OBR1 −変化−


023 2011年10月01日12時30分 


<黒木優子> 


 三井田政信は傾斜の上に立っていたので、元々の身長差以上に見下ろされる形となった。頭には青地のタオルを巻いており、耳元や首筋から軽くウェーブを描いたミディアムヘアが覗いている。
 人の良さそうな目じりの落ちる細目は、同じバスケットボール部で主将を務めていた『オヒトヨシ』の矢田啓太郎と似通っているが、その性質はまったく違う。
 万事にいい加減で不誠実。
 優子は、生真面目な啓太郎が政信に振り回されているシーンを何度も見たことがあった。女性関係も派手で、クラスでは飯島エリと野本眞姫と同時に交際しており、彼女たちの仲は険悪だった。
 ただその飄々とした質がそうさせるのか、なぜだか憎まれることなく、クラスでも男女問わず友人が多かった。

 命じられ、裁ちばさみや草刈り鎌を地面に置く。
 と、ひひゃはっ、政信が口を大きく開けて笑った。白い歯が覗く。どこか余裕すら感じられる、 緊張感に欠ける佇まい。
 尾田陽菜、矢田啓太郎、安東涼、重原早苗。遭遇したクラスメイトはまだそう多くはないが、みな一様に切迫しており、顔を強張らせていた。
 それらは、政信にももちろん見られる。
 しかし、あまりにも希薄だった。
 追撃もまだ仕掛けてこない。他の生徒の居場所や状況などを訊きたいのだろうか。 
 ならば、やり様はある。
 ショットガンを向けられた絶体絶命の状況だが、優子はそこに一縷の望みをかけた。
 呼吸を小刻みに刻み、気を落ち着かせてから、「ねぇ」と政信に声をかける。
「……なんだ?」
 やや置いて、彼が返事をした。
 ほっと胸をなでおろす。
 やはり問答無用で命を取るつもりはないようだ。

「助けてくんない?」
 不思議に、声も身体も震えていなかった。
 これに、政信がまた歯を見せて笑った。次いで、「俺の、メリットは?」大ぶりの口が滑らかに動く。
「物資は渡せないけど、持ってる情報は渡すよ。休むときに、見張りも必要だろうし。それに、二人組とか複数とやり合う羽目になったとき、一人でどうするの?」
 この提案に、政信がひゅっと口笛を吹いた。感心した様子だ。
「どう?」
 確認を投げると、「黒木って、下の名前、優子だっけ?」関係があるとは思えない質問をしてくる。
「そう……だけど?」
「ゆーこさんか。いい響きだ。まぁ、たしかに見張りとか欲しいな。二人組とか複数とやり合う羽目になったとき、一人じゃ困るし」
 優子の言葉を借りて話してくる。
 うまく話を運べたと安堵する。そして、痛む傷に顔をしかめながら、サスペンダーを外し、シャツを脱いだ。上半身下着姿だ。
「これも、メリット」
 二の矢。くいっと首を横に向け、農機具倉庫 を見やる。「あそこで……手付をどう?」三の矢を打つ。

 ごくり、政信が唾を飲み込む音があたりに響いた。



 農機具倉庫は稲刈り機なども仕舞えるよう、大きくしつら えられていた。十畳は優にあるだろう。奥行きもある。
 土足で入る作りの為、床板は乾いた泥で覆われている。
 粗末な作りなので木壁の隙間から太陽光が漏れ入っており、倉庫内を難なく見渡すことが出来た。
 まず目につくのは、左右の壁に沿って設置されている木製の棚。角材と板材を組み合わせた単純な構造で、左の棚がちょうど政信の背丈ほどの高さだ。
 右の棚はやや背が低く、左が三段作りであるに対し、こちらは二段しかなかった。
 左側の棚には、農薬が入っているらしい一斗缶に、ダンボール箱、プラチックボトル入りの液体洗剤など雑多な物が置かれている。
 
 入り口対面の壁に無造作に立てかけられているのは、鍬や鎌などの農機具。
 刃物の位置を確認する。
 さきほど政信にコンビを組むよう求めたが、その気はなく、隙を見て殺すつもりだった。

 問題はどのタイミングで彼を殺せるか、だ。
 ここで、ふっと重い息を吐く。 
 優子に男女交際の経験はあった。ただ二年生の頃の話で、極めて健全な付き合いだった。当時同じクラスだった交際相手は『健全な』思春期男子らしく、身体を求めては来たのだが、怖くて性交渉には至れなかった。
 それが原因というわけでもないのだろうが……ある程度は原因だったのだろうが……その少年とはすぐに別れてしまった。
 別段、優子が潔癖だったわけではない。男の子との経験に淡い夢も抱いていた。
 ただ単に、優子にはまだ早かっただけの話だ。
 初体験。やはり、初めては彼の部屋が似合う。彼の両親には旅行にでも行ってもらって。きちんとシャワーを浴びて。彼からせいぜい甘い言葉をかけてもらって……。
「……なのに」
 悔しさを口に出す。
 なのに、現実はどうだろう。
 埃だらけの倉庫で。汗ばみ、汚れた身体のままで。商売女のように自分から誘って。好きでもない男と。
 唇を噛む。
 
 ゆっくりと農機具倉庫の中に足を踏み入る。床が軋んだ音を立てた。
 背後で扉の閉まる音。振り返ると、ちょうど政信が後ろ手で鍵をかけるところだった。フックを上げ下げするだけの簡素な構造だ。
 ショットガンは、しっかりと優子に向けられている。
 緊張感の足りない質だが、プログラムという状況下で他人に万全の信頼を寄せるほど愚かでもないのだろう。
「抵抗はしないから乱暴は止めてよ。私、勢いだけのセックスは嫌い」
 出来る限り経験者を装うと、胸が痛んだ。
 生き残るために身体を使うことを憂う。人殺しの自分にそんな感情が残っていたのかと、意外にも思った。

「なーに、考えてるん?」
 ショットガンの銃口を向けたまま、政信が緊張感のない間延びした口調で訊いてくる。気だるい口調、緩く、悠然とした態度。日頃の彼となんら変わらない。
「変なヤツだね、あんた」
 試しに口に出してみる。
 伝染したのだろうか、優子の焦燥感が少しほぐれていた。
「なんで、そんなに緩くいられるの?」
 これに、政信は含み笑いを返してきた。
 青地のタオルが巻かれた頭が軽く揺れる。
「なーんかね、現実味なくない? ほんっとに、殺人ゲームなんて始まってるのかなーって思わない? きっと俺、今ここでゆーこサンを殺しても現実味感じないだろーなぁ」

 突然の衝撃。

 ビリビリと農機具倉庫内の空気が震えると同時、破壊された棚が崩れ落ちた。穴が開いた一斗缶から農薬がこぼれる。
 遅れて、政信のショットガンが火を噴いたのだと理解した。
 その反動からやや身体を仰け反らした政信が体勢を整え、「うっひゃー。ショットガンの威力ってやつぁ、すごいねぇ」目を丸くする。
 しかし、本心から驚いたようには見えない。芝居じみた表情だった。
「うーん。これで撃ったら、ゆーこさん、ぐちゅぐちょのスプラッタだ」
「な……に?」
「俺さ、ホラー映画って苦手なんだよねぇ。だからさ、こいつで、殺してやるよ」
 そう言って政信はショットガンを肩がけすると、重原早苗が持っていた草刈り鎌を取り出した。
「ね、こっちのが、まーだ、キレイな死体になると思わん?」
「な、に、言ってるの?」
 背筋に何か冷たいものを押しあてられたような気がした。ぞくぞくと全身が総毛立つ。
 ここで初めて、優子の身体が震えだした。つむじから足先に至るまで、身体の全てがガクガクと震えていた。
 緊迫感が優子のこめかみを焼き、喉を焼く。

「俺さ、今のまんまのが楽だからさ。現実味を感じずに行く方が楽だからさ。ねっ、キレイな死体になってよ。ゆーこ、さん」
「な、なに言ってるの? ねっ、やる……んでしょ? ここで私と、やるんでしょ?」
 身体の震えが止まらなかった。
 演技でも何でもない。純粋に恐怖を感じた。身体が震えた。
「ああ、それ? やっぱ止めた」事もなげに言ってくる。
「なっ」
「だーて、ゆーこさん、俺を殺す気でしょ。降参って感じなんだけどさ、目がねーぜんぜんやる気なんだよね。戦う気まんまん」
「そんな……こと、ない」
 優子のごまかしに、政信が白い歯を見せる。
「でも、そんなゆーこさん、結構かっきーね。いいよぉ。俺、そんな女、好きだなぁ。プログラムの最中じゃなかったらなー。ぜったい、お相手願うのになぁ。経験もご抱負みたいだし、ちょーと、惜しいんだけどさぁ」
 私、したことないよ!
 唇を噛む。
「ゆーこさんとは、ホントやりたいんだけどさ。だからって、わざわざ自分の命をかけてまでね」
 おそらく農機具倉庫に入るまでは、三井田は自分を抱く気だったに違いない。だけど、どこかのタイミングで冷静さを取り戻したのか、思い直されてしまったのだ。
 心臓のドラムが狂おしいほどに鳴っていた。



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黒木優子
親しくしていた尾田陽菜を殺した。その様を矢田啓太郎や安東涼に目撃されている。