OBR1 −変化−


049 2011年10月01日22時00分 


<木多ミノル> 


 一歩、また一歩、三井田政信が慎重な足取りで歩を進めている。
 遠くからでは気づかなかったが、その顔には幾分かの緊張感が見て取れた。
 この期に及んでもまだ余裕が見えるその表情に半ば呆れつつも、「ああ、あいつも死にたくないんだ」そう、思った。
 そして、ぞっとした。自分が今からしようとしていることに、ぞっとした。
 ……なんで?
 政信は、ほとんどラインの間際まできている。あと数歩で彼はボウガントラップの餌食になる。このままにしていれば、彼を殺すことができる。生き残る目を増やすことができる。
 なのに。
 ……嘘だろ、なんで?
「危ないっ」
 しかしミノルは、隠れていた茂みをばっと飛び出していた。
 自身がどうしてそんなことをするのか分からなかった。飛びかかるようにして、政信を突き飛ばす。
 同時、風を切る音がし、ミノルは腹部に熱い衝撃を感じた。

 一拍を置いて、激痛に襲われる。
 腐葉土の地面を転げまわり、声にならない叫びをあげた。
 矢が刺さった腹部を両手で押さえつけるが、動くたびに血が舞う。おびただしい量の流血。あたりに漂い始める血の匂い。
 一度、大量の血を吐き出した後は、ごぼごぼと口元から泡の混じった血が流れた。
 狂おしいほどの痛み、出血。涙が零れる。 
 なんで? なんで、俺はこんなことを?
 分からなかった。
 どうして自分が飛び出したのか。そのまま放っておけばトラップにかかったはずの三井田政信を止めようとしたのか。
 それに、やり方は他にもあった。ただ彼が足を進めるのを止めれば、それでよかったのだ。自分の命までを落とす必要性など、なかった。自分の馬鹿さ加減に呆れる。
「木多、どうしてっ」
 呆然と立ちすくむ政信のそばで、ミノルの身体は地面を転がり潅木を押し倒す。その姿を、ミノルの思考は、他人事のように見ていた。
「ぐ……、が」
 喉は、声帯はまだ生きている。

 耳の奥で、「私は、私のやりたいようにやる」死んだ筒井まゆみの声が聞こえる。
 やりたくないこと。
 俺はもう、ゲロを吐きたくなかった。 
 やりたいこと。
 俺はまだ生きていたかった。野本眞姫を殺して、クラスメイトを殺して、それをそいつのせいにして。卑怯でも卑屈でもいい、それでも生きていたかった。
「つつ、い……」
 うつ伏せになっていた身体を必死で動かして、仰向けの体勢を取る。
 両眼をこじあけようとするが、うまくいかなかった。かろうじて、左眼だけを力なくあける。何かが離れようとしている。何かが自分から離れようとしている。
「危ないって、危ないって、どう言うことだよっ! お前、まさか」
 かすむ視界、政信は呆然としていた。
 左手をあげ政信に向けようとしたら、あがらなかった。
「ぐ……」
 声はまだ、出た。
 やりたいこと、やらなければならないこと。戦うこと、戦わなければならないこと。思いがミノルの頭を駆け巡る。
 
 やがて、力を振り絞り、ミノルは最期の台詞を口にした。
「チク、ショ、お前のせいだ……ぞ」
 勝手に死んでおいて無茶な因縁をつける。責任を負わせる。
 実に自分らしい最期だと思った。
 ただ、それが寂しさの裏返しであることはよく分かっていた。
 ……悪いけど、三井田。俺の死に責任、感じていて。しばらくでいいから俺のこと覚えてて。そうすれば。
 そうすれば? 
 自身に問い、答えをすぐに見つける。
 そう、そうすれば、少なくとも死んだ俺は孤独じゃなくなる。
 
 
 と、薄いベールがかけられたようになっていた視界が一瞬、開けた。
 仰向けの体勢のため木々の隙間に夜空が見える。
 折り重なった葉の先に煌めく星々。つい先ほどまで空を覆いつつあった雲は、いつのまにか風に流されたようだった。その背に感じるのは、地面に流れ落ちた血、血溜まりのべっとりとした感触。
 みな何かと戦っていた。
 そして、三井田を突き飛ばした自分も、やっと何かと戦った。
 その相手は、鮫島学ではない。三井田政信でもない。では、自分は何と戦ったのだろうか。
今度は答えは見えなかった。でも、それで良かった。
 
 再び、ミノルをベールが覆う。深く、濃く。
 やがて、自らの血の感触を最期の知覚とし、木多ミノルは事切れた。

   
 
−木多ミノル死亡 19/32−


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木多ミノル 
孤児。慈恵院という孤児院で育った。同じ孤児院に安東涼もいる。素行の悪かった楠悠一郎の使い走りをしていた。