<筒井まゆみ>
筒井まゆみ
が目を覚ましたとき、周囲は暗闇だった。
身体を丸めるようにして倒れこんでいる。手足を動かそうとして、全身に激痛が走った。ぐううと、うめき声を上げる。
苦労して手足を伸ばすと、すぐに壁らしきものに当たった。
つるりとした感触。手を這わすと、どこか狭いところにいることが分かった。空気が濃密で、息が詰まりそうだ。
「ここは……どこ?」
やがて、壁だと思っていた前面が引き戸であることに気づく。隙間から僅かに光が漏れ入っている。
さほどの力は必要なく、滑らかに戸は動いた。
苦痛に顔をゆがめながら、ずるずるとほふく前進で抜け出す。
振り返るとそこには物入れがあった。
八畳間ほどの部屋だ。
電灯は点いていなかったが、窓から光が差し込んでおり、明るい。
腕時計で確かめると、正午過ぎだった。
柔らかなクリーム色の壁紙、所々に木材が用いられ、アクセントになっている。ベッドが一つ、ナースコール、テレビ、冷蔵庫……。
やがて今いる場所が病室だったと思いだした。
備え付けの物入れに押し込められていたのだ。
東の集落の北端に位置する診療所
。
二階建てで、二階部分は病室で占められていた。個室と大部屋がいくつかあり、ここは個室の一つだった。
鏡に姿を映す。
血に濡れた制服に身を包んだ中背の体躯、乱れたショートカットの茶髪に、上がり気味の猫目。とがったあご先。今は傷つき弱っているが、元々の俊敏さが伺える所作だ。
手足の銃創が特にひどい。失血のせいだろう、頭がふらふらした。
次第に記憶がよみがえってきた。
まゆみがこの診療所にやってきたのは数時間前のことだ。
ただすぐに後を追うようにして安東涼が侵入してきたので、一旦物入れに身を隠した。そして彼を襲おうと飛び出したところで、サブマシンガンの反撃を受けたのだ。
それでもなお彼女が生きているのは、支給武器の防弾ベストのおかげだった。
同封されていた説明書によると、最新式の高級品だそうだ。防御能力も非常に高い。
ただ近距離からの被弾だったため、幾らかは貫通していたし、手足などカバーしきれていない部位はまともに食らいこんでいた。
衝撃も大きく、先ほどまで気を失っていた。
頭を振り、一つ、驚く。
「安東は、なんで、止めを刺しに来なかったんだ?」
疑問を口に出す。
気絶後、二度の定期放送が過ぎている。
こうして生きているのだから、死亡者リストにまゆみの名は上がっていないはずだ。
気づいていないのか、すでに他所に移動してしまっており戻ってこれないのか……。
実際には、涼はまゆみの生存に気づいていなかった。
また二人の戦闘後すぐに矢田啓太郎が現れ、涼がまゆみの生死や所持品を確認する間がなかったことも幸いした。
貫通した銃弾が心臓や肺など重要な器官を気付けなかったことも。
様々な幸運と偶然に支えられ、まゆみは生きていたが、その事情は彼女の預かり知らぬ話だった。
「鬼塚のヤロウ」
唾を吐く。
ふつふつと怒りの感情がわき上がってきた。
ポケットから二つ折りの携帯電話を取り出し、睨みつける。
質問権付き携帯電話。
木沢希美の支給武器だったものだ。プログラム開始早々に北の山で彼女と遭遇し、取り上げた。そのこと自体には特に罪悪感はない。殺されなかっただけありがたいと感謝してほしいぐらいだった。
木沢希美は、小柄で地味な女の子だ。
活発さとは縁遠く、部活も文科系、吹奏楽部に所属していた。ただ、同じクラスの中村靖史と交際しており、吾川琴音など友人は多かった。
今頃はそのうちの誰かと合流しているのだろうか。
まぁ、とにかく。この携帯電話には、プログラム担当官の鬼塚に質問ができる権利が付随している。回数制限があり、五回まで許される。ただし、そのうちの一回は嘘の回答が返ってくるとのこと。
説明書を取り出し、嘘の回答について書かれた部分を憎々しげに見やる。
「近くに誰もいないって言ってたのに」
まゆみはこの診療所に侵入する際、質問権を一度使っていた。
周囲に他の選手がいないか尋ねたのだ。
鬼塚教官は誰もいないと答えたのだが……。
まさか一回目の質問で嘘のカードを切ってくるとは。
憤慨し、唇をかみしめる。
携帯電話のディスプレイには、『残り四回』と表示されていた。
つまり残り四回は正答を得られるということだが……まゆみは怒りにまかせ、携帯電話と説明書を病室のゴミ箱へ投げ入れた。
もう二度と彼とは話したくなかった。
理屈では所持しておいたほうが自身の利となることは良くわかっていたが、生理的な嫌悪感を優先する。
と、遅れてはっと息をのんだ。
「禁止エリア!」
定期放送を聞き逃したということは、追加の禁止エリアを聞き逃したということだ。
戦慄が走り、全身が総毛だった。めまいを覚える。心臓に爪を立てられたような、恐怖。鏡に映る自身の顔から血の気が引いていた。
慌てて病室を飛び出したが、すぐに足が止まった。
階下から何か物音がした。
ほっと胸を撫で下ろす。
一階に誰かいるということは、とりあえずこの診療所を含むエリアは次の禁止エリアではないと考えていいだろう。
問題は物音の主が誰であるかだが……。
階段の上から覗きこみ、まゆみはもう一度息をのんだ。
階下にいたのは、安東涼
だった。
後じさり、先ほどまでいた病室へと戻る。
どうしようかと思いあぐねていると、窓が視界に入った。
出窓になっており、外に向けて張り出した棚状部分には皿型の花生けがあった。島民の強制退去時に取り除いたのだろう、花は生けられておらず、皿の中央に剣山がぽつんと置かれていた。
また、窓のすぐ近くまで松の古木がせり出してきていた。
二階とはいえ、病院建築なので通常の民家より高さがある。
そのまま飛び降りるのは躊躇われたが、幹を伝えば降りられるのではないか。
窓の鍵を開け、身を乗り出す。
棚状部分に血に濡れた手形がついた。しかしここで、まゆみは強く頭を振った。
「逃げる?」
自身に問う。
「それはっ、違う!」
奮い立たせる。
花生けから剣山を取り出し、まゆみは病室から出た。民家で入手したはずの包丁は見つからなかった。きっと安東涼が奪い取っていったのだ。
木張りの廊下を抜け、階段へと戻る。血糊の足跡が残っており、怒情が煽られた。
一瞬でも弱気になった自分が恥ずかしかった。
そんな自分にさせたプログラムが憎かった。
*
まゆみのモットーは、『シンプルに生きる』だ。
飲みたいから、酒を飲む。寝たいから、男と寝る。金が欲しいから、金も取る。
勉強はしたくないから、しない。タバコは美味いと思わないから、吸わない。薬は金がかかるから、しない。後味が悪くなるから、クラスメイトに乱暴はしない。
楽しそうだったから、楠悠一郎ら素行の悪いグループに入った。つまらなくなったから、グループから抜けた。永井安奈と組んでみたくなったから、組んだ。
シンプルに。やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。
この生き方が、自分には似合っている。ずっと、そう思ってきた。ずっと、そうやってきた。
ただ、摩擦はつき物だった。
悠一郎のグループから抜けるときは、それなりにもめたものだ。
彼から暴力は受けた。羽村京子が止めに入ってくれなかったら、どうなっていたか分からない。
それでもまゆみは生き方を変えなかった。
「そういうの、好きよ」
ふと、永井安奈から受けたフレーズを思い出す。
彼女との付き合いは三年になってからだ。安奈から声をかけてきたのだ。
そして、彼女の友人である重原早苗とも親しくなった。
安奈と早苗。以前は、奇妙な取り合わせだと思っていた。
安奈は教師受けのいい優等生。
比べて、早苗は無茶苦茶だった。
酒やたばこはもちろん、クラスメイトに乱暴も働く。薬にまで手を出していたという噂もあった。 ただ、早苗は安奈と親しくなって変わっていた。生活が落ち着き、粗野なふるまいが消えていた。
見た目もずいぶん変わった。派手に染めていた髪は黒く戻し、化粧もしなくなっていた。
やがて、安奈が真面目に見えてその裏で色々と悪さをしていたことを知るに至り、納得した。
安奈は援助交際グループの元締めだった。
早苗が様相を変えたのは、より高く身体を売るためだったのだ。
まゆみもすぐに仲間に入れてもらった。売春行為はもともとしていたので、慣れたものだった。拒否感もない。
安奈が連れてくる客は上客が多かった。以前はひやりとする場面もあったのだが、そのようなことがなくなり、安心して身体を売れた。
それでも最初はストレスを感じた。
影でコソコソってのがアタシには合っていないのかも知れない。そう思った。
だがあるとき安奈が、「そうね、あんたは開けっぴろげにやりたいのね。ずっとそうやってきたのね。私、あんたのやり方好きよ。でも……そういうやり方、そろそろ飽きてきてない? ためしに影でこっそりやることを楽しんでみなよ? 案外変わるかも」と言ってきたのだ。
今、思い出してもたいしたことを言われたわけではない。
だけど……どう言うわけか、それからは安奈のスタイルで悪さをすることが面白くなった。
思うに、安奈は人の心をコントロールしたり誘導したりするのが上手いのだ。
札を二、三枚つけてもお釣りが来るような不良だった重原早苗が一見真面目風になっていた理由も、ここで分かった。
彼女もまた何かしらの言葉を受け、感化されたに違いないなかった。
そのあたりを聞いたら、早苗は「不良ってたいがい群れちゃうじゃん? それってカッコ悪い。でも私は一人でやってきた。安奈はそれがカッコいいって言ってくれたんだ」と誇らしげに言っていたものだ。
でも結局グループで動いているじゃないかとは言えなかった。
追及は、まゆみにも返ってくる。
シンプルを旨としていたはずの自分だって、いつの間にか手の込んだことをするようになっている。
それは、安奈の操作だ。
「だけど、それがどうした?」
口に出す。
……安奈と組んで動くのは楽しい。なら、それでいいだろう。あれこれと理屈をこね回すのは、アタシじゃない。
安奈は、目立つことを避けていた。しかしだからと言って悪さをやめるという選択を取らないところが彼女の彼女たるゆえんだと、それが彼女の魅力だと、まゆみは感じる。
重原早苗のように心酔することはできないが……安奈にはやっぱり何か惹かれるものを感じる。
ならば、それでいいのだ。
「シンプルに、やりたいことをやる」
呟く。視線の先には安東涼の背中がある。
ごくりと唾を喉に落とし込み、まゆみは剣山を握り直した。
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