OBR1 −変化−


066 2011年10月02日03時30分 


<飯島エリ> 


 永井に気をつけろ。
 別段、深い意図があっての台詞ではなかったのだろう。エリの父親が永井安奈の危険性に気づいていたはずが無い。
 ただ、正鵠を射ていた。
 なのに、関係のないことと聞き流してしまった。
 同じだ。
 思った。
 私もじいちゃんと同じだ。

 追いたてられ、混濁する意識の中、エリは寝室にあったものを手当たり次第に永井安奈に投げつける。だが、安奈は柚香の後ろに立っていたので、そのほとんどが柚香の身体に当たってしまう。
「ユズっ、そいつは危険だっ。そいつがやったんだ!」
 唾を飛ばし、長い髪を振り乱し、叫ぶ。
 ………そうだ、そいつが全ての元凶だった。吾川を殺したのは私だ。受け入れたのは吾川だ。だけど。だけどっ。永井が私を操ったんだ。吾川を操ったんだ!
 しかし、エリの言葉に応えるかのように、おずおずと安奈が口を開く。
「私、何も……」
 その台詞に、エリの怒りが頂点に達した。
「ちくしょっ、てめぇが仕組んだんだろがよっ」
 憤りそのままに立ち上がり、確保しておいた果物ナイフを上着のポケットから取り出した。これに、安奈と柚香が驚いた顔を見せる。
「エリっ」
 柚香が恐れおののいた表情で一歩後ずさった。
 その後ろで、安奈がぎょっとした顔を見せる。
「な、なんで、ナイフなんて持ってるの?」
 これが決定打となったようだ。
 柚香が身構え、「エリっ、何てことを!」震える声で言った。

 エリは下唇を噛んだ。
 合流して早々に、津山都がリードし、支給武器やこの教会内の刃物といった凶器となりえるものを床下収納にしまい込んだ。
 そのときに、こっそりと果物ナイフを取り出しておいたのだが、この場面で出すべきではなかったのだ。
 自分が刃物を取り出した直後の、安奈の言葉。
 どこまでの意図があってかは知らないが、これで柚香の信を完全に失ってしまった。
 
「ちくしょうっ」
 沈んでいく意気を鼓舞し、ナイフをぎゅっと握りなおす。そして、入り口に向かい駆け出した。
「ああああっ」
 狙うは、柚香の後ろに立つ安奈。近寄り、果物ナイフを振り上げる。
 と、ここで津山都が割って入った。正拳突きを一発、腹部に見舞われる。
「が……」
 都は空手部の猛者だ。ダメージは大きく、身体をくの字に曲げ、唾液を床にこぼす。
「じゃま、すんじゃねぇよ! この、偽善者が!」
 エリの言葉に、都が打ちのめされたような顔をする。
 ……しまった。
 ちっとエリは舌を打った。
 偽善者。おそらく都が一番言われたくないフレーズだ。これで、彼女の援助も得られなくなった。

 なんだか、あたりに蜘蛛の巣が張られているような気がした。
 エリはからめ取られた哀れな羽虫だ。
 話せば話すほど、何かをすればするほど、糸は深く濃くからみつく。



 エリの剣幕に圧されたのか、あるいはそれも演技なのか、安奈は脅えた表情でじりじりと後退している。
 そして柚香と都の腕を掴み、廊下へと逃げていった。
「逃げてんじゃ、ねぇよ!」
 ほとんど絶叫しながら、追いかける。
 安奈は一階へと降りる階段の前まできたところで振り返った。
「怖い……」
 まるで親に庇護される幼児のようだ。
 安奈がずっと自分と距離をとっていた理由もこれで分かった。
 思えば、安奈はずっと挑発し続けていた。
 それは、自身が狙われる可能性もあったということだ。危害を加えられないように、殺されないように、安全な距離をキープしていたということか。
 優等生然とした態度、絡まれ、困惑している態度も依然として保っている。
 彼女の素が見えたのは、あの一瞬の含み笑いだけだ。こうしてをしらを切り続けられると、その笑みすら、気のせいだったのではないかと思えてくる。
 
「エリ、バカなことはやめな!」
 柚香が安奈の前に立ち、きっと顔をあげる。
 彼女とは部活も一緒だったし、日頃クラスでも一緒にいた。ごくごく親しく付き合っていた。エリには柚香が何を考えているのかがよく分かった。
 彼女は責任感が強い。
 また、頼られればそれに出来る限り応えようとする。
 今この場を収められるのは自分だけだと言う意識もあるに違いない。
 そんな柚香の後ろに立ち、安全を確保している安奈をもう一度睨みつける。
「ユズ、そいつに騙されるな!」
 しかし柚香は「ね、ほんと、バカなことはやめてっ」と繰り返すだけだ。
 都は間に挟まれ、おろおろとしている。

 エリには、安奈の言葉の裏に隠された意図が全て分かっていた。
 彼女は、エリと柚香、都を争わせようとしている。そして、誰か、あるいは全員が負傷し、場合によっては死に至るのを期待し、狙っている。
 まるで柚香の考えが分かるかのように、親しい友達のように、分かった。
 分かっているのに何も出来ない、そのもどかしさ。地団駄を踏み、歯軋りをし、怒りに震える。
 都ともみ合ううちに、階段を踏み外し、エリの足が空を切った。
「エリ、あぶないっ」
 柚香がエリの制服の裾をつかむ。しかし、すでにエリの身体は宙に浮いており、柚香、都をまき込んで、三人で階下へと転がり落ちてしまった。

 階段は踊り場のない一直線のつくりだったため、落ちるスピードそのままに階下へとダイブする。
 上り口の対面、礼拝堂へと続く両開きのドアに身体を、強くぶつける。
 ドアの蝶番ちょうつがいが弾けとび、バンと大きな音を立ててドアが開いた。
 仰向けに倒れた体勢、礼拝堂の天井が見える。
 ステンドグラスから洩れ入る月の明かりは、神々しい美しさがあった。
 起き上がろうとしたエリの身体に、気の遠くなるような痛みが走る。あばらの一本でも折ったのかもしれなかった。
 と、「だ、大丈夫?」上部から安奈のどもり声がした。
 なんとかして体を起こすと、階段の中ほどに永井安奈が立っているのが見えた。
 エリの瞳には、その立ち姿が悠然としたものに映る。
 ……なにが、大丈夫? だっ。
「この、悪魔っ」
 叫ぶと「アタシ、何もやってないわよ」と返ってきた。
 今までとは、口調も表情もまるで違う。
 どこかけだるい、蓮っ葉な態度。まるで盛り場の女のようだ。
 やっと。思った。
 やっと、本性を見せた!
 立ち上がり、「分かってんだよ、あんたが全部仕組んだってことは!」怒声をあげる。あまりの怒りに身体中の血が燃えていた。

 しかし、安奈はこれに動じることなく、あざけるような笑みを見せる。
 そして、ゆったりと続けた。
「……人のせいにしないでよ。アタシ、何にもやってないわよ。アタシがやったのは……ただ、ちょっと背中を押しただけ。あんたたちの背中を、ただちょっと押しただけ」
「なっ」
「吾川を殺したのもあんた。今、暴れたのもあんた。ほぉら、アタシ、何もやってない」
 安奈は両手を広げ、高らかに宣言する。
 その言葉に、エリの心は翻弄される。弱められる。
 私、このナイフを使っていつかはやってやると思ってた。吾川のヤツも、なんだか死にたがっていたような気がする。彼女の首を締めたのは私だ。……だけど。
 たしかに殺したのも、暴れてしまったのも私だけど。……だけど!

 かろうじて保っていた意思を撃ち砕いたのもまた、安奈だった。
「……越智を殺したのも、あんただよ」
「う、うそ」
 視線を足元に落とす。柚香は自分のすぐ隣りで倒れこんでいた。抱き起こすと、ぬるっとした感触を得る。
 柚香の頭にあててた右の手の平が、何かに濡れていた。
 燭台の灯かりに浮かび上がる、その色。真っ赤な血の色だ。
 それは、柚香の後頭部から流れ出ていた。
 驚き、支えていた腕から柚香を放してしまう。
 さらに、下敷きになるようにして倒れる津山都。彼女は血を流していないが、気を失っているのか、ぴくりともしない。
 動けているのがエリだけだったため、安奈は素顔を見せたのだろう。
 そうでなければ、正体を隠し続けたに違いない。
 この女は本当に中学三年生なのだろうかと、思った。

 ただ、都の気絶は一瞬のものだけだったらしい。
「う、ん……」
 ややあって、都が呻いた。
 起き上がり、場の様子にはっと息をのむ。
 そして、至近距離にいた殺人者……エリのことだ……に驚き、「いやっ」身体をよじり、避ける。
 その姿に傷つけられながら、再度視線を安奈に戻す。
 ……唖然とした。
 安奈が手に持っていた物を見、唖然とした。
 じゃらじゃらとストラップがついたピンク色の携帯電話。
 それは、見慣れた友人のものだった。都に見られないように、すぐにポケットに仕舞い直していたが、間違いなくあれは、佐藤理央の携帯電話だ。
 安奈がにやりと笑う。
「な、なんで、あんたが……」
 質問のてい を取った台詞だったが、すでに全ては理解できていた。
 死者からのメール。
 あれもまた永井安奈の仕業だったのだ。
 
 これが決定打となった。
 エリの闘争心がぷつりと切れる。
 ぱんっ、膨れ上がった風船が割れる音を聞く。
「あああああああっ」
 恐怖にかられ、玄関口へと駆ける。
 柚香の血ですべる指先にももどかしく夢中で開錠する。
 そして、走り出す。足よりも先に怖気おぞけ が前を駆けるため、門柱のあたりで体勢を崩し転び、膝をすりむいた。痛みなど感じなかった。恐れの感情がさら高まった。
 地図が入ったパスケースを首から下げているのだが、身体にまとわりつき、それでまた慄然りつぜん とする。

 やだやだやだやだやだ……。
「エリっ」
 誰かが追いかけてくる気配。
 エリにはそれが安奈に思えた。彼女がにやにやと笑いながら追いかけてくる。その手にあるのは、操り糸。
 走りながら、「あ……」小さくつぶやく。
 ……私、いったい何度目だったんだろう? 私が吾川を殺したのは、私がユズを殺したのは、何度目だったんだろう。合流以来、あいつはしつこいほどに私をイラつかせてきた。きっと何度も何度も私を操ろうとしてきたんだ。……ぜんぜん! ぜんぜん気がつかなかった! 気がつくチャンスはきっとあったのにっ。
 しかし、ここで事実が突きつけられる。
 ……ああ、違う。気がついてからも、私、操られたじゃないか。ユズを殺したじゃないか!
 この思考もまた安奈に操られてのもののような気がし、戦慄に身を焦がす。
 生きるための本能ではなく、これ以上操られることへの拒否反応をエネルギーにエリは走りつづける。
 その先にあるのは、漆黒の闇。



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飯島エリ 
気が強く、佐藤理央と一緒に尾田陽菜をいじめていた。死んだはずの理央の携帯から「みやこにころされた」とメールが入り、動揺している。