<黒木優子>
「そう、教会に向かってるんだ。私も行っていい? うん、ありがと」
通話許可時間をやや余らせ、黒木優子は携帯電話を閉じた。
これは、支給武器、鬼塚教官と繋がる質問権付き携帯電話ではなく、優子の私物だ。子猫を模したストラップが付けられている。
彼女が今いるのは、農機具倉庫の中だ。
つい数十分前、三井田政信に襲われたが機転を利かし、退けた。
農機具倉庫は目測十畳ほどと、割合に広い作りだったが、物が多く雑然としている。また、政信がショットガンで棚を撃ち抜いたので、棚材や棚に置かれていた雑品が床に散乱していた。
華奢な中背、ふわふわの赤茶けたロングヘアー、そばかすの散った白い頬。
白地のロングTシャツ、七分丈のタックパンツをサスペンダーで吊っている。
制服は尾田陽菜を殺した際に返り血を浴びたので着替えた。しかし、重原早苗に右の肩口を草刈り鎌で切り付けられ、結局血で汚れてしまっている。
傷は止血し、腕を包帯で巻いていたが、ずきずきと痛む。
痛みに顔をしかめながら、携帯電話をディバッグのポケットにしまった。
先ほどの通話先は、テニス部の越智柚香だった。優子から掛けた。
柚香とは二年まで親しくしていた。メールや電話は頻繁にしていたし、休みの日に遊びに行くこともあった。
ただ、最近一緒にいたのは陽菜と学級委員の渡辺沙織(入水自殺)だった。二人とも良い友人ではあったが、大人しい陽菜に物足りなさを感じることはあったし、凛とした沙織には気圧されることもあった。
その点、柚香は明るく活発な気質で、話も合った。ぽんぽんと何でも言い合える気心の知れた友人だった。
だけど、学校では距離を置いていた。
それは、柚香のグループのリーダー格である佐藤理央(安東涼が殺害)が陽菜のことを嫌っていたからだった。
いじめに近いこともしており、そのせいで二つの集団は仲があまり良くなかった。
特に、理央と沙織が不仲だった。沙織が喧嘩のようなことを嫌ったので表だって何かがあるわけではなかったが、明らかに冷戦状態だった。柚香は理央の目を、優子は沙織の目を気にし、学校では親しくしないようにしていたのだ。
馬鹿らしいとも思うが、学校というコミュニティをトラブルなく生き抜くために必要な処世術ではある。
当面の問題は、この付近に危険な誰かが潜んでいるか否かだった。
また、この辺りは数時間後に禁止エリアになることとなっていた。どちらにしても長居はできない。
迷ったが、質問権付き携帯電話を使うことにした。
通常回線とは別で、この携帯電話は通話制限時間にはかからないそうだ。
また、質問は五回まで認められており、そのうちの一回だけ嘘の回答が返ってくる。権利使用はこれで二回目だった。
「黒木優子かー」
鬼塚教官はすぐに電話に出た。
どこか茶化したような間延びした口調は、三井田政信に通じるものがある。
「凄いなぁ、もう二人も殺したじゃないかぁ」
そういえばプログラムって戦略上必要なデータ取りと称されているんだっけ。と、今更のように思う。
「質問、よろしいでしょうか」
「おお、黒木はよく使ってくれるから、嬉しいなぁ」
一番近くにいる選手の居場所を訊く。鬼塚によると、それは三井田政信で、それなりの距離があった。政信はあの後、遠く移動したらしい。重原早苗、三井田政信と続いた戦闘を聞きつけて近寄ってきた生徒もいなかったようだ。
ただ、嘘のカードを切られた可能性もある。
農機具倉庫から出ようとした足が止まる。
迷う、迷う。
結局歩を進めることができたのは、三井田ならどうするだろう? と考えたからだった。
……分かんないものは、悩んでも仕方ないっしょ。
彼の声が聞こえた様な気がした。彼ならそう考えるだろう。確かに、分からないものは分からない。ならば、信じるしかない。
もちろん、最大限の警戒は怠らない。
一度戦った男の考えを模すのはためらわれたが、考えても仕方がないのは事実だった。
また、仮に政信と遭遇しても、今は戦闘にならないような気がした。
彼は「互いに生きていればまた戦おう」と言っていたが、こんな近々ではなく、もっと先のことを言っているようだった。
ならきっと今は襲っては来ない。
プログラムという状況下、およそ理屈に合わない予測だった。だけど、彼ならそうするだろう。そう思えた。
つくづくおかしな男だとも思う。
*
農機具倉庫の戸を開け、そろりと外に出る。
真昼の秋空は高く、澄み切っていた。優子がいる農家は丘陵地の上にあり、遠く、田畑が見下ろせた。赤とんぼが横切る。
のどかな秋の田園風景だ。
しかし、視線を変えれば、血だまりの中横たわる重原早苗の亡骸。
憂鬱に襲われ、目を瞑る。
次いで、酸っぱいものが込上げ、身体をくの字に曲げ、地面に嘔吐した。昨日からろくに口に入れていないので、胃液ばかりだった。
口元を押さえる手が小刻みに震えている。
人殺しという最大の禁忌への拒否感。しかしすぐに首を振り、迷いを振り切った。
生きなければならない積極的な理由はなかった。
優子の両親は健在で、二つ上に兄がいる。娘を、妹を失えば、彼らは悲しむだろう。しかしそれは、他の生徒たちも同じことだ。
彼女が望むのは、当たり前だと思っていた日常生活への帰還。ただ、将来の強い夢があるわけではない。自分が生き残るべき人間だと傲慢に思うこともできない。気が狂ってしまったわけでもない。
生き抜く糧としてはいささか不明瞭で、優子はそこに不安を持っていた。
もちろん、極力クラスメイトを手に掛けずに過ごす道もあった。
拒否感もいまだ強い。
どこかに隠れ、膝を抱えて震えていたかった。
誰かと合流し、不安を慰め合っていたかった。
だけどそれでは、危険な誰かと遭遇したときに、彼彼女らの餌食となるだけだろう。
だから、覚悟した。親友の陽菜を殺すことで、退路を断った。
重原早苗を殺すことができたのも、三井田政信を退けることができたのも、すでに腹構えし、実行に移していたからだ。覚悟していたからだ。
弱い獣は強い獣の餌となる。餌になりたくないなら、強くなればいい。単純な話だ。
柚香は普段親しくしていた飯島エリに誘われ、北の集落にある教会に向うそうだ。教会には他に吾川琴音
がおり、空手部の津山都も合流予定とのこと。
また彼女は今は永井安奈と一緒にいるとも言っていた。
安奈は、優子が殺した重原早苗の友人だ。その関係性を思えば、彼女との合流は躊躇されたが、早苗を殺したことを明かさなければいい話だ。
安奈は人当たりがよく、優子は好印象を持っていた。
吾川琴音は大人しく気が弱い。
津山都は姉御肌で面倒見が良かった。
この全員が集まったとき、その中心となるのは津山都で、柚香がフォローする形となるだろう。
越智柚香、飯島エリ、吾川琴音、津山都、永井安奈。親しさの差こそあれ、彼女たちとは概ねうまく行っていた。受け入れてくれるに違いない。
それぞれの顔を思い浮かべ、大丈夫と一人頷く。
身体は軋む。心は冷える。それでも、続けなければならなかった。
次に狙うのは……柚香たちだ。連絡し、そのための布石も打った。後は向かうだけだ。
普通で良かった。心から、思う。
優子はこのプログラムで初めて、自身が普通の女の子であったことに感謝していた。
およそ十人並みの容貌、学業成績も中ごろ。普段は特徴のない自分が嫌だったが、普通だということは警戒心を持たれにくいということでもある。
これは、アドバンテージだった。
彼女たちは、ごく普通の女子生徒である優子だからこそ、受け入れるのだ。
「きっと、殺せる」
強く決意、覚悟を確かめる。
優子は知らなかった。永井安奈の裏を。
優子は気づいていなかった。尾田陽菜を殺したときに携帯電話で写真を撮られていたことを。そして知らなかった。今同時刻、その写真を見つめる誰かがいることを。
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