<吾川琴音>
「み、美夜ちゃんっ」
吾川琴音は黒髪の少女に声をかける。
しかし、彼女はぶつぶつと何かを呟くだけで、視線は自身の手元……黒髪の人形に向けられたままだ。
制服に身を包んだ華奢な体躯、透き通るような白い肌。黒目がちな大きな瞳。
肩までのおかっぱ、前髪は眉のあたりで切りそろえられている。
琴音の友人で、同じ園芸部の結城美夜だった。
「ね、美夜ちゃんってば」
さらに名を呼ぶが、やはり反応はなかった。
どうやら自分の世界に閉じこもってしまっているらしい。
声をかけているのに、進む足が止まらず目はうつろで、気味が悪かった。
気味が悪いと言えば、彼女が抱えている人形も同様だった。
着物姿。髪の長さが腰ぐらいまでであること以外は美夜によく似ており、まるで生き映しだ。
午前三時。
深い闇の中、月明かりに家々がぼうっと立ちあがって見え、薄気味悪い。
振り返れば、琴音が身を潜めている教会の建物が見える。三角屋根の上に十字が掲げられていた。
風はないのだが、冷え込みが強い。
琴音がぶるると身体を震わせたのは冷気のせいか、美夜に禍々しさを感じたせいか。
「どうしちゃったの? 結城さん」
傍に立っていた越智柚香が怪訝そうに眉を寄せる。
「分からない」
教会堂の窓から外の様子を伺っていたら、美夜が通りかかるのが見えた。
一緒にいる津山都らに了承を得、彼女を迎えることにしたのだが……。
「ね、美夜ちゃん、私たちここに立てこもってるの。美夜ちゃんもどう? 津山さんや永井さんもいるよ」
飯島エリの名はあえて伏せておいた。
気が強く意地が悪い彼女のことを、もともと美夜は怖がっていた。
しかし、柚香が「エリもいるよ」と付け足してしまう。
案の定、美夜はびくりと身体を震わせた。
歩みを止め、「飯島……エリ」呟く。
「そう、エリ。一緒にいようよ」
この場にいるのは、琴音の他は美夜と柚香だけだ。
他のメンバーは教会の中にいる。
ややあって、「殺してください」美夜が声を落とした。やけにはっきりと聞こえ、ぎょっとする。
「なっ」
「ミヤコ様。どうか、飯島エリを……」
驚いている友人に気づいているのかいないのか、美夜は抱えている人形に呪詛を願う。
「なにそれ、都がどうかしたの?」
柚香が問うが、美夜は「殺してください。殺してください」と繰り返すだけ。
会話になっていない。どうやら、飯島エリの名に反応しただけのようだ。
「都様って何さ」
柚香が眼鏡の奥の瞳を丸くした後、「あっ。都のことじゃないのか」顎先をびくりと上げる。
何か思い至ったようだ。
ややあって、「吾川」名を呼ばれる。
「え?」
「あんた、結城と仲いいよね」
「う、うん」
「結城ってさ、一年の途中からの転校生じゃん。その前どこにいたかとか知ってる?」
「姫路」
美夜は転校前のことをあまり話したがらないが、そのあたりは知っていた。
「そう、姫路。……実は、私も小学校までは姫路に住んでたんだ。中学に上がる前に親の仕事でこっちにきたンだけど」
なぜだか、迷うように言ってくる。
「へぇ。じゃ、元から知ってたの?」
訊くと、やはり迷いつつ柚香は頷く。
「学校が違ったから、顔は知らなかったんだけど……彼女、あっちじゃ有名だったから」
「有名? ……あ、もしかして」
思い出したことがあった。
「知ってる?」
「うん……」
おそらくあのことを言っているのだろうと見当がつき、琴音は腕を組み、自身の顎先を撫でた。
今年の春先のこと、学校休みの日に、街に美夜と映画を観に行った。
観終わり、映画館を出たところで、見知らぬ女性から美夜が声をかけられた。
その中年女性は、美夜に「ミヤコ様!」と呼んできた。
……美夜ちゃん、名前呼び間違えられてる。でも『様』って?
横で戸惑っていると、さらにその女性はすがるようにして美夜の手を掴んだ。
美夜は迷惑そうに、「もう、やめたの」と答えていた。
首を振る美夜に「どうしてですか?」女性が食い下がる。
「もう、しない」
「どうしてです? 私の願いを聞いてくださいっ」
結局、5分ほど押し問答は続き、逃げ出すようにしてその場を離れることになった。
そのあと、手近なファーストフード店に落ち着いた。
しばらく二人してハンバーガーを見つめていたが、意を決して琴音は声をかけた。
「ミヤコ……さま?」
「そう、呼ばれてたの」
うつむいたまま美夜が答えてくれた。
実は、美夜と女性の話を横で聞いていたので、事情は大よそ分かっていた。あまりに突飛な話だったので、戸惑い、問いかける形になったのだ。
美夜は姫路で祈祷師のようなことをしていたようだ。
件の女性はそのころの信者の一人だった。
誤魔化すことはできないと思ったのだろう、美夜は長い髪を撫でつけながら、ぼつぼつと話してくれた。
……そのころは美夜の髪は長かった。
しかし、いつだったか、羽村京子に切られてしまったのだ。
京子は美夜のことを嫌っており、辛くあたってくる。
彼女は不良娘ではあるが、美夜や琴音といった大人しい女子を苛めるタイプではない。なぜ美夜を目の敵にするのか、不思議だった。
髪を切ったことについては、「酷いことをするな」と美夜に同情していたが、どういうわけか美夜は気にしておらず、むしろほっとしたような表情をしていたので、あまり触れないでおいた。
まぁ、乱暴な京子に変わらず恐れは抱いているようだったが。
美夜の話は、本当に突拍子もなく、驚かされた。
嘘か真か、彼女には小さなころから、人の吉凶が見える不思議な力があったらしい。
地元では評判になり……柚香の「あっちじゃ有名だったから」という話しもそのことだろう……周囲に人が集まるようになった。
この流れには、美夜の母親が深くかかわったらしい。
美夜があまり話したがらなかったので正確には分からないが、母親は娘の力を利用し宗教団体のようなものを作ったようだ。
教団は次第にカルトに向かい、美夜の祈祷も呪術めいたものになっていったそうだ。
人に頼まれ、ターゲットに災いをかける。
先ほどの女性の依頼も、そんな内容だった。
そのまま姫路いたら彼女にとって決して良くないことになっていたのだろうが、母親が事故で死に、元々教団を不快に思っていた美夜の父親が半ば強引に終わらせたようだ。
住まいを変え、信者とも手を切った。
そうして、ようよう生活も落ち着いた。
父親のおかげで彼女は救われたのと言えるのだが、この父親は父親で問題のある人で、酒癖が悪く、美夜に暴力を振るう。
美夜が羽村京子や楠悠一郎などの乱暴な生徒や、飯島エリや佐藤理央といった気の強い生徒を嫌う理由も、この辺りから来ているのだろう。
「ミヤコさま。同じ学年だし、姫路の中学生……女子の中じゃ有名だったんだ。女の子はそーいう話し好きだしね」
わざとだろう、柚香が明るく話した。
丸顔に丸いフレームの眼鏡。丸い瞳。ぷっくりとした唇。
決して太っているわけではないが、ころころと柔らかいイメージの外見だ。
「だから、後から結城が越してきたときは、びっくりした」
「うん……」
と、ここで気づいた。
神戸第五中学校では、美夜の過去のことは知られていないはずだ。
ということは、柚香が黙っていてくれたということだ。
まじまじと彼女の顔を見つめる。
美夜は祈祷師めいたことはもうしたくないと考ていた。また、長じるにつれ、そんな力も無くなってしまったらしい。この二年は何も見えなくなったと言っていた。
彼女は、姫路では相当に居心地悪く暮らしていたはずだ。
神戸に来て、平穏な生活を得た。
しかし、柚香が面白おかしく周囲に話していたら、そんな生活も終わっていただろう。
もともと、柚香が所属しているグループは噂好きだ。
佐藤理央(安東涼が殺害)や飯島エリは、毒気もふんだんにあった。
そんな中、美夜の過去を黙っていてくれたことは意外だったし、有難かった。
グループがグループなだけに、正直なところ柚香には良い印象を持っていなかったのだが、考えを改めた方がよさそうだ。
結局、美夜を止めることはできず、彼女はふらふらと夜の闇の中へ消えていった。
その後ろ姿に禍々しいものを感じ、背筋が冷えた。
また、彼女は飯島エリや羽村京子の死を願うような呪いの言葉を呟いており、それも気味が悪い。
と、喉に閉塞を感じた。
激しくせき込む。琴音は喘息持ちだ。
あわててポケットから発作止めのエアゾール剤を吸引する。
効果はてきめんで、閉塞がとけ、胸がすっとした。
「大丈夫?」
「うん」
冷気にさらされたこともあるだろうが、プログラムであることも発作の要因だろう。
ストレスも喘息発作の引き金になる。
発作止めの薬は心臓に負担をかけるため、一日の使用回数を制限されている。
効果も一時的なものだ。
極力使用は控えたいのだが、普段よりも発作が出るため、なかなか思うようにはいかなかった。
「結城、どうかしちゃったみたいだね……」
柚香が顔をしかめる。
プログラムの恐怖に耐えきれなかったということか。
その振舞いから、美夜がどのように気が触れたかは見当がついた。
あの人形はおそらく支給武器だろう。
髪が長いこと以外は美夜にそっくりだった。
銃器でも刃物でもない人形は、いわゆる外れ武器だ。ただ、彼女に多大な影響を及ぼしてしまったようだ。
美夜はおそらくあの人形にかつての自分を見ている。
まだ髪が長く、請われ、周囲に呪詛をかけていたころの自分を。
そして、『ミヤコ様』に飯島エリや羽村京子の死を願っているのだろう。
あまりに悲しく、恐ろしい話だ。
彼女が消えた闇に目を向ける。
闇の黒が色濃くなったように感じられ、琴音はぶるると身体を震わせた。
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