<吾川琴音>
寝室には寄り添うようにベッドが二つ置かれており、壁の一面がクローゼットになっている。
琴音がドアを開けると、ベッドの上に膝を抱えて座っていた飯島エリがびくりと肩を上げ、顔を上げた。
「あ、ごめんなさい」
驚かしてしまったことを謝ると、「ううん……」彼女は軽く首を振り、うつむく。
怒りは通り過ぎたのだろう、今度は勢いを失っている。
「服、取りに来ただけだから、すぐに出てくね」
刺激しないよう、そろそろと自分のディバッグから服を出す。
ここで、はっと息をのんだ。
こうしている間に越智柚香が毒入りの果物に手をつけたら?
あんなにも親切な彼女を殺してしまったら?
そんな懸念が琴音に息をのませた。
毒の可能性を伏せていることの罪深さは元々感じていたが、どこか他人事のようにも思っていた。
それが酷く恥ずかしいことだと、今更のように気づく。
「駄目だ」
こうしている間にも、柚香が命を落とすかもしれない。
慌てて立ち上がろうとしたところで、息苦しさを感じた。
またしても喘息発作の予兆だ。
さっきあったばかりなのに……。
激しくせき込む。
発作止めの薬は心臓に負担がかかるため、多用は制限されている。
なんとか自然におさまらないかと、無理やり呼吸を整えようとしていると、琴音の首筋に誰かの手がかかった。
「なっ」
振り返ろうとしたが、抑え込められ、身動きが取れない。
そのまま床に組敷かれてしまう。
弧を描いた腕がベッドの足にあたり、痛みに呻く。
「うるさい、うるさぁいっ」
落ちてくるのは少女の声だった。
身をよじり、身体の向きを変える。
果たして、首を絞めているのはエリだった。
顔は紅潮し、極度の緊張と恐怖が見て取れる。口元にはあぶくのような唾液。振り乱した長い髪。
明らかに度を失っている。
「だ、誰か、やばい誰かが来るじゃないっ」
追い詰められた顔。
部屋の中で咳をしたとて外に音が漏れることなんてないはずだが、そんな理屈もこの様子では届かない。
エリの両手をがりがりと掻き毟る。
生への渇望。
飛びそうになる意識の中、琴音は迫りくる死に抗っていた。死を願っていたはずなのに、抗っていた。
と、琴音の脳裏に安奈の顔が浮かんだ。
彼女は死にたいと言っていた。
彼女に先を越されたら、自分は死ねなくなるかもしれない。
抵抗の手が緩む。
……死ねる。これで、楽になる。
願う自殺の形ではなく、首を絞められ苦しみの中に放り込まれてはいるが、これで安奈よりも先にプログラムと言う恐怖から逃れられる。
そう思った頃、騒ぎを聞きつけたのだろう、階段を駆け上がる音がした。
「な、何してるの!」
津山都の悲鳴のような声。
その後ろに越智柚香の顔も見れる。
そして、永井安奈。三者三様、驚いたような顔をしていた。
息苦しい。
喘息発作なのか首を絞められているからなのか分からないが、とにかく苦しかった。
そんな中、柚香が無事であったことにほっと胸をなでおろす。
ついで、言わなくてはと思った。
果物に毒が混じっていることを伝えなくてはと。
エリの肌に爪を立てていた右手を外し、柚香の方へ向ける。
手が自身に向けられていることに気付いたのか、柚香が眉を寄せる。
「ど、くが……」
毒入りの可能性を言いそびれ、そのまま伏せ続けてしまった。
それは、琴音の気弱から生じた罪だ。
罪は償わなくてはならない。罪は重ねてはいけない。
「ど……」
「うるさい!」
しかし、エリに邪魔をされてしまう。
首に掛けられた両手の力が増した。琴音が言葉を発したことでさらに恐怖に駆られたか。
眼球内の血管が切れたのか、額かどこかを切り血が目に流れ入ったのか、視界が真っ赤に染まる。
「ど、く……」
必死の思いでメッセージを繰り返す。しかしそれも長くは続かなかった。
−吾川琴音死亡 14/32−
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