OBR1 −変化−


027 2011年10月01日12時50分 


<安東涼> 


「ざまぁ、みろ……」
 息を切らし、肩を大きく上げ下げしながら、安東涼 は事務室の窓に近寄った。外を見ると赤茶けた地面の上にまゆみが横たわっていた。頭蓋が割れ、とろっとした血が赤い池となっている。
 さすがに死んだだろう。
 事務室は机の配置がゆがみ、キャビネットが倒れ、様々な備品が散乱したひどい状態だ。その中、矢田啓太郎が打ちのめされたような表情で座り込んでいた。

 啓太郎が助けに入ってくれるかどうかは賭けだった。
 この時間、彼は一階の隅にある宿直室で仮眠をとっていた。
 しかし、あれだけの騒ぎに『した』のだ。いくら疲れているとはいえ、彼も目を覚ますだろう。
 ここまでは確実な予想だった。
 問題はその後だった。脅えた啓太郎が宿直室から出てこないことも、自分と筒井まゆみの争いの行く末を見て、勝った方に銃を向けることも予測できた。
 だが、尾田陽菜を助けるために外に飛び出した啓太郎のことを、涼は思い出したのだ。
 彼の善良さに涼は賭け、そして勝った。
「ああああああっ、ぼ、ぼく、ひっ、人を!」
 その啓太郎が声を張り上げ、長身を大きく震わせている。
 相当なショックを受けている様子だ。
「どうした?」
 多少の戸惑いの後、涼は彼の動揺の理由を理解した。
 そして、涼自身も衝撃を受ける。
 ガツン。撲られたような、感触。
 それは、生き残るために次々とクラスメイトをほふっている自分と、クラスメイトを撃ってしまっただけなのに打ちのめされている啓太郎を比べてしまったからだった。

 自分が啓太郎の立場だったら、間違っても助けになど出なかった。
 同行者と襲撃者の戦いが起きれば、その結果を待ち、勝者を背後から撃つ。
 ……俺だったらそうする。他の奴だってそうするだろう。矢田だったから、コンビを組んだのが矢田だったから、俺は助かったんだ。いや、しかし、これは、ちょっと……。
 すでに啓太郎は崩れ落ち、壁に背を付けている。
「ごめ、俺も、疲れた」
 涼もまた崩れ落ち、床に座り込む。
 啓太郎と隣り合わせで壁を背に四肢をだらりと投げ出す。
 と、涼の腕を震える手が掴んできた。視線を送ると、啓太郎がすがる様な目で見ていた。
 離したらどこかに身体が飛んでしまうとでも思っているのだろうか。ひどく、ひどく強い力で掴まれていた。

 涼は深く呼吸をし、啓太郎の肩に手を置いた。彼の体温が手のひらに移る。
「……助かった。ありがとう」
 素直な感情だった。涼は素直に感謝した。
 啓太郎はびくりと肩をあげ、怯えた瞳で涼を見つめてきた。
 涙が滲んでいる。
「ありがとう」
 繰り返す。
 啓太郎から信を得るためではない、素直に、涼は感謝の意を啓太郎に向けていた。そしてこの言葉で少しでも彼の気が休まったらと思った。
 


 二階へとあがる階段の壁には、はけで擦り付けたような血糊がべったりとついていた。
「筒井さんの……だね」
 後をついている矢田啓太郎がぶるると胴震いをする。まだ衝撃からは抜け切れていないようで、顔色は優れない。
 涼は、「ああ」と小さくうなづいた。
「その傷……大丈夫?」
「目は大丈夫」
 答えると、啓太郎は少しだけ表情を和らげた。しかしすぐに「酷い、傷だ」顔を曇らせる。
 鏡で確かめると確かに酷い傷だった。 
 剣山でつけられた傷は、左のこめかみからまぶたを越えあご先にまで至っており、まるで肉食獣に爪で引っ掻かれたようだ。
 襲ってきた筒井まゆみの迫力を思えば、肉食獣と言うのもあながち間違った表現ではないのかもしれないとも感じた。
 支給の医療キッドで簡単に治療しただけだが、どうやら血は止まったようだ。

 涼は、筒井まゆみの亡骸から奪った防弾ジャケットを着込んでいる。 
 死体から防具を取り上げることで啓太郎に余計な懸念を与えかねず、迷ったが、捨ておくのは惜しいので戦利品とした。
 啓太郎はまゆみの亡骸を見る勇気もなかったかったらしく、涼が作業する間、事務室で震えていた。
 それでもまゆみが襲撃前から傷を負っていたことには気づいていた。
「彼女、どこかで怪我をしてたみたいだね」
「そうだな」
 本当はそれも涼が行ったことだったが、素知らぬ顔をしておく。
 どうやら啓太郎は積極的に涼を信頼しようとしているようだった。一緒にいる者が安全だと思いたいのだろう。争いを好まない彼らしい心理だ。

 二階に上がったところで、「じゃぁ、二人で手分けしてチェックしよう」指示する。
 本当は二階へなどあがりたくはなかった。
 筒井まゆみがどこから侵入したかはあやふやにして、さっさとこの建物から出たかった。しかし、啓太郎が彼女の侵入ルートを気にしていた。
 仕切りすぎると不信や不満を持たれてしまうかもしれず、むげには断れなかった。
 
 できる限り自然を装い、まゆみがいたはずの個室を涼が担当した。
 数時間前、この個室で物入れの中から飛び出してきた筒井まゆみに襲われた。とっさにM3A1サブマシンガンのグリップに力が入り銃撃できたため難は逃れたが、危うい場面だった。
 幸い、銃弾と血糊は、物入れの中に収まっていた。
 それを確認し、窓から見えた啓太郎を呼び寄せたのだが……。
 個室に一人で入り、涼はどきりと脈を上げた。
 物入れから出てきたときに着いたのだろう、部屋中血だらけだった。物入れの引き戸は開いており、銃痕と血だまりが見えた。
 彼女のディパックも物入れの中にあった。

 涼がサブマシンガンを所持していることは啓太郎も知っている。
 彼がこれを見たら、おそらくすべてを悟るだろう。
 眉を寄せ、ふっと息を落としてから、物入れの引き戸を閉める。戸自体には銃の痕はなかった。
 まゆみは一度窓から外に出ようとしたのだろうか、窓は開け放たれており、窓枠にも血の手形がついていた。
「これは……うまく行くかもしれない」
 やがて意を決し、「矢田!」声を張り上げた。
 廊下を走る音がし、啓太郎が個室に入ってくる。
 喉がからからに乾いていた。どっどと脈を流れる血液を感じる。
 ……大丈夫だろうか? うまく誤魔化せられるだろうか。
 あまり部屋の中を見つめてほしくなかったので、「あそこ」窓の外を指差し、彼の注意を逸らす。
 窓の外には松の古木があり、その幹や枝木がせり出してきていた。
「あれを伝ってきたみたいだな」
「筒井、運動神経よかったものね……」
 窓に近づいた啓太郎が頷く。
 これが、彼女の仲間の重原早苗(黒木優子が殺害)だったら、肥満体の彼女だったら、こうすんなりとは納得させれなかっただろう。
「矢田を呼び止めたときに、窓を閉め忘れたみたいだ。すまない」
 まずは謝る。
 先陣切って涼が部屋を出ると、彼もおとなしく後を続いた。しかし出入り口まで来たところで振り返り、首をかしげる。
「どうした?」
 ひやりとした汗をかきながら涼が訊く。
 身体に緊張感が走る。しかし、啓太郎は頭をぽりぽりとかき、「ううん、なんでもない」と返してきた。その顔色に大きな変化はない。おそらくは大丈夫だろう。

 と、矢田啓太郎の携帯電話から、着信メロディが鳴りだした。
 啓太郎が長身を強張らせる。
 いつの間にか、通信許可時間となっていた。野崎一也か鮫島学か、普段親しくしていた者からの電信だろう。
 しかし、啓太郎は出なかった。
 クラスメイトを、筒井まゆみを撃ってしまったことが関係していると、容易に想像がついた。
 
 携帯電話のことには触れず、一階へとつながる階段を下りる。
「……安東」
 啓太郎が後ろから話しかけてきた。
「うん?」振り返る。
「安東は、誰かの一番になったことって、ある?」
「いや、ないな」
 即答だった。
 死んだ両親からは、暴力しか受けなかった。孤児院のスタッフは愛情を注いでくれたが、それは、孤児全員に等しかった。
「なんで、そんなことを?」
 訊くと、啓太郎は青ざめた顔でただ首を振って返してきた。
  
 

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安東涼 
両親を亡くし、孤児院育ち。生谷高志や佐藤理央を殺害している。優勝者に与えられる生涯補償がのぞみ。離れ離れで暮らしている弟を迎えに行きたい。
矢田啓太郎 
バスケットボール部。野崎一也らと親しかった。一也から友達以上の好意を向けられていたことは知らない。