OBR1 −変化−


026 2011年10月01日12時30分 


<筒井まゆみ> 


 涼はトイレから出てきたところだった。
 手ぶらだ。サブマシンガンも持っていない。狙うなら今だろう。
「死にやがれ!」
 まゆみは、その華奢な身体に似合わない獣のような声で吼えた。
 安東涼。痩せた中背の体躯にセンターで別けた艶のある黒髪、切れ上がった黒目勝ちな瞳。
 大人び、物静かな男だった。
 両親を亡くし、木多ミノルと同じ孤児院で生活している。
 木多ミノルは楠悠一郎の『子分』だ。
 悠一郎らのグループにいたときはそれなりに親しくしていた。
 一度、涼が普段どうしてるのかミノルに訊いたことがあった。特に理由はなく、話の流れで訊いたのだが、ミノルは複雑な表情で「あいつは、一人で本とか読んでる」と答えてきた。
 彼は孤独を嫌う質だ。そして一人で生きられない自身を嫌っていた。ミノルは、涼の生き方に戸惑いと羨望を向けているようだった。

 駆けより、握りしめた剣山を振りおろす。
 振り返った涼の顔面を、剣山の刃が掠めた。ばっと赤い血が飛沫する。
 涼は傷ついた顔面をおさえ「ど、どうして? 死んだはずじゃっ」震える声を飛ばしてくる。どうやら、まゆみが生き延びていたことに気づいていなかったようだ。
「知るかよ!」
 再度剣山を叩きつけようとしたが、これは避
けられた。
 そのまま涼はロビーの奥へと逃げ込み、ソファセットの脇に置かれていた観葉樹を倒してきた。これを避け、ソファの背を蹴り上がる。
 と、まゆみの視界に一人の女子生徒の身体が入ってきた。
 別のソファに寝かされているのは、尾田陽菜ひな の姿だった。
 彼女の顔色は青白く、どう見ても生きている人間の色合いをしていない。着衣も血だらけだった。死んでいるのだ。
「てめ、この女、殺したのかよっ」
「違う!」
 存外に大きな声で涼が応じた。耳がキンッと痛む。
 実際に陽菜を手に掛けたのは、陽菜の友人の黒木優子だったが、まゆみは知らないところだった。
「何が、違うってんだよ!」
 まゆみの声も、涼につられて大きくなった。
 涼が、棚の上に置かれていた花瓶を投げつけてくる。さっと避けるが、バランスを崩し膝を付いてしまった。陶器の割れる音がロビーに響く。
 この隙に彼は踵を返し、駆け出した。
 ロビーのさらに奥、低い囲いで囲まれた……事務室だ。後を追う。
 
 事務室はこじんまりとしつらえれていた。
 小さな島の医療事務作業にそれほど人員はいらないのだろう。
 机が四つ寄り添うようにして置かれており、壁の一面はガラス引き戸式のキャビネットで占められている。
「やめろ!」
 大声と共に、涼が事務机の一つをひっくり返した。
 顔面の左半分に、剣山で付けられた傷。眼球は無事だが、傷口からだらだらと血が流れている。
 体育の授業などから見るに、彼の運動能力はそれほど高くない。体力にも欠けるようだ。
 すでに息が上がっている。

 机の上に置いてあったファイルケースから書類が飛び出し、引出しの中身が床にぶちまけられる。さらにキャビネットを倒し、バリケードのようにしてきた。
 涼が何かを倒すたびに、大きな物音が響く。
「な、なにすんだっ」
「うるせぇ! てめが、先にやったんだろがよっ」
 まゆみの怒声も、大きく波打った。

 剣山を投げ捨て、机の上に置いてあったカッターナイフに持ち帰る。
 武器としてはこちらのほうが扱いやすい。
 ……傷が痛む。逃げ出したい気持ちもある。血を流しすぎて身体がふらつく。だけどっ……だけどっ!
 まゆみは、倒されていない机の上に駆け上がった。
 そしてナイフを振り下ろそうとした瞬間、勝利を確信した瞬間。
 重い銃声とともに、まゆみの右腕、肩の下辺りに新たな痛みが走った。
 さらに、もう一発。
 今度は外れ、窓枠のあたりに穴があいた。
 銃声は後ろからした。
 ざっと振り返ると、そこに立っていたのは、ひょろりと長身の男子生徒だった。短髪、目じりの落ちる童顔。制服姿で、ぶるぶると震えるその手には拳銃が握られている。
 矢田啓太郎だ。確か、野崎一也らと親しくしていた。 
「まだ……他にも?」
 涼が単独行動だとばかり思い込んでいたまゆみを、驚愕が支配する。
 ……と言うか、まさか、矢田がゲームに乗ってるだなんて!
 日頃の啓太郎の人のよい笑みを思い浮かべながら、まゆみは現状を呪った。
 これがプログラムかっ? 早苗も、安奈もゲームに乗っているのか? みんなみんな、乗っているのか?
 まゆみには、涼を殺そうとしている自分もまた立派にその一人であるという自覚はなかった。

 
「……思ったんだ」
 事務室に、涼の悠然とした声が響いた。
 じわり、まゆみは身体をずらし、涼と啓太郎の両方を視界に入れる。
「思ったんだ」
 あくまでも静かに涼が繰り返す。
 こめかみからあご先にかけ、爪で引っかいたような傷。血がぼたぼたと落ち続けている。痛むのだろう、顔をしかめながら、さらに言葉を続けてきた。
「どうやったら、お前に気付かれずに矢田を呼べるかなって」
 ここで、まゆみは得心した。
 さきほどからの大声や、攻撃を避けるためだと思ってた花瓶を投げつけ机をひっくりかえす動作の数々は、仲間を呼ぶ目的も含まれていたのか。
「筒井、お前の、負け、だ」
 涼が力ない笑みを浮かべる。
 力はこもっていなかったが、勝利に満ちた笑みだった。
「撃てっ」
 この涼の声に、啓太郎がびくりと肩をあげる。その拍子に銃口が火を吹き、後ろの窓が割れた。
「もう一発!」
 叫びながら、涼が啓太郎の脇へと移動する。
 今度は続けて三発。そのうちの一弾が、まゆみの上半身に吸い込まれた。焼け付く痛み、遠のく意識。防弾チョッキを越えて着弾したのかもしれない。

 カッターナイフを啓太郎めがけて投げつける。ナイフは啓太郎の肩口をかすめ、うしろの壁にささった。
 柄がびいいんと揺れる。
 啓太郎が恐怖に顔をゆがめた。
「矢田、頭だっ。こいつ、防弾チョッキかなにか、着込んでやがる。頭を狙えっ」
「えっ、や、あっ」
 涼に命令された啓太郎が、戸惑いの表情を見せた。
 なにか打ちのめされたような顔をしている。
「何やってんだよっ、早く!」
 涼が啓太郎を叱咤する。

 この隙にまゆみは乗っていた机から降り、駆けた。苦渋の選択だった。
 ……このアタシが敵前逃亡! 冗談じゃ、ない。
 しかし、あまりにも状況が不利だった。目標は窓。矢田が撃った弾ですでに割れがはいっている。体当たりをすれば外に出られるはずだ。
 と、ここで、まゆみの足が止まった。
 ……逃げる? 逃げてどうする? シンプルに。アタシがしたいのは何だった?
 ゆらり、肩が揺れる。
 一瞬の睨み合いの後、まゆみは床を蹴った。
 狙うは、安東涼。
「あんどうぉおおおっ」
 呪詛の言葉を吐きだした彼女の瞳に銃口が映る。いつの間にか涼が銃を握っていた。続いて、乾いた音を聞く。
 背後の窓が割れた音がした。
 さらに一発。
 今度はまゆみは銃声を聞かなかった。
 弾が発射されると同時に、まゆみの頭部、左半分にダメージが加わったからだ。そのまま後ろへ仰け反り、わずかに残っていた窓ガラスを割る。
 窓の枠に背を乗せたブリッジのような体勢を一度取った後、まゆみの身体は窓の外へと落ちていった。

 


−筒井まゆみ死亡 24/32−


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筒井まゆみ
二年まで楠悠一郎らと荒れた生活をしていたが、三年になって永井安奈と親しくなり、生活を改めていたが、裏がある様子。