<黒木優子>
角島の中央部付近、畑に囲まれた古びた家屋の前で、黒木優子 は地面に膝をつき、息を荒く乱していた。
その足元には、重原早苗
がかっと目を見開いて仰向けに倒れている。
胸元、心臓のあたりに裁ちばさみが突き刺さり、傷口から流れ出た血が赤い池となっていた。
尾田陽菜を襲ったときに返り血を浴びたので、制服から私服に着替えていた。
白地のロングTシャツ、七分丈のタックパンツをサスペンダーで吊っている。華奢な中背、ふわふわの赤茶けたロングヘアー、そばかすの散った白い頬。
優子の右の肩口はざっくりと切られており、ぼたぼたと血が落ちた。
傷の痛みに顔をしかめながら立ち上がり、腰に右手を当て、早苗の亡骸を見下ろす。
「馬鹿な女」
先ほど、早苗に声をかけられた。
クラスメイトとの邂逅を喜んでいるように振舞っていたが、制服には血がついており、右手を不自然に身体の後ろに隠していた。
早苗としてはだまし討ちを狙っていたのだろう。しかし彼女がすでに誰かを襲っており、刃物なり銃なりを後ろ手にしていることは明らかだった。
逃げ出そうか迷ったが、追われてもやっかいだ。
先手必勝。
優子もまた再会に感激したように装って駆けより、そして間髪入れず裁ちばさみを早苗の腹部に突き刺した。
どうやら彼女はしばらく話してから襲うつもりだったようで油断しており、難なく刺すことができた。
しかし致命傷には至らず、彼女の反撃を右の肩口に受けてしまった。
早苗が所持していたのは草刈り鎌だった。
鎌とはさみ。純粋に武力で見ると優子は不利だったが、先手を取れたことが有利に繋がり、彼女を仕留めることができた。
裁ちばさみは尾田陽菜から奪ったものだ。
殺傷能力としては他の武器に劣るが、それでも陽菜、早苗の二人を殺めることができた。
考える。
……ずっと、私は普通に生きてきた。普通に家族がいて、普通に友だちがいて、男の子に普通に恋もして。これからもきっと、普通に進学して普通に結婚して普通に年を取っていくのだろうと思っていた。
そんな生活、未来に嫌気がさすこともあった。何か派手なことが起きないかと心のどこかで期待する自分も感じていた。
しかし、プログラムに巻き込まれた今、優子はそんな生活、未来に愛おしさを感じていた。
あの、当たり前だと思っていた日常に戻りたかった。
だから、優子はゲームに乗った。
と、胸の奥から何か酸っぱい物が込上げてきた。
身体をくの字に曲げ、嘔吐する。苦しさに、ぼろぼろと涙がこぼれた。
陽菜を殺した後も、少ししてから吐いた。
身体がクラスメイトの殺害に着いていけていないのだと、嫌でも自覚する。
しかし、生き残るためには続けなければならない。
左手の甲でぐっと涙をぬぐい、身体を起こす。頭を一度強く振り、気持ちを切り替えた。
ふっと思いつき、優子はディバッグの中を探る。
取り出したのは、二つ折りの携帯電話だった。
優子は現在二つの携帯電話を所持していた。一つが、優子の私物。もう一つが、この携帯電話だ。ボディの色はシルバー。
これが、優子の支給武器だった。その機能は激しく制限され、通話しかできないようになっている。また、通話相手はただ一人に限定されており、自由にダイヤルできないようにカスタムされていた。
ふっと息をついた後、ジョブキーを操作しアドレス帳を呼び出した。
表示されている名前はただ一人、『鬼塚』だけだ。
つまりこの携帯電話で、鬼塚教官と通話ができるのだ。
携帯電話の箱に同封されていたメモによると、鬼塚との交信は特別回線で行われるそうだ。
通信は遮断されておらず、いつでも電話をかけられるというわけだ。対教官用の特別回線を通すので、他のクラスメイトの通信に使うことはできない。
そして、五回までの『質問権』が認められていた。
この質問権が、優子の実質的な支給武器だった。
五回までは鬼塚教官に自由に質問ができる。ただし、そのうち一回は嘘の回答が返ってくるとのこと。
この嘘の回答がネックだったが、試しに一度かけている。
尾田陽菜の居場所を聞き、幸いそれほど離れていなかったので現地へ向かい、果樹園の奥で彼女を見つけることができた。
そして、殺した。
陽菜には「前から気に食わなかった」と言ったが、あれは嘘だった。
可愛らしい容貌をしていた陽菜に嫉妬心を覚えることは多々あったが、根の深いものではなく、控え目でおとなしい彼女と一緒にいる時間は決して嫌いではなった。
だけど、殺した。
生き残るためには、最後の一人になるためには、あの日常に戻るためには、仕方のないことだった。もちろん心は痛み、その痛みが嘔吐にも繋がったのだろうが……。
陽菜を最初の一人に選んだのは、親しい友人だったからだ。
親友を殺すことで、きっと腹を決められる。退路を断つことができる。そう、考えた。
打算もあった。
陽菜のことは良く知っている。
大人しい彼女がプログラムに乗るとは考えにくいし、優子を信用してくれる自信もあった。最初の一人として、彼女ほど適任な者はいなかった。
だから質問権を消費し、鬼塚に彼女の居場所を訊いた。
ただ、通信許可時間を待ち、彼女と連絡を取ることも可能だった。鬼塚に連絡を取ったのは、嘘の回答を得られないかと考えたからだった。
五回の質問権のうち一度だけ嘘の回答が返ってくるということは、その一度を経過すれば、安心して質問ができるということだ。
しかし、鬼塚は優子の質問に正答を与えてきた。
プログラムの説明をしていた鬼塚教官を思い出す。
彼の説明は端的で分かりやすかった。きっと頭も回るのだろう。質問の裏に隠しておいた意図は読まれていたに違いなかった。
*
目の前に横たわる早苗の亡骸に手を合わせようとして、優子は大きく首を振った。
今更彼女たちの死を悼むことに何の意味があるのだろう。
死を悼むのなら、最初から殺さなければいいのだ。
そして、それはこれからもクラスメイトと戦い続ける決意のあらわれでもあった。
「誰だって、死にたくなんてない」
……だから、私はプログラムに乗る。
ディバッグを拾い上げ、立ち去ろうとした、そのとき。
「そうだな」
背後で誰かの声がした。
「俺だって、死にたくはない」
続く、銃声。空気が重く震える。三メートルほど離れた草藪が、広範囲に弾け飛んだ。
驚いて振り返ろうとすると、もう一撃。
今度は、優子からほど近い地面に穴が開いた。相当に威力のある銃だ。
心拍が上がり、脂汗をかく。
「両手を上にあげろ」
男子生徒の声だ。
聞きおぼえがあった。
誰だろうと考えながら、「右手は上がらない。怪我をしているから」答える。本当は無理をすれば上がりそうだったが、少しでも身体の自由を確保しておきたかった。
「分かった。左だけでもいいから、上げろ」
言われた通りにすると、「よし、ゆっくりとこっちを向け」新たな指示が来る。
振り返った先、雑木林の中から姿を現しているのは、一人の男子生徒だ。
制服に身を包んだ、すらりと筋肉質な長身。目じりが落ちる細目。頭には青地のタオルを巻いており、耳元や首筋から軽くウェーブを描いたミディアムヘアが覗いている。
バスケットボール部の三井田政信だ。
銃を撃った反動からだろうか、政信はよろけた身体を立て直そうとしているところだった。
そして、その手にはポンプ式のショットガンがあった。
優子の心臓が軽くジャンプする。
どこか雑木林の奥のほうで鳥の鳴き声がした。
ショットガンのポンプを動かして空薬莢を排出し、次の弾を装填した政信が唇の端を歪め笑い顔を見せる。
「お前、重原をやったのか?」
黙ってると、耳障りな音を立てて政信が含み笑いをした。
「やるねぇ。元ヤンの重原。手強かったろー? すげぇよ、お前」
どこか間延びした政信の物言い。
政信は普段から飄々とした男だ。
その雰囲気はプログラムの今も変わらなかった。
「ほんと、すげぇよ、お前」
政信が腰を落とし、ショットガンをしっかりと構えなおす。
これを合図にしたのか、鳥の飛び立つ音が聞こえた。
「でも、もう、終わりだな」
−重原早苗死亡 25/32−
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