<野崎一也>
時計の針は、ほんの少しを戻る。
午前一時、野崎一也と中村靖史 は、北の山のふもとにいた。
このあたりは、低い草が茂った野原
になっていた。ごつごつとした大きな岩があちこちに転がっている。
すぐ近く、西側に山が黒い影となって迫ってきていた。上方に、円を描く黄色い月。
北を向けば、遠く、海岸が見通せる。
海岸には、中村靖史が交際している木沢希美がいるそうだ。
ちらりと靖史の顔を覗くが、彼は真一文字に口を結んでいた。
彼は、希美と合流するのが怖いと、彼女を殺してしまいそうで怖いと言っていた。それが、概ね彼女のいる場所へ向かいつつも、遠回りし、躊躇してしまう理由なのだろう。
と、制服のポケットの中で携帯電話が震えた。
どきりと脈を上げ、一也は携帯電話を取り出す。高性能なスマートフォンタイプ。学を通して手に入れた外国製品で、もちろん禁製品だ。
学の家は輸入業をしている。 もちろん指定された友好国とのみ許可されているのだが、ネットや語学に強い学のこと、家業のルートをうまく使って敵性国家の業者とも密かにやりとりをしている。
時折一也にも外国製品を流してくれる。
それは一也相手だけのようだ。啓太郎や高志、国生といった他の友人にはしていない。
……なんでだろう?
今更のように考える。
同じように思想統制院に詰められた経歴にシンパシーを持ってくれているのだろうか。
まぁ、今は電信だ。
「啓太郎……」
メールが着信しており、送信者は啓太郎だった。
恐る恐る本文を読むと、『昼間は電話取れなくてごめん。色々あって取れなかったんだ』とまず書かれていた。
「色々……」
血に塗れていた診療所の惨状を思い出す。
待合室のソファや観葉植物が倒れ、あちこちが血の海になっていた。尾田陽菜、筒井まゆみの亡骸もあった。
診療所で何かがあったのは確定的だ。
問題は、啓太郎がその何かに関わっているかどうかだが……。
息をのんだままメールを読み進めると、今いる場所が書かれていた。
安東涼とは変わらずに同行しており、現在は北の集落近くにいるらしい。丹後ももお議員の後援会事務所があり、そこに身を潜めているそうだ。
「丹後ももおってこんな小さな島の出身だったンだね」
意外そうに中村靖史が言う。
「丹後って結構凄いんだっけ」
「うん。たしか、国防省かどっかの大臣やってたよね」
丹後ももおは軍部とのつながりが強いらしい。
軍部、丹後。そして、プログラム。
何かキナ臭いものを感じ、一也は顔をしかめる。
また、啓太郎が安東涼と相変わらず一緒なのが気にはなった。
涼とはプログラム開始早々に一度遭遇している。
その近くで佐藤理央と生谷高志の亡骸を発見しており、涼自身がもともと何を考えているか分からないタイプだったこともあり、彼らが同行しているのは懸念に値するが、まずは啓太郎の無事に安どすべきだろう。
ほっと胸をなでおろす。
そして、自分も何か送ればよかった、電話をかければよかったと後悔した。
一度着信を拒否されたことで、恋愛感情を気取られたのではないか気味悪がられているのではないかと心配し、彼との連絡に及び腰になってしまっていたが、よくよく考えれば愚かな杞憂だった。
自身の質に関しては普段から露見しないよう、細心の注意を払っていた。
秘密は、幼馴染の高志にだけ明かしてはいた。しかし、啓太郎のことは高志にすら話したことが無かった。ばれているはずがないのだ。
プログラム中、啓太郎にも色々あったようだ。
しかし彼なりに気持ちの整理をつけ、こうしてメールを送ってくれている。
啓太郎に倣うべきだと思った。
告白などもちろんできないが、いつまでもうじうじと回り道をしている場合ではない。
啓太郎は北の集落近くにいるそうだ。
北の集落へは、鮫島学と坂持国生も向かっているはずだった。
前回の通話許可時間に学から届いていたメールにそう書かれていた。同報メールになっており、学は啓太郎にも同じ本文を送っていた。
親しくしていた友人たちはみな北の集落付近にいる。
生谷高志とは生きては会えなかった。
このまま回り道をしていたら、啓太郎たちとも会えなくなるかもしれない。
では、向かうべきだろう。
啓太郎への想いは勿論伏せたうえで、北の集落に行くことを決めたと中村靖史に告げる。
靖史が元々丸く大きな瞳をさらに見開き、「怖くないの?」訊いてきた。
「怖い?」
反問してから、彼が恋人の木沢希美のもとに素直に向かえない理由を思い出した。
靖史は、希美を手にかけそうな自分が怖いと言っていた。
「それは……怖いけどさ。でもやっぱ、会いたいよ」
「……そ、か」
頷く。
と、唐突に、「あ……」靖史がぽかんと口を開けた。
視線がすぐ近くの大きな岩の方に向いている。
一也も同じ方向を見やり、ぎょっと身体をこわばらせた。
いつの間にか、岩陰から一人の少年が顔を出していた。
制服に身を包んだがっしりとした長身。短く刈り込まれた黒髪、四角い顔。厳つさを感じる容貌ではあるが、黒目がちな小さな瞳は涙で潤んでおり、まるで雨に濡れる子犬のようだ。
「藤谷……」
靖史が粘っこい声を落とす。
目の前にいるのは靖史と同じ写真部の藤谷龍二だった。
その手には拳銃が見え、空気が凍りつく。
ゆらり、龍二の身体が傾いだ直後、構えられた拳銃が火を噴いた。
幸い、弾丸は誰にも命中しなかったが、場の緊迫感が増す。
「藤谷! ど、どうしてっ」
後じさりながら、靖史が唾を飛ばす。
部活が同じこともあって、靖史は龍二と普段親しくしていた。
その龍二に襲われる衝撃は、どれほどのものなのだろう。
「う、わあっ」
なぜだか、龍二が悲鳴を上げた。
もう一度構えられる拳銃。
一也もコンバットマグナムを所持しているが、まずいことにポケットに入れたままだった。取り出す間もなく、靖史を引きずるようにして駆け逃げるしかなかった。
向かうは、北の山のふもとに広がる雑木林
の中。
生い茂る木々が遮蔽物になってくれるはずだ。
藪に飛び込むと同時、後を追うように銃声が続いた。
「ぎっ」
今度は一也の左肩に命中した。腕が跳ね上がる。
奥は踏みわけ道となっていた。藪を掻き進むか道を行くか迷ったが、龍二との距離を取ることを優先し、進みやすい道を駆けることにする。
踏みわけ道はすぐに急こう配になった。
肩の傷を抑えつつ、這いつくばるようにして進む。
一也自身は陸上部で鍛えているし、靖史も写真部とはいえ運動神経は悪くない。
比べて藤谷龍二は、体育の授業で見る限りその方面はあまり芳しくないはずだった。
負傷したとはいえ、うまくいけば逃げ切れるかもしれない。
はっはっと、靖史の乱れた息がすぐ近くで聞こえた。
「ど、どうして……」
靖史の打ちのめされた声。
「プログラムだ!」
そこに、事実をかぶせる。声が引きつった。こめかみのあたりがぴりぴりと痛む。
そう、これはプログラムだ。
たった一人しか生き残ることができないプログラム。死にたくなければ優勝するしかない。友人同士の殺し合いなど、珍しいことではないだろう。
遅れて、思った。
……俺も?
俺もいつかは啓太郎や学たちと殺し合うのだろうか。もし、高志が生きていたら、あいつと殺し合っていたのだろうか。
分からなかった。
あり得ないと切って捨てることができない自分への嫌悪感も湧き、そんな気持ちにさせるプログラムへの怒りが増す。
振り返ると、藤谷龍二の姿が10メートルほど後方に見えた。
ちょうどうつむいた姿勢のため、彼の表情は分からない。
もつれる足のせいか、追うものと追われるものの心理状態の差か、思ったより距離が取れないことに、心臓が縮みあがる。
もっと逃げなきゃと、前を向き直した瞬間のこと、踏みわけ道の先に黒い影が現れた。
制服のスカートがはためく。
女子生徒
だ。
月の光を背にしているため、彼女の顔もよく分からなかった。
「……誰だ?」
声をかけた矢先、目の前の少女が何か丸い筒のようなものを構えた。
筒先はこちらを向いている。
駆ける足を緩めると同時、筒の正体に気づく。
ショットガンだ!
しかも、明らかに撃とうとしている。息をのみ、左側を走っていた靖史の身体を抱きかかえるようにして、藪の中、暗がりの中へダイブする。
果たして、鈍重な銃声があたりに響いた。
勢いそのまま、藪に突っ込む。
ばりばりと枝葉が折れ、一也の頬を刺す。
思わず瞑ってしまった両の眼を恐る恐る開けると、押し潰した灌木を背にした靖史の顔が目の前にあった。
「野崎……重い」
月明かりの下、靖史が顔をしかめる。
まともに圧し掛かる体勢になっている。
「ご、ごめん」
飛びき、踏みわけ道に戻ると、「ぐ……」誰かの押し潰したような声がほど近くで聞こえた。
坂の下で、藤谷龍二が右の太ももから赤い血を流している。被弾したのだ。立っていられるところをみると、掠った程度なのかもしれない。
一也もポケットからコンバットマグナムを取り出した。
銃口を龍二に向けると、気道を何か冷たいものが通り過ぎていく。
恐怖だ。
思った。
人を傷つける恐怖が喉元を冷やしたのだ。
と、「おい」今度は坂の上から声がした。
見上げると、件の女子生徒が起き上がったところだった。どうやら銃撃の反動で座り込んでしまっていたようだ。今度は腰を低く落とし、ショットガンを構え直す。
スカート、制服とショットガンがあからさまに不釣り合いだ。
「ちょっ」
地面に伏せると同時、再びショットガンが火を噴いた。
頭上を散弾が通り過ぎていく。
反動に、彼女は大きく仰け反った。今度は尻もちはつかずにいられたようだが、体勢は再び大きく傾いでいた。
「ちくしょ、あたんないもんだな」唾を吐く。
どうやら散弾は明後日の方向に消えたようだ。
「ひいいっ」今回龍二は無事だったが、恐れを引き出すには十分だったのだろう、踵を返し、逃げて行った。
その様子を藪の中から見ていた靖史が顔を出し、「あ、ありがと……?」震える声をおしだす。
最後が疑問符になった心情は、一也にも良く分かる。
「俺たちも危なかったンだけど」
少女を睨む。
あのやりようでは、素直に礼がいえない。
しかし、女子生徒は、「まぁ、あんたらに当たっても別にかまわないからな」豪快に笑う。ハスキーな掠れ声だ。
「おいおい、冗談じゃ」
ないと言いかけたところで、言葉が詰まった。
ショットガンの銃口がこちらを向いていたからだ。
「助けてやったお代は、その銃でいいよ」
「は?」
「このショットガン、反動が強すぎて、アタシじゃうまく使えない。だから、その銃」
コンバットマグナムだって相当の反動だろうが、ショットガンよりはましと考えたのか。
銃口を向けられては従うしかない。
決して脅しではないことはこの数分間の彼女の行動で実証済みだ。
仕方なく銃を渡す。
もちろん、ショットガンと交換などしてはくれなかった。ただ奪われる。
「中村も」
「俺のは、テレビのリモコンなんだけど」
「なんだ外れ武器か」
ちっと舌を打ち、かわりに食料を求めてきた。
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