<野崎一也>
深い森を抜け、一也たちは丘の頂上
へと出た。
すでに日は落ちていたが、星や月の明かりでおおよそ見渡せられる。
木々の環に囲まれた、テニスコート片面ほどの広場。
地面は土肌だ。不自然なほど平らで、下生えの類も見当たらない。明らかに人の手が入っていた。
そして、広場の中央には石板が台の上に鎮座していた。
板は幅2メートル強、高さ1メートル足らず、厚みは50センチほどだろうか。
自然石ではなく、綺麗に加工されている。
「お墓?」
まず、中村靖史
が近寄った。後を追う。
台座には、筒状の瓶に野花が生けられていた。
また、どこかの花屋で購入したらしき、花束も置かれている。
近づくと、石板には文字列が刻まれていると分かった。向かって右側から、半分ほどが埋まっている。
「石碑、かな。……鎮魂」
台座に、『鎮魂』と大きく彫り込まれていた。
石板にあるのは同じパターンの文字列だ。「1960年8月、兵庫県姫路市立旭中学校3年2組プログラム。1971年10月、兵庫県私立精華中学校3年C組プログラム。1977年5月、兵庫県神戸市立第一中学校3年5組プログラム……」
順に読み上げる。
「兵庫県のプログラムを彫ってあるの?」
「みたいだな……いや、岡山と香川のプログラムもあるな」
「ああ、ほんとだ。一つずつあるね……どゆこと?」
「さぁ……。逆に、兵庫県のプログラムだとしても足りないな。これで全部じゃないはず」
プログラムの年間実施数は50だ。
全国の中学三年生クラス……一部それ以外でも行われるらしいが……から無作為抽出される。学校数の多い兵庫県では、ほぼ毎年行われているはずだった。
しかし、彫り込みの年代には間隔がある。
と、頭の奥で何かざわめくものを感じた。
今朝がた、東の集落を歩いているときにも感じたものだ(18話)。
そして、唐突に、何かがフラッシュバックした。
モノクロの映像。
目線が低い。子どもの頃の記憶だと見当がついた。古い家屋、ふすまの向こうから明かりが漏れ入ってきている。
幼い自分が、奥の様子を伺っているようだ。
ついた膝が感じる板張り廊下のひんやりとした冷たさが蘇ってくる。
見える自身の掌が小さい。
7、8歳ぐらいの記憶だろうか。
『……受け入れ……ませんか』
『このままじゃ……廃れるばかりだ』
『しかし……』
ふすまの隙間から切れ切れに聞こえてくる声。
数人の大人たちが膝を突き合わせて何か話し合っている。
遅れて、祖父の家だと分かった。
一也の父親は、瀬戸内に浮かぶ小さな島の出身だ。
このプログラムの会場となっている角島とそれほど離れてはおらず、規模もさほど変わらないのだが、角島よりもはるかに過疎と高齢化が進んでいる。
父親の両親……一也の祖父母は健在で、網元をしている。
網元は、島の代表であり仕切り役だ。
その関係で、祖父の家は会合や行事に度々使われていた。
これは、一也が田舎に泊まった時に見た、会合のワンシーンにあたる記憶なのだろう。
と、祖父の低い声がした。
『この島をツノジマに……るのか。プログラムなんて……』
ここで、「野崎? どしたの、ぽかんとして」靖史に声を掛けられ、現実に引き戻される。
「ああ、ごめん。でも、分かった」
一人、得心する。
ツノジマ、プログラム。
記憶の祖父は確かにそう言っていた。
ツノジマ……角島。一也が今いるこの島のことだ。
当時の一也には読みとれなかった会話の行間が、15歳の今、プログラムに巻き込まれた今はよくわかる。
『受け入れる』のはプログラムに違いない。『プログラムを受け入れれば、廃れ行く島に歯止めがかかる』と誰か大人たちが言っている。
それを、島の代表者である祖父が『この島を角島にするのか』と突っぱねているのだ。
「この石碑に刻まれているのは、ここで行われたプログラムなんだ、きっと」
「あ、そうなんだ。……え?」
頷いたあと、やや置いて靖史が太い眉を怪訝に寄せた。「こんなに、同じところでするもンなの?」
当然の疑問だ。
一也もまた疑問に感じていたことだ。さらに疑問。
「……プログラムを受けいれたら廃れないって、どういう意味なんだろう」
「なにそれ?」
記憶の話をする。
選手の音声は記録されていると聞く。迷惑をかけては申し訳ないので、祖父がプログラム誘致に反対していた下りは濁しておいた。
「へぇ、野崎の田舎って、このへんなんだ」
「違う島だけど、な」
なぜだか、語調が強くなった。
その理由は自分のことながら掴めず、戸惑う。
そんな一也の様子にやや気圧されながら、「でも、それって、ホントどういうことなんだろ」目の前の少年は首をかしげる。
答えは、石碑の裏とこれまでの道中にあった。
石碑の裏側には、まず、『プログラム補助金にて』と刻まれていた。
そのあとに補助金で整備、新設されたもののリストが載っていた。表側と同じく、こちらも石碑の半分ほどが埋まっている。
「補助金……」
「プログラムで壊れたところを直したってこと?」
「そういうことかな」
一度頷くが、「いや、まてよ」閃く何かを感じ、「ああ、そうか」首を振る。
「どしたの?」
「きっと……上乗せなんだ」
「上乗せ?」
「この島は、プログラムを積極的に受け入れて、その代価として金をもらっているんだ。で、その金で診療所なんかを整備してる。……そうだ。きっとそう言うことなんだ」
出だしは思いつきでしかなかったが、話している内に確信となった。
「え、どゆこと?」
後を追い切れていない様子の靖史に、疑念の始まりから改めて話す。
「この島に放り出されてからずっと、違和感があったんだ。うちのじいちゃんとこと、規模も何の名産もないことも似てるのに、なんでこの島はこんなにも整っているんだろうって」
整備された道路、バス、診療所。
思い出してみれば、説明会場となった分校の教室も小奇麗だった。
それは、祖父の島では見られない光景だ。
どうして? ……その答えがプログラム補助金だったのだ。
「鎮魂ってそういうことなンだ。子どもたちよ、安らかに眠れってこと?」
靖史が石碑に刻まれた文字を撫でる。
「犠牲になった子どもたちよ、だな」
付けくわえた言葉が、強くなった。
目の前の少年の驚いた顔。
その丸顔を真正面から見詰め、「子どもたちよ、安らかに眠れ。……欺瞞だよな」唾を飛ばす。
「ギマンって?」
「欺いてるんだ。誤魔化してるんだ。こんな石碑建てて、すまない、悪かったって、ポーズだけしてるんだっ」
台詞は、尻上がりに強くなる。
握りしめた拳が震える。
目がつり上がり、こめかみのあたりの血管が膨れ上がった。
「野崎?」
靖史が戸惑い声を投げてくる。
「だってそうだろ。こんなペースおかしいっ。積極的に……他県のプログラムまで受け入れてさっ。補助金はその代価なんだ!」
怒りをあらわにし、荒い息に肩を揺らす。
プログラムは国による強制実験だ。
会場となる土地の住民は、従わなくてはいけない。
逆らえば反逆罪が当てられてしまう。
表だって拒否はできないが、会場となることを出来れば回避したい。それが住民感情と言うものだろう。
そんな心情を上手く利用し、立場を固める有力者もいるに違いない。
その中で、角島はプログラムを積極的に誘致する道を選んだ。そして得た補助金で利便をつないできたのだろう。
これは、決して当てずっぽうではない。
祖父の島と角島の現状を比べ、思い出した過去の記憶と照らし合わせ、そして何よりもこの島を実際に歩いたうえでの推察だ。
間違いではない。
確信を持って、言えた。
石碑には1960年の姫路市プログラムを皮切りに、10を超えるプログラム名が刻まれていた。
ここで気づいたことがあった。
「1960年、71年、77、84、89……。最初は11年空いてるけど、だんだん間が短くなってる」
多少間隔が増すところもあるが、全体としては短くなってきていた。
ここ数年は、3,4年おきのようだ。
「ああ、ほんとだ。良く気づいたね」
感心したように靖史が言う。
一也は割合に細かい事柄が気になる質だ。
言った通り、最終的には3,4年の間隔になっていた。
このプログラムに至っては、前回が2009年なので2年しか空いていない。
「歯止めが利かなくなってきてるんだろうな。あそこが不便だ。あそこを直したい。でも金が足りない。……じゃぁ、またプログラムを受け入れればいいか。そうやって間隔が狭まってきているんだ」
卑劣だと感じた。
人の悲しさを感じた。
さらに腹立たしいのは、石碑の表裏ともにまだ半分ほどのスペースが余っていることだ。
そこから、この島の住人はまだまだプログラムを受け入れるつもりだと知れる。
また、こんな丘の上の石碑に懺悔を彫り込んで、それでよしとしている風なのも我慢ならない。
一也が見たところ、バス停にも診療所にもプログラム補助金の文字はなかった。
本来彫り込むべきは、利便の実体たちではないのだろうか。
本当にすまないと思っているのなら、バス停や診療所の目立つところにその旨を刻むべきだ。そして、利用の度に犠牲になった子どもたちのことを考えるべきだ。
思いのたけをぶちまけると、靖史は複雑な表情で頷いて返してきた。
さきほど祖父の島の話を靖史にしたとき、自身が「違う島だけどな」と強くアピールした理由も分かった。まだあのときは角島の裏を掴んでいなかったが、生理的な嫌悪感があったのだろう。
そして、もう一つ分かったことがあった。
ポケットから一枚の便箋を取り出す。
診療所のコルクボードに張り付けられていたものだ。
署名はない。
「子どもたちへ。愚かで弱い私たちを許してほしい。願わくは、無事君が帰還できることを」
もう一度読み上げる。
前半は免責を請うており、後半は手紙を見た生徒の無事を祈っている。
最初に読んだとき、特に問題はない文面なのに、なぜだか不快感を持った。
その理由が、今は分かる。
愚かで弱い私たち……確かに、愚かだ。そして、汚い。
許してほしいのなら、生徒の無事を祈るのなら、始めから受け入れなければいいのだ。
なのに、受け入れる。
それが愚かなことだと知っているのに、受け入れる。
署名が無い理由も分かった。
名前を記せば、国家に逆らったと後で罪に問われるかもしれない。裁かれることを忌避したのだ。
なんて浅ましい……保身。
「汚い、汚いよっ」
手紙を地面に投げつけ、靴先で踏みにじる。
思った。
この手紙を書いた人物。筆遣いから見て、おそらくは老年の男性だ。プログラムが終わった後、彼が、角島の住人たちが、踏みにじられた手紙を見ればいい。
巻き込まれた子どもたちの怒りを知ればいい。
そう、思った。
「野崎?」
激情に駆られる一也に、靖史は驚いたような顔を見せていた。
しかし、すぐに穏やかに「野崎」名を呼び直し、一也の震える肩に手を置いてくれる。
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