ちこたえる。
「エ、エリ?」
飯島エリかと思い、歓喜の声を上げるが、残念ながら、別人だった。
艶のあるおかっぱ頭。黒目がちな瞳。透き通るような白い肌。それは、結城美夜だった。少し前、教会の前を通っていた。まだこの辺りにいたということか。
美夜がどこか怪我でもしていないか気にはなったが、今はエリだ。
「ご、ごめん! 急いでるからっ」
視線を前にやると、ちょうどエリが次の角を曲がるところだった。このままでは見失ってしまう。
再び追おうとした都の足元にぐにゃりとした感触が走る。
見やると、人形が落ちていた。
気づいていなかったので、まともに踏みつけてしまったのだ。
よく見ると美夜に面差しがよく似ており、いささか気味が悪い。
「ああっ」
美夜の、責め立てるような悲鳴。
「ご、ごめん!」
もう一度謝り、都は駆けだす。
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