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            <野崎一也>  
 
   野崎一也は、夜の砂浜 
            を慎重な足取りで進んでいた。 
 強く、磯の香りがする。 
 スニーカーの隙間から砂が入っているのが気持ち悪かったし、黒い海も薄気味が悪かった。 
 ざざざと波の音だけがする。 
 茶色のブレザー姿に身を包んだ華奢な中背。自然に流したやや長い黒髪が浜風に撫でられ、さらりと揺れる。切れ上がり気味の細い瞳。 
 配布物資が詰まった大型のディバッグを背負っている。 
 手の震えが止まらない。 
 
 午前2時すぎ。島の電気は止められているので、民家や街灯の光はないが、月星により、ある程度は見通せる。 
 10月の始め、潮風に外気が冷やされ、少し肌寒い。 
 沖合には小船が見えた。ディバッグから出てきた双眼鏡で船を見ると、船体に陸軍の軍章が施されていた。 
 作戦本部が敷かれているという船ではないだろう。サイズが小さすぎる。おそらくは、巡視船だ。 
 他の船影はまるで見えなかった。この角島 
            が瀬戸内海のどの辺りにあるか知らないが、船行ラッシュエリアの異名を取る瀬戸内で巡視船以外の船舶が見えないのは、いかにもおかしかった。 
 航行制限でも引かれているのだろうか。 
 
 拉致時と説明後に二度吸わされた睡眠ガスの影響は抜けきっておらず、身体がふらつく。 
 初期位置を知らせるためだろう、地図を見ると、一か所に丸印が入れてあった。 
 また、配布の腕時計にはGPSも仕込まれているのか、エリア名が表示されていた。地図の丸印と腕時計の表示を照らし合わせ、現在地を確認する。 
 どうやらここは西の浜にあたるようだ。 
 地図によると、少し南に行けば集落の一つに行きあたる。また、北側に小さな丘が見えた。 
  
 誰かに物陰から狙われているのではないかと思うと怖くて怖くて堪らなかった。 
 幸か不幸か、一也の手元には充分な戦力がある。スミス&ウエスン社のM19。通称コンバット・マグナムという回転式拳銃だ。高威力の357マグナム弾を6発装弾できる。 
 拳銃が入っていたケースに同封されていた説明書によると、この銃は反動が強く素人には扱いが難しく、また、装弾数も他の銃に比べて少ないらしい。 
 そもそも素人に銃を満足に使えるとは思えなかったが、威嚇にはなるだろう。 
 説明に従い、安全装置は既に外してある。 
 
 ズボンのポケットに入れた私物の携帯電話に、手を這わせる。 
 さきほど試しに高志や学にかけてみたが、繋がらなかった。やはり説明通り、指定された時間、この会場内の通信のみ許されるようだ。 
 ……早く、高志とかに会いたいのに。 
 唇を噛む。 
 先ほど目覚めたとき、修学旅行に持ってきた学校指定のスポーツバッグも横に置かれていた。バッグ二つを持ち歩くのは邪魔だったので、スポーツバッグは捨て、必要な物だけディバッグに詰め直していた。 
 
 
 突然、銃声が連続して辺りに響き、びくりと肩を上がる。慌てて岩陰に身を隠し、銃を構えたが、音源は少し遠い位置のようだった。 
 方角的には、南の集落 
            のあたりか。 
 銃声を聞いたのはこれが初めてだった。 
 ああ、始まったんだな、とため息をつく。 
 覚悟はしていたが、実際にその証拠にあたることになった絶望感は予想以上だった。 
 次ぐ、連撃音。 
「……マシンガン?」 
 今までに一度も発したことのないフレーズが自然に出てき、遅れてぞくりと背筋が凍りつく。 
 
 怖くて怖くて堪らなかった。 
 ……俺って、こんなに臆病だったんだ。 
 知らなかった事実に打ちのめされる。 
 遊園地のお化け屋敷や落ち物アトラクションの類には強いし、ホラームービーにも強い。どちらかといえば、肝は据わっている方だと思っていたのだが、間違いだったらしい。 
  
 と、「野崎?」と誰かに声をかけられ、「ひゃっ」と短く切った声を上げた。 
 見やると、そこには茶色地のブレザー姿の渡辺沙織がいた。 
 女子にしてはがっしりとした体格、太い眉ときりりと引き締まった口元がどこか凛々しい印象を与える。長く艶のある黒髪を首筋の辺りで一本にまとめている。 
 沙織は、ほっとした顔を見せた。 
 一也の幼馴染である高志が、沙織と仲がいい尾田陽菜に熱を上げていたこともあって、黒木優子を加えた彼女たち三人とは、それなりに親しくしていた。 
 まずは安全だろうと判断してくれたに違いない。 
 しかし、前髪を下ろしていないのでよく見える沙織の額につっと汗が流れる。姉御肌で周囲の面倒をよく見ていた女子クラス委員も、やはり恐ろしいのだ。 
 怖いのは、俺だけじゃない。そう思うと少しだけ気が落ち着いた。 
 銃を握り締めたまま、「一人?」と訊くと、沙織は無言で頷いて返した。 
「そっちは?」 
「俺も一人」 
「そか」 
「生谷は、一緒じゃない?」 
 唐突な質問に、「高志? うん、会えてない」と答え、どきりと脈を上げた。 
 高志ともう二度と会えないような気がしたのだ。ダメだ。そんなことを考えちゃダメだ。と、心の中で頭 
            を振る。 
 
 緩んでいた沙織の表情が固まった。 
「伝えといて」 
「え?」 
「もし、生谷と、合流できたら、伝えといて」 
 心なしか潮の匂と波の音が、強まったような気がした。遠くに本土の明かりが見える。 
「渡辺……?」 
「私、生谷のこと、ちょっと好きだった」 
「えっ?」 
「ちっちゃいけど、元気で、熱くて、なんか、生きてるって感じがして、好きだった」 
「渡辺……」 
 先ほどよりも低い声で、彼女の名前を呼ぶ。 
 
 高志は、彼女と仲のいい尾田陽菜 
            のことが好きだった。何事もオープンな高志のこと、誰でも分かるぐらいあからさまに陽菜にアタックしていた。 
 陽菜といつも一緒にいた沙織は、その様子を間近で見ていたはずだ。 
「そんな顔しないでよ」 
 くすくすと沙織は笑う。 
「そんな顔しないでよ」もう一度言い、「そんな顔されたら、もっと情けなくなっちゃう」視線を足元に落とした。 
 沙織が、ゆっくりと歩き出した。波打ち際に立ち、足元を波にさらわれるままにしている。 
 
「あ、あのさ、俺さ」 
 つかえながらも言葉を押し出すが、続きが出なかった。 
 自身が矢田啓太郎のことを好いていることを言おうか、迷ったのだ。 
 彼女は辛い恋をしていた。そんな自分を情けないと思っていた。 
 君だけじゃない。自分もずっと情けない思いをしてきたんだ。君は一人じゃないんだと言いたかった。 
 だけど、言えなかった。 
 こんなときなのに、彼女が何をするつもりなのか予期できているのに、カミングアウトの重圧に一也は負けた。秘密を明かすことはできなかった。彼女に蔑まれたら、と思ってしまった。 
「これ見て」 
 そう言って彼女が差し出したのは、緑色の封筒だった。 
「レターセット。これが私の支給武器。……伝えておけばよかったのかな。直接言うのは恥ずかしいけど、手紙なら……」 
 はにかみながら沙織は言う。 
「今からでも」 
 そうだ、今からでも遅くない。 
 しかし、一也の言葉に、沙織は小さく首を振った。 
「私、行くね」 
 海の先を見ていた沙織がぴんと背筋を伸ばす。凛々しい、誰よりも凛々しい彼女の横顔。 
 ゆっくりと、沙織が暗い海の中へと入っていく。 
  
 しっかり者で、誰からも頼られた沙織。 
 彼女の死を、一也は呆然と見届けた。 
 
 
 
 
−渡辺沙織死亡 31/32−
 
              
            
            
            
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