<桐生青磁>
と、電話を取っていた事務官の一人が、「鬼塚教官、丹後先生から外線入っています」声をかけてきた。
丹後は、中央政府の議員で、このプログラムの総責任者だ。
「分かった。回してくれ」
鬼塚が事務官に返す。
自分のデスクに帰ろうとしていると、その場にいるよう、手振りで指示をされた。
「鬼塚です。……はい、順調ですよ。……ありがとうございます。先生こそ、お身体大丈夫ですか? ……そうですか。医者のいうこと、ちゃんと聞いてくださいよ。それより、定期報告時間には大分早いですが、どうしたんですか? ……ああ、つまり暇なんですね」
丹後は辣腕の政治家として知られるが、高齢で、あちこち悪くしている。
現在は京都の病院に治療入院中のはずだ。
それにしても、大物政治家と話すにしては近しい物言いだ。
そばに控えながら、桐生は「自分と似ているんだな」と鬼塚のことを考え、そして「だからか」と一人納得する。
鬼塚自身が上役と気安く接する質なので、似た様な桐生を気に入ってくれたのだろう。
まぁ、丹後は上役も上役、雲の上の人なので、桐生にはとても鬼塚のように接することはできない。
……いい度胸してるな。
半ば呆れてしまう。
そして、少し前に考えた『鬼塚の後ろ盾』は丹後なんだろうなと一人頷く。
やがて電信を終えた鬼塚が「すまん、待たせたな」謝ってくる。
「丹後先生ですか」
「ああ。医者に止められているのに、病室に専用回線引いて仕事してやがるんだ。食事制限も守らないし、病室で酒は飲むし、ありゃぁ、長くないなぁ」
冗談めかして言う。
鬼塚に担当教官用の休憩ブース
に誘われた。
カップを持ち、移動する。
ブースは透明なパーテンションで区切られ、ソファやテーブルなどもある。
鬼塚はコーヒー党なので、ここにもコーヒーメーカーやポットが置かれている。
壁には真鍮で固定された船舶用の丸窓がある。
強化ガラスの向こうに、月明かりに照らされた波間の向こうに角島が見えた。夜となり、島は黒い塊のようだ。
……あそこで、子どもたちが殺し合いをしているんだな。
今更のように思いながら、テーブルを挟んで向かい合う。
パーテンションが防音になるのか、作戦本部の喧騒が小さくなった。
ここで、鬼塚に「そもそも、プログラムなんて必要だと思うか?」はっきりとした口調で言う。
「なっ」
担当教官が、そんなことを言っていいのか。
しかし、鬼塚はさらに「必要ないなぁ」あっさりとプログラムを切って捨ててくる。
一瞬ぽかんと口を開けてしまった後、他人に聞かれたらときょときょとと周囲を見渡すが、ここは文字通り教官用なので、鬼塚以外は使わない。
割り当て任務に当たっている事務官等の席からも離れていた。
パーテンションが遮音にもなっている。
教官と補助官二人が話し込んでいたとて、打ち合わせか何かと捉えられるだけだろう。
そのあたりの計算もあるのだろうが……桐生が上層部に密告したらとは思わないのだろうか。
しかし、桐生はすぐに首を振った。
例え、この発言を録音するなどして桐生が鬼塚を陥れようとしたとしても成功しない。桐生に反政府心が無いか調べるためだった、そのための演技だったと釈明すればいいことだ。
また、何よりも大きいのは、桐生自身にそんなつもりはかけらもないということだ。
現代の若者らしく、出世欲はないが、やりたいことをやりたいようにしたい、面白みのある仕事をやりたいという欲求はあった。
そのためにはそれ相応の立場が必要だが、桐生は庶民の出で、派閥や学派に乗っているわけでもない。
今回の任務はプログラムなので気鬱だが、誰かに取り立ててもらえるならそれに越したことはなかった。
打算的な意味で、鬼塚との接点は重要だ。
しかしそれだけではなく、単純に彼と仕事をしたい、もっと言えば普段……プログラム以外でも彼の下に着きたいという気持ちがある。
おそらくそのあたりは鬼塚には読まれているのだろうし、今桐生が考えている内容もまた読まれているのだろう。
だからこその、この対話だ。
まぁ、今はプログラムについてだ。
「そんなこと言っていいんですか」
どぎまぎしながら返すと、鬼塚はにやりと笑う。ただ、笑顔は口元だけで、目は見透かしたような光を帯びている。
……敵わないな。
そして、またやられたと思った。
鬼塚と一緒にいると、たまに、見透かされているような、試されているような感覚を受けることがある。
……そう、試す。
意識的なのか無意識的なのかは分からないが、彼はよく試してくる。
この仕事をいつまでにどこまでの水準で出来るか。
言葉には出しては来ないが、鬼塚に担務を振られるとき、そんな裏の声が聞こえてくるような感覚を得る。
数時間前、野崎一也のことを調べ直すよう指示されたときにも感じたことだ。
桐生はこれで負けず嫌いなので、試されている思うと『燃える』。
思いつく限りの機関に問い合わせ、出来るだけ精度の高いレポートにまとめたものだ。
正直、鬼塚にうまく操縦されているという感覚があるが、先ほどの耳打ちにしてもある程度は認めてもらえている、信用してもらえている証拠とも言えるので、悪い気はしない。
まぁ、そんな気持ちも鬼塚の手繰られての結果なのかもしれないが。
「鬼塚教官はプログラム説明のとき、見せしめをしないでしょう。あれって……」
物はついでと、気になっていたことを訊いてみた。
鬼塚は、こきこきと指の関節を鳴らし、「我々が手を出してしまったら、プログラムのお題目から離れてしまうと思わないか?」肩をすくめた。
何気ない風ではあるが、言い方に棘がある。
彼が刺しているのは、プログラム制度そのものだろう。
説明時、不穏な動きをした者や、進行の邪魔をした者は、銃刑に処せられることが多い。緊迫感を演出するため、見せしめのため、積極的に『間引く』教官もいると聞く。
しかし鬼塚は、極力見せしめは行いたくないという意向だった。
実際、進行の邪魔をした羽村京子も殺さなかった。
これは、前回桐生が参加したプログラムでも同じだった。
担当官としては、珍しい。
桐生が鬼塚と気安く接することができる理由、彼についていきたいと考える理由でもある。
コーヒーを飲みほし、「防衛上の理由から行う実践シミュレーションだとか、戦略上必要なデータ取だとかお題目はつけてあるが、これだけ国力が弱まっている中、大勢の若者の命を奪うほどの価値はないさー」鬼塚は言う。
相変わらずの気軽い口調で、まるで世間話でもしているような錯覚に陥る。
大東亜共和国は準鎖国政策を続けることで国際的に孤立し、他国との競争から立ち遅れている。
それでも以前は高い技術力と産業基盤から景気もよかったようだが、近年は低迷し、経済危機に陥っていた。
「はぁ」
気の抜けた返事を返すと、鬼塚は「だけど、この島には必要なんだ」苦虫をつぶしたような顔をする。
あからさまな嫌悪感。
ここで、桐生はおやと眉を上げた。
いつも飄々としている鬼塚にしてはストレートな感情発露だった。
「ひつ、よう」
「プログラム補助金」
「ああ……」
話の道行きに想像がつき、桐生は息をついた。
「そう、プログラム補助金だ。たいした額じゃないが、観光資源も特産も無い、過疎化、高齢化が進んでいる角島にはありがたい金だよなぁ。……プログラムが行われるたびに、島の暮らしはいい方向に向かっている。医者のいなかった島に診療所ができた。二カ月に一回しか来なかった物資船の航路が増設された。道が、学校が整備された。巡回バスにより、年寄りの足が確保された」
まるでその目で見てきたかのように島の歴史を語り、「プログラムに巻き込まれた子どもたちの血肉で繋ぐ、島の利便ってわけだ」皮肉めいた言い回しで口を閉じる。
「教官?」
訊くと、鬼塚は一度目を瞑った。
ややあって目を開き、「どう、思う?」訊かれる。
軍人としてではなく、一個人としての答えを期待されているのだと分かった。
迷ったが、「政府の命令で会場になるのは、ある意味仕方が無いのかもしれませんが……なんか、ヤですね」思ったところを話す。
すると、「そうだな、島から出た俺も、そう思う」鬼塚が返してくる。
鬼塚は、島から出た俺はと言った。
島から出、都会の利便になれた今なら、プログラムへの拒否感を口にできる。だけど、まだこの島に残っていたら……。
台詞の裏に潜んだ現実の重さに、顔をしかめる。
そして、遅れて、台詞の意味が追いついてきた。
「え?」
……島から出た? 驚き、疑問符を投げると、鬼塚がにやりと笑った。
反応を楽しまれているのだ。
試されているどころか、遊ばれている。
「人が悪いですよ」
仕方なく、苦笑して返しておいた。
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