OBR1 −変化−


052 2011年10月02日00時30分 


<西沢海斗> 


 危険だとは分かっていたが、疲労にもつれる足を叱咤し、ふらふらと雑木林を歩く。その内、唐突に目の前が開けた。
 雑木林から出ると、のどかな田園風景の中、田舎作りの家屋がぽつりぽつりと肩を寄せ合っているのが見渡せる。遠くには、家々が連なっていた。地図によると、あれが北の集落だ。
 向かって右手には、古びた
平屋建ての家屋 があった。
 裏手に当たるのだろう、勝手口の小さな戸が見えた。井戸もある。

 表に回り、おやと眉を上げる。
 別棟が併設されていた。
 決して新しくはないようだが、母屋よりも近代的なつくりだ。別棟には『丹後たんご ももお後援会事務所』と看板が出ている。『角島出身の代議士、丹後ももお先生を応援しよう』と掲げられており、老年男性の写真もプリントされている。
 下膨れの脂ぎった丸顔、額の広い白髪頭。
 笑顔の写真ではあるのだが、眼光は鋭い。
「へぇ、丹後ってここの出身だったのか」
 丹後は関西に地盤を持つ政治家だ。
 たまにテレビ番組のコメンテーターなどもしており、政治に興味のない海斗にも見おぼえと多少の知識があった。
 ただ、強引で独善的なふるまいが目立ち、有産階級独特の高慢さを隠そうともしてないあたりが海斗の父親とそっくりで、正直なところ好印象は持っていなかった。
 家屋の表札には『丹後』とあった。この家は、丹後の生家か親せき筋というところだろう。

 ふらり、眩暈めまいに襲われる。
 そろそろ体力も限界だった。
 身を休めようと事務所の入り口を目指して歩き出したところで、背後に人の気配を感じた。ばっと振り返ると同時、「西沢!」聞き覚えのある声がかかる。
 視線の先、雑木林を背に立っていたのは、同じバスケットボール部の
矢田啓太郎だった。
 ただ、彼もまた憔悴しきっていた。眼が落ちくぼみ、頬もげっそりとやつれている。プログラムのプレッシャーによるものか、何かしらの災厄に見舞われたのか。
「……会えて、よかった」
 啓太郎が言う。
 声色には安堵と喜びが見えた。
 海斗もほっと息をつく。啓太郎は人の良い男だ。気心も知れている。彼なら信用できた。

 と、ここで、海斗の脈がどきりとあがった。
 啓太郎の後ろから、一人の少年が顔を出したのだ。
 まず左のこめかみから顎先にかけての傷にぎょっとする。まるで、肉食獣に引っ掻かれたかのようだ。明らかに誰かに襲われた痕、誰かと戦闘になった痕だ。
「西沢か」
 こちらは、当惑した様子だった。決して歓迎している風ではない。さらりとした黒髪、黒目がちの瞳。大人びた細面。……それは、
安東涼だった。



 しばらく使われていなかったようで、
後援会事務所 の中は埃が積もっていた。
 丹後ももおの地盤はすでに東京に移っているはずだ。応援活動を地元で行う機会も少ないのだろう。
 矢田啓太郎と安東涼の二人と合流したのち、海斗は事務所の窓を割って入っていた。
 いまは応接室らしき部屋に陣取っている。ソファや家具には、埃よけの白い布がかけられていた。
 片側の壁は事務棚が占めており、資料ファイルや書籍が収まっている。 
 これまでの業績を表す書類や勲章の類もあり、軍部との関係が深いことが伺えた。プログラム関連のものも多い。

 床の上の埃を払い、胡坐をかいて座る。
「丹後ももおって、こんな小さな島の出身だったんだね」
「後援会……政治家なのか」
 すぐ傍に立っていた安東涼が眉を上げた。
「知らない? テレビとかよく出てるよ」
「……見ないからな。政治も興味が無い」
 ぼそっとこたえてくる。
 安東涼は孤児だ。同じクラスの木多ミノル(三井田政信をかばい、自滅)と同じ孤児院で暮らしている。
 涼たち二人が世話になっているのは、環境の悪さで悪名高い官営孤児院ではなく、慈恵院という全国あちこちにあるカソリック系の施設なので、テレビぐらいは見せてもらえずはずだ。
 では、単純に涼自体にメディアへの関心が薄いということだろう。
 ざっくりとした返事に、会話が途切れてしまう。
「そ、か」
 継穂もないので意味なく頷いてみせたところで、めまいに襲われた。

「大丈夫か?」
 気遣っているような台詞だったが、距離はあった。
 合流の際も、矢田啓太郎は手放しに喜んでくれたが、涼は不服そうだった。
 彼は普段一人でいることが多かった。概ね人づきあいの良い海斗ではあるが、涼とはほとんど話したことが無い。
 面と向かってしっかり話すのは、これが初めてではないだろうか。
 その二人の接着剤となった
啓太郎は、ソファで船をこいでいる。
 海斗ももちろんのこと、涼らもそれぞれ疲労の色は濃い。
「大丈夫」
 火傷に関しては、啓太郎が医療処置を施してくれていた。
 簡単に消毒やガーゼ保護をしただけだが、それでも幾らかはすっきりしたように思う。問題は内的なものだった。
 身体が熱っぽく、やたらと喉が渇いた。
 細菌に犯されているのだろう。

「喉が渇いて……」
 海斗のペットボトルに入っていた水は飲みきってしまっていた。
「やるよ」
 涼が彼のペットボトルを軽く投げてくる。
 受け取り、「あ、ありがと」礼を言う。
 渇ききった喉に水を流し込む。全身に浸み渡っていく感覚が心地よい。 
「抗生剤とか飲んだほうがいいな」
 そう言うと、彼自身のディバッグから支給の医療キッドを取り出し、錠剤をくれた。
 これも有難く頂戴しながら、「あれ……?」きょとんと眼を丸める。
「どうかしたか?」
「いや……」
 ……安東ってこんなキャラだっけ?
 涼は普段、他人とのかかわりを極力切っており、クラス行事や役割分担にも消極的だった。人を寄せ付けないクールな印象しかなかったのだが、案外親切だ。
「まだ、喉が渇くか?」
 頷くと、「水、なくなっちまったな」涼が息を吐く。
「ああ、電気ガスは止められているけど、水道は大丈夫だっけか」
 涼の台詞に、水道は止めていないと鬼塚教官が言っていたことを思い出す。

 這うようにして、台所へと向かう。
 涼も後から着いてきた。
 シンクの蛇口をひねってみたが、残念ながら水はかび臭かった。
 どれくらいの期間使われていなかったのだろうか。
 一応口をつけてみるが、とても飲めたものではなく、吐き出してしまう。
「しばらく流しっぱなしにしてたら、綺麗な水になるかもな」
 涼が言うが、喉の渇きはそれまで待ってくれそうになかった。
 ろくに出ない唾液を喉に落とし込み、潤そうとしているうちに、表に井戸があったことを思い出した。
 話すと、「そうか。そっち行ってみるか」涼が顎先を上げる。
 なんとと言うのも失礼だが、涼が海斗を支え歩いてくれた。
 身体を預けると、彼が華奢であることがわかる。
 汗と血の匂い、プログラムの匂いがした。

「安東って、いい奴だったんだな」
 試しに思ったことを口に出してみると、涼は虚を突かれたような顔をした。
「何だって?」
「親切じゃん」
「いや……」
 戸惑った様子。
 そして、「こいつの……せいか」眠りこけている矢田啓太郎に視線を送る。
「オヒトヨシが移っちまったな」
 苦笑い。
「わ、笑った」
「なんだ、それは」
「俺、安東が笑ったところ、初めてみたよ」
「からかうな」
 口をへの字に曲げ、苦虫をつぶしたような顔をする。

 そもそも、涼が誰かと行動を共にしていること自体が意外だった。
 彼なら単独行動を好みそうだ。
 海斗が知る限り、涼と啓太郎に普段の接点はなかったはずだ。
 孤児院で苦労しているせいか大人びた雰囲気の涼、円満な家庭で育っていることが伺える穏やかな雰囲気の啓太郎。タイプも全然違う。
 その割には、彼らは互いを頼り合っているように見える。
 平和主義の啓太郎は分かる。彼なら積極的に同行者を信じようとするだろう。
 しかし、涼が啓太郎に心を許している風なのは驚きだった。
 遅れて、「ああ……そうか」一人頷く。
 まだ詳しくは聞いていないが、筒井まゆみに襲われたそうだ。そして、二人で下した。
 二人の間にどのような感情のやり取りがあったのかは想像もつかないが、プログラム体験を経て、何かしらの共鳴、一体感のようなものを得たのだろう。

 だけど……。
 ごくりと唾液を喉に落とす。
 たった一人しか生き残れることができないプログラム。生きて帰りたいのならば、最後の最後には殺しあわなくてはならない。彼らも結局は殺しあうのだろうか?

 重い足取りで、事務所の外へと進む。


 

 
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西沢海斗 
バスケットボール部。同じ部活の矢田啓太郎や三井田政信のほか、加賀山陽平と親しかった。児童公園にて、吉野大輝の無理心中に巻き込まれた。