<野崎一也>
どういうわけか、昔のことを思い出していた。
小学校三年生のときに世話になった担任教師の顔が頭に浮かぶ。新任の男性教諭で、快活なスポーツマンタイプではなかったが、その分穏やかで優しかった。
生徒たちの人気は男女問わず高く、そのときクラスが一緒だった生谷高志と彼の取り合いをしたものだ。子どもらしい独占欲。
今思えば、あれが一也の初恋だったのだろう。
ただ、高志は違う。彼は単純に、男性教諭のことを人として好いていただけだ。その後彼は普通に女の子に恋していた。
……どうして、高志のようになれなかったんだろう。
心の中の一也が、がくりと肩を落とす。
……どうして、俺はこんななんだろう。
心の中の一也が、重く息を吐く。
己の性志向はすでに許容している。ただ、直視はできない。引き出しの奥に入れ、目を向けないようにしている。
結局、「矢田啓太郎は無事ですか?」一也の口から出たのは、この質問だった。安否だけを確認する。
先ほど途中まで言いかけたので、隣で中村靖史が怪訝な顔をしている。
居場所を訊かない一也を不思議がっているのだろう。
それは、電話の向こうの鬼塚教官も同様のようだった。
「……ん?」
疑問符が返ってきた。
やがて、「ああ、まだ生きているよ」静かな声色が聞こえた。
鬼塚教官ってこんな話し方もできるんだ、なんて場違いなことを考えたが、続いた「まぁ、悩め、青少年」という見透かしたような台詞に、やっぱりこの教官は神経に触ると、憮然とする。
まさか、一也が同性愛者であると気づいたわけではないだろう。よくある友だち同士のいざこざだとでも考えているのか。
そうだったら、どんなにいいだろう。そんな風にも思う。
「無事だって?」
二つ折りの携帯電話を閉じると、中村靖史が訊いてくる。
「ああ」
「良かった、な」
「ああ、良かった」
ここで、腰が抜けた。血まみれの床に座り込み、クリーム色の天井を仰ぐ。「良かった」重い息とともに繰り返し、「……良かった」目を瞑り三度目の復唱をする。
どきどきと胸が鳴っていた。
生きていてくれてよかった。心の底から、思う。
もちろん、他の友人、坂持国生や鮫島学の安否も気になる。
ただ、坂持国生は身体は弱かったが、勝気なところもあった。鮫島学にいたっては、殺しても死なないような質だ。
もちろん、プログラムという現状、彼らとていつ命を落としてしまうか分からないのだが、強
かに生き抜いていてくれそうだという妙な期待感、安心感がある。
その点、恋愛感情を抜きにしても、矢田啓太郎は心配だった。
人の良い彼は、やる気になった誰かに簡単に手折られてしまいそうだった。
これは、一人の男に対して失礼な感覚だろう。当たり前の心配はともかくとして、庇護者視点の懸念など気味が悪いに違いない。
自覚は、簡単に自己嫌悪に繋がる。
国生と学については、少なくとも学は13時の時点で生存しているようだった。
一也が啓太郎に電話を掛けている間に、学から掛けてきてくれていたようで、着信履歴が残っていた。
隣で、中村靖史が嘆息ついている。
「ああ、木沢のことも訊けばよかったな」
彼は、交際相手の木沢希美を心配しているはずだ。
「さっき電話来てたから、大丈夫」
にこりと笑う。そう言えば、啓太郎のことで頭がいっぱいで忘れていた。先ほどの通話許可所間、電話がかかって来ていたのに靖史は取っていなかった。
誰からだろうとは思っていたのだが……。
「なんで……」なんで電話に出なかったんだ?
喉元まで出かかった質問をおさえる。
腑に落ちない顔をしているのは彼も同様だ。彼とて、矢田啓太郎の居場所を問わなかった一也のことを不思議に思っているはずだ。
だけど、訊いては来ない。
深いところに踏み込むのを躊躇してくれているのだ。
ならば、一也も真似るべきだ。
*
ふらふらと歩を進め、一階の待合室
へと向かう。
啓太郎がいない今、診療所に長居する理由はなかった。
いつの間にか心拍は落ち着き、かわりにどこか息苦しさを感じる。泥の海を進む足取りは重く、まるで鉄の足枷が
つけられているかのようだった。
立っていられなくなり、ソファに身を沈める。
靖史もとなりに腰をかけてくる。彼の震えが伝わってきた。一也の震えも彼に伝わっているだろう。
怖くて怖くて、情けなかった。
こんな気持ちにさせるプログラムが憎くて仕方がなかった。
5分ほどそうしていただろうか。
「ん……」
自分が今触れているものに、唐突に違和感を持った。
触れているのはソファの生地だ。革張り。それも割合にいい品だった。この診療所は、公営だ。財政難が叫ばれる昨今、備品に金をかける余裕はないはずだが……。
ぐるりと待合室を見渡す。
先ほどは慌てていたので気付かなかったが、建築が真新しい。各種検査室、手術室、薬剤室……。そう言えば、病室に置いてあったベッドも電動式だった。
「なんで……」
疑問が口から零れる。
「どうかしたの?」
「ここ、新しいんだと思って。いや、建てかえられたのか」
壁にこの診療所の歴史が写真入りで飾られていた。
どうやら何度か建てかえられ、そのたびに設備が新しくされている。
そもそも、こんな小さな島にきちんとした診療所があること自体が珍しい。
「それが、どうかしたの?」
靖史が怪訝な顔をする。彼は特に疑問に思っていないようだ。
まぁ、そんなものだろう。
この感覚は、祖父が過疎化に苦しむ島に住んでいることからそのあたりの事情に詳しい一也ならではのものだ。
ここで、あるものが目に入った。
待合室の掲示板コルクボード。そこに、一通の茶封筒が押しピンで貼られていた。
コルクボードは、ポスターなどが雑多に貼られており、封筒はその中に埋もれていた。コルクボードに封筒。組合わせとしては妙だ。
立ちあがり、はぎ取る。宛名、差出人の名前はなかった。
封はされておらず、便箋が一枚折りたたまれて入っていた。
「手紙?」
「ああ……」
靖史の問いに頷く。
一度、ごくりと唾液を喉に落とし込み、一也は便箋を開いた。
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