OBR1 −変化−


055 2011年10月02日00時30分 


<安東涼> 


 拙い演技だったが、納得はしてくれたようだ。
「傷……大丈夫?」
 啓太郎の方から話を変えてくる。
 筒井まゆみに剣山で傷つけられた顔の傷は、右のこめかみから右目のまぶたを越えあご先にまで至っていたが、幸いなことに眼球を傷つけてはいなかった。
 支給の医療キッドで簡単に治療しただけだが、どうやら血も止まったようだ。
 血のついた上着は脱ぎ、私服のジップアップシャツに着替えていた。
「大丈夫」
 と返すと、「そか、よかった」ほっと息をついてくれる。
 その善良さには半ば呆れてしまう。
 呑気なことだ。そんな風に斜めにも見てしまう自分もあった。
 まぁ、啓太郎だからこそ、一緒に動くこともできるのだが。
 運動部に所属しているわけでもない涼は基礎体力に欠ける。休息を取る際に見張りを頼める相手が必要だった。


 と、啓太郎がはっと息をのんだ。
 政府支給の腕時計を見つめている。
「どうかしたか?」
 尋ねると、「通話許可時間……」ぼそりと答えてくる。
 そう言えば、もうすぐ夜中の一時だった。 
 このプログラムでは私物携帯電話の所持が認められており、数時間おきに30秒だけ、プログラム会場に限り通信回線が解放される。
 次の解放時間が一時ちょうどだった。
 彼はじっと考え込み、逡巡しているようだ。

 ややあって、啓太郎は制服のポケットから二つ折り式の携帯電話を取り出した。
 何やら真剣な顔で、携帯電話を操作する。
 やがて、顔を上げると、「一也にメールしといた」告げてきた。
 その表情は、穏やかだ。
 一也とは野崎一也のことだ。
 数時間前、診療所で筒井まゆみと戦闘になった。止めを刺したのは涼だが、啓太郎も彼女に銃を向けた。
 彼はその後、人を傷つけた事実に追い込まれ、憔悴しきっていた。
 一也からの電信にもこたえられない様子だったが、やっとで一応の落ち着きを取り戻したということか。 

 訊けば、ここにいることを知らせたようだ。
 ……西沢の次は野崎か。
 啓太郎の人が善いのはいいが、その分同行者が増えるリスクが高いことに今更のように気づく。
 行動を共にするのは、啓太郎一人で十分だ。
 他のクラスメイトは信用ならない。
 しかし、あからさまに啓太郎の行動を抑制するわけにもいかず、「そうか」とだけ返しておく。

 啓太郎が、「あのさ」次の台詞を出してくる。
「ん?」
「安東ってさ、3組の大塚と付き合ってなかった?」
 唐突な話に、多少戸惑う。
 言われた通り、涼は3組の大塚恵と一時期付き合っていた。
 どこで何を見初めたのか分からないが、彼女から近寄ってきたのだ。
 だが、結局二ヶ月ほどで別れた。
 この申し入れも彼女からだった。
 涼は涼でどうやら自分は恋愛に向いていないらしいと思っており、彼女への執着も感じなかったので、受け入れた。
 また交際と言っても、たまに休日を一緒に過ごすだけだった。
 携帯電話を持っていない涼のこと、メールや電話のやりとりも当然ない。
 涼が孤児であることは恵も知っていたので、携帯電話の所持を求めてくることはなかったが、終始あっさりとした涼に不満そうな顔をしていたものだ。
 思えば、会話もほとんどなかった。

 気恥ずかしかったので、学校では一緒にいないようにしていた。
 二人の交際は、ごく一部でしか知られていないはずだ。涼自身はだれにも話していない。どうして知っているのだろうと疑問に思っていると、「一度街で見かけてさ」啓太郎が続けてくる。
「ああ、見られたのか」
 誤魔化す必要もあるまい。
 肯定を返しておく。
「今でも付き合ってるの?」
「いや」
「あれって、大塚から?」
 無言でうなづく。
「そか、やっぱり。まぁ、安東が自分から行くのって想像つかないケド」苦笑され、「ああ、話がずれた。えと、それって一番ってことじゃないの?」問われる。

 ここでやっと、啓太郎が彼女の話を持ち出した意図を理解する。
 筒井まゆみを殺めた後、彼から誰かの一番になったことはあるかと尋ねられた。
 あのときは「ない」と即答したのだが、その話の続きなのだろう。
「安東は、大塚にとっての一番になったってことじゃないの?」
 見れば、彼の肩は小刻みに震えている。
 死の恐怖に震えているのだ。それでも聞きたい事柄なのだろうかと思いながら、「どうだろう」あやふやに返す。
「嬉しかった?」
「え?」
「大塚の一番になったとき、告白されたとき、嬉しかった?」
 少し胸が詰まった。
 嬉しくなかったと言えば嘘になる。
 荒れた両親に育てられ、その両親が事故で揃って死に、養護施設に送られた。その時点でたった一人の肉親だった弟の佑介と離れ離れになった。
 そんな中、大塚恵が好きだと言ってくれたのだ。
 嬉しくないはずがない。
 しかし、彼女とは、告白されるまで一度も話したことがなかった。彼女は、勝手にイメージを膨らませ、幻想に恋をしただけだ。
 その幻想に自分は付き合い切れなかった。だから、程なくして別れた。
 それだけの話だと思っていたのだが……。

「一番か……。そんなこと、考えたことなかったな」
 言葉自体は啓太郎の質問への返事にはなっていなかったが、内に込められた感情は届いたようだ。啓太郎がにこりと穏やかに笑う。
 ああ、そうか。あのときオレは、誰かの大切な存在になれていたのか。
 涼の顔に薄く朱が入る。
 たとえ恵の幻想だったとしても、それは喜ばしいことだった。
「でも、なんでそんなことを?」
 訊くと、啓太郎は少し詰まり、やがて意を決したように「僕、いっつも、その他大勢なんだよね」口を開いた。
「その他……」
「うん。なんかさ、矢田くんっていい人だよねーとか言われるんだけど、そっから先に進まない。友だちもできるんだけど、親友……って言うの? そういう強い結びつきになったことがないんだ。僕、地味だから、一緒にいて楽しいとか、そういうタイプでもないし……」
 思いがけず自虐が出てきた。

 矢田啓太郎はクラスにはちゃんと溶け込んでおり、友だちも多い。
 コイツでもこんなこと考えるんだなと、驚く。
「まぁ、僕の人との付き合い方が悪いんだろうケド」
「付き合い方」
 彼の言葉を繰り返すと、「うん。ある程度の距離感っていうの? そーいうの求めちゃうンだよね。でも、なのに、その他大勢は嫌なんだ。ほんと、嫌な性格だよね」また自虐めいたことを言う。
「嫌な性格って……矢田から一番遠い形容な気がするが」
 特に意識せず告げると、啓太郎が細い目を開いた。
「そんなこと言われても、何も出ないよ。ていうか、安東がそんなフォローくれるなんて」
「なんだそりゃ」
 苦笑いをすると、「わ、笑った」さらに驚いた顔をしてくる。
「……なんだ、そりゃ」
 今度はかなり低いトーンで、同じセリフを返した。
 つい先ほど、西沢海斗と似た様な会話をしたことを思い出してしまったのだ。海斗との記憶は彼の殺害の記憶に容易に繋がり、涼を悩ませる。
「でも、ありがと」
 真面目な顔で礼を言ってくる。

 なんだか気恥ずかしく、「家族は?」話を変えたが、どくどくと脈が鳴っているのが分かる。
「うち、壊れちゃってるから」
 啓太郎は、変わらない穏やかな口調で只ならぬ台詞を吐く。
「壊れ……?」
「離婚も決まってて、今は財産……まぁ、たいしたものはないンだけど、お金とか家とか取りあってるんだ。ソファとかテーブルまで取りあってる」
 ここで啓太郎はふっと息を吐きだし、「でも、僕のことは取りあっていない」切なげに笑う。
 普段教室で見る彼は、穏やかな笑みを絶やさない人間だった。
 おっとりとした波風のない人生を送っているものとばかり思っていたが、彼なりに苦しんでいたのか。

 
 
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安東涼 
積極的にプログラムに乗っている。生涯補償金を得、官営孤児院にいる弟と一緒に暮らしたい。
矢田啓太郎
 
バスケットボール部。野崎一也らと親しい。