OBR1 −変化−


059 2011年10月02日02時00分 


<藤谷龍二> 


 北の海岸
を、藤谷龍二は右足を引きずり、西へ進んでいた。
 右手にはサムライエッジ。
 龍二に支給された拳銃だ。
 このあたりは松林になっていた。それぞれ針状の葉が茂り、幹の皮は固い殻により縞模様になっている。
 左手は切り立った崖になっており、そのまま北の山へと続いているようだ。右手は浜辺になっており、その先に暗い海が広がる。
 ざざざと波が立ち、強く潮の香りがする。
 釣り用のボートが繋いである個所もあり、海へ逃げられないかと考えもしたが、巡視船が見えたため、諦めている。
 どうせ、この忌々しい首輪で居場所は政府に把握されている。
 海に逃げたとて、首輪に仕込まれた爆弾で殺されるだけだ。

 首につけられた金属製の環に手をやり、龍二は深く息を吐く。
 疲労に、息が乱れている。
 龍二はプログラム開始以来、つい先ほどまで、誰ともまともに対面していなかった。ずっと、あの野原の片隅で震えていたのだ。
 そこに現れたのが、野崎一也と中村靖史の二人だった。
 彼らを見た瞬間、背筋に悪寒が走った。息がつまりそうな恐怖。
 単純に、死ぬことが恐ろしかった。
 恐ろしくて恐ろしくてたまらず、サムライエッジを彼らに差し向けた。
 一也とはあまり話したことがなかったが、靖史とは部活が同じで親しくしていた。
 友人に向ける殺意。
 自分が何かとてつもなく罪深いことをしているという自覚はあったが、とにかく死にたくなかった。生きて帰りたかった。
 射撃などしたことはなく、照準を合わせる余裕はなかったのだが、幸か不幸か野崎一也の肩口を傷つけた。
 それでまた怖くなる。

 襲ったのは龍二だし、先手が取れたこともあって有利な立場にいたのも龍二だった。
 しかし、恐怖心は消えなかった。
 身体は震え、脂汗に濡れ、嘔気に蝕まれる。
 人を殺すと言う最大の禁忌に対する拒否反応。
 それでも、不思議なことに、二人を追う足は止まらなかった。「どうして? どうして?」自分自身の行動に疑問符を投げかけながらも、彼らを襲った。
 そんなとき現れたのが羽村京子だ。
 彼女にショットガンで撃たれ、いっきに現実に戻された。
 そして今は無様に足を引きずり、松林の中だ。
 
 懐中電灯の明かりが揺れる。
 月星があるので付ける必要はないのだが、暗がりが恐ろしく、少しでも光源が欲しかった。

 身の程知らずだったのだと思う。
 奪う側に立とうだのと、分不相応な夢を見た。
 そう、自分は奪う側などではない。プログラムにおいて、奪われ、搾取される側なのだ。
 勉強も運動能力にも自信はない。
 万事に不器用。
 人の輪の中心に座る様な質でもないので、クラスでの居場所はいつも片隅だ。
 そんな自分が奪う側に立てるはずがなかったのだ。
 屈折した思考。
 しかし、元々の龍二はそれほど自虐的ではない。
 存在感が薄いことは自覚しているが、目立ちたい欲求があるわけでもないので、それはコンプレックスにはならなかった。
 地味なりに自分なりに、穏やかに学生生活を過ごせればそれでいい。
 そう思っていたし、実際その意味ではうまくやれていると思ってもいた。
 このクラスで親しくしていたのは中村靖史ぐらいだったがそれで十分だったし、クラス外には、写真部の仲間がいた。
 積極的ないじめの的になったこともない。
 楠悠一郎から時折からかいの言葉を向けられたが、あのタイプの生徒は誰にでも似た様なことをする。
 そう、龍二は龍二なりにうまくやれていた。……この夏までは。

 最近悩まされている事象を思い出し、龍二はもう一度ため息をついた。


 と、「藤谷」誰かに声をかけられた。
「ひっ」
 悲鳴を上げ、飛び上がる。
 その誰かが海側の茂みから出てくる。
 用足しでもしていたのだろうか、ズボンのベルトを締め直している。男子生徒だ。
 華奢な中背、つるりとした丸顔、運動とは縁のないことがうかがえる白い肌、やや長い肩にかかる黒髪。切れ上がり気味の瞳から冷ややかな印象を受ける。 
 それは、小島昴こじま・すばる(場面としては初)だった。
「小島……くん」
 よりにもよって。
 目の前がくらくらした。
 小島昴は、龍二が一番会いたくなかったクラスメイトだった。
 そして、彼がくだんの事象そのものだった。

 二か月前、夏休みに入ってしばらくたったころ、万引きをした。
 コンビニで週刊誌を盗ったのだ。
 その雑誌が特段ほしかったわけではない。小遣いが足りなかったわけでもない。出来ごころ。ちょうど親と詰まらないことで喧嘩し、むしゃくしゃしていたのも関係していたのかもしれない。
 万引きが出来ごころですまされない犯罪であるという認識は、あった。
 それまでにしたこともなかった。
 だけど、手が動いてしまった。
 生まれて初めて行った犯罪。
 しかし、その様子を、小島昴に見られてしまったのだ。

 それ以来、昴にいい様に使われてしまっていた。
 休みともなれば呼び出され、買い物や映画に付き合わされる。もちろん、代金は龍二が払わされた。
 両親はしつけに厳しかったが、近くに住んでいる祖父母が孫に甘いため、隠れて中学生に不相応な小遣いをもらっていた。その貯金があり、昴もそれほど多額を要求してこなかったので、金銭的には何とかなったが、それでも屈辱的であることには変わりはなかった。
 他にも色々させられた。
 女子生徒の着替えを盗撮させられる。
 万引きをさせられる。
 また、西沢海斗の靴を隠すよう指示されたこともあった。女子生徒に人気のある海斗のことを昴は嫌っていた。
 幸いと言って良いのか昴に暴力趣味はないようで、肉体的に傷つけられることはなかったが、龍二の気分を沈ませるには充分だった。
 もしかしたら、昴の意図はそこにあるのかもしれなかった。
 せびられる額が小さいこと、暴力は振るってこないことあたりからも、うかがえる。
 昴は龍二の意気を落としたいのだ。征服したいのだ。
 嫌で嫌でたまらななく、どうにかしたかったが、龍二には人に流されるところがあり、ずるずると主従関係を続けてきた。

 憂鬱に過ごすようになった日々。
 部活が同じ中村靖史が気づき、心配してくれていたが、相談するには万引きの話をしなければならず、また親しくしていたと言っても心の内をあけるほどではなかったので、とても話せなかった。


 サムライエッジを持った右手を身体の陰に隠し、後ずさる。その拍子に撃たれた左脚が痛み、ぐううと呻いた。
「おい、酷い血だな。大丈夫か?」
 真っ赤に染まったズボンをまじまじと見つめてくる。
「誰にやられた?」
「は、羽村に」
 彼の質問には答えなくてはいけない。
 強張った身体を叱咤し、頷く。
「羽村か。プログラムで近寄りたくない生徒トップ3に入るな」
 しかし、いま龍二が畏怖を感じるのは、羽村京子ではなく、小島昴だ。
 何とかしてこの場をやり過ごしたい。強く、願う。
 と、ここで思いついたことがあった。
「あの、これ」
 右手を……サムライエッジを差し出す。
「これ、あげるから……見逃して」
「あ?」
 乱暴な聞き返しに、身体を強張らせる。
 結局、昴に銃を渡し、説明書や予備の弾丸も渡した。

 彼は物珍しそうに銃をあれこれともてあそんでいたが、やがてゆらりと銃口を龍二に向けてきた。
「ひっ」
 心臓が縮みあがる。
 どうして銃を渡したのだろうと自身の行動を悔い、染みついた服従心がそうさせたのだと遅れて気づく。
 そんな龍二を見やり、昴が皮肉げに笑う。
ンねぇよ。お前なんか殺っても、メリットがねぇ」
 そう言うと、試し撃ちだろう、昴は夜空に向かって一度引き金を引く。
 銃撃の衝撃でびりびりと空気が軋んだ。
 首をすぼめ、「……メリット?」訊く。
「生き残るためには手したが必要、だろ」
 仲間とは言われないあたり、いかにも彼と龍二の関係らしい。

 ややあって、昴が目を細めた。左の口角があがり、含み笑いの表情になっている。
 ……あ、いつもの、だ。
 絶望感に襲われる。
 それは、彼に下って以来、何度となく見てきた顔だった。
 龍二をいたぶり無理難題を課すときの小島昴だ。
「そうと決まれば、ご褒美をあげないとな」
「え?」
「藤谷にはこれから役立ってもらうンだから、ご褒美だ」
 くいっと顎先をそばの茂みに向ける。
 高さ1メートルほどの笹が生い茂っている。先ほど、昴が出てきた茂みだ。
 わざとだろう、ゆったりとした動きで、昴が笹の群生を掻きわける。
 おずおずと懐中電灯の明かりを、暗がりに向ける。
 切り取られた光の輪の中、まず目に入ったのは、白色だった。続けて、目が覚めるような赤。

 たっぷり10秒ほどかけて、それが何であるかを認識した。
「き、ざわ?」
 木沢希美(場面としては初)だった。木沢希美が茂みの中、横たわっている。
「そ、そんな……」
 白色の正体が先に龍二の脳に届き、ぎくりと脈を上げる。それは、カッターシャツだった。制服の上着ははぎ取られ、地面に落ちている。シャツのボタンのいくつかは外れ、スカートの裾が乱れていた。
 そして、赤。
 腹部のあたりに大柄のナイフが付きたてられており、シャツが赤く染まっていた。
 最初に昴がズボンのベルトを直していたことを思い出さなくても、何があったのかは想像がついた。
 希美は眉をぎゅっと寄せ、脂汗をかいていた。手足が小刻みに震えている。……まだ生きているのだ。
「なんで……」
 こんなことを?
 訊こうとしたら、昴が声を立てずに笑った。
「さぁ、ご褒美だ」


 
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