<野崎一也>
東の集落は、丘陵地になっていた。
なだらかな斜面を覆うように、家々が並んでいる。家屋は時代を感じさせるものが多かったが、所々に新築もあり、人口が流出一方ではないことを示している。
野崎一也は慎重な足取りで、街中を歩いていた。
この集落の北端に、診療所がある。
一時間ほど前に、矢田啓太郎と連絡を取った。
その際彼は、安東涼と一緒に診療所にいると言っていた。
地図によると、角島の診療所は一か所だけだ。
目指す場所に間違いはないはずだった。
「診療所か……」
一也の父親の出身地である島には、医療施設はなかった。
祖父によると、瀬戸内海にはおよそ700もの島が点在しており、そのうち有人島は130ほどだそうだ。その大部分は過疎化と高齢化に悩まされており、離島医療の現状は推して知るべし、だ。
島々を回ってる医療船だけが頼りだと、祖父は言っていた。
その中で、角島は明らかに恵まれている。
と、頭の中でざわめくものを感じた。俺は何かを思い出そうとしている。確信めいた予期を得、眉を寄せ、記憶を探る。
しかし思索は、「やめろ、重原!」怒鳴り声に遮られた。
びくりと肩を上げる。
「中村か……」
声の主はすぐに分かった。中村靖史だ。
争う音はほど近く、坂の上から聞こえた。ばたばたとした足音が、遠ざかっていく。
聞こえたのは一言だけだったが、おおよその見当はついた。
中村靖史が重原早苗に襲われているのだろう。
早苗とは二年、三年と同じクラスだ。彼女は三年になってから急に落ち着いたが、二年までは荒れた生活をしていた。
死んだ香川美千留なども、その被害にあっていた。
中村靖史とはそれなりに親しくしていた。はきはきと喋る明るい少年で、吹奏楽部の木沢希美と交際している。
彼自身は写真部に所属しており、部長も務めていた。
写真の腕はなかなかのもので、たしか関西全域を対象とした学生コンクールで入賞していたはずだ。
迷っているうちに、身体が勝手に動いていた。
支給武器であるコンバットマグナムのグリップを握りしめ、坂を駆け上る。
坂の上には、血痕が残っており、はっと息をのんだ。
見やると、スカートの裾をはためかせて走る、小太りな女子生徒の後ろ姿があった。その前には小柄な男子生徒。
重原早苗と中村靖史(それぞれ場面としては新出)だ。
やはり、早苗が靖史を追っている。彼女の右手には、刃が丸く湾曲した農具……鎌が見えた。刃先に血糊が付いているのが、遠目にも分かった。
迷うよりも先に身体が動いていた。
空に向かって銃を撃つ。
ぐあんと殴られたような反動。
射撃など初めてだ。また、ほとんど条件反射的に撃ったので、身体の保持を考えていなかった。よろけ、尻もちをつく。どきどきと胸が鳴り、指先が小刻みに震えた。
前の二人が立ち止まった。
「次は狙う!」
起き上がり、早苗に銃口を向ける。本当はそんな気はなく、ただのブラフだったのだが、効果は覿面
だった。
ちっと舌を打つと、早苗が路地に逃げ入った。
*
「ありがとう」
靖史が礼を言ってくる。
「いや、なんか夢中で」
正直なところを話すと、「ありがとう」靖史が繰り返し、「痛っ」顔をしかめた。
右腕がざっくりと切られており、制服に血が滲んでいた。
「いきなり襲われてさ……」
顔をしかめる。丸顔に、きゅっと上がった太い眉、くりくりとした大きな瞳。
靖史が上着を脱ぎ、上半身裸になった。
こんなときながら、どきりと脈が上がる。
ああ、何考えてんだ、俺。
支給物資に入ってた消毒液や傷薬で応急処置をしている靖史を脇目に、罪悪感に囚われる。
「包帯まくの手伝ってくんない?」
にゅっと差し出された腕に触れ、さらにどぎまぎする。
同性の友人たち。彼らが女子生徒を見るように、一也は彼らのことを見てしまう。それが、後ろめたく、申し訳なく、情けなかった。
「木沢は?」
気を紛らわせるために、彼の交際相手を話に出す。
「まだ会えてないけど、さっき連絡が来た。木沢、島の北のほうにいるんだ。俺はそっちに向かうところ。……野崎は?」
「俺は矢田と合流するつもり。安東と診療所にいるんだってさ」
そのまま、情報を交換しあった。
高志や佐藤理央の亡骸を発見したことを話すと、「そうか……プログラムなんだ、ね」靖史が肩を落とす。
当の本人も重原早苗に襲われているが、死の重みはまた違うものなのだろう。
「生谷、残念だったね」
一也が高志と幼馴染であったことは、みな知っていることだ。
靖史が慰めてくれる。
彼は重原早苗と遭遇するまでは一人で過ごしており、特に何も見ていなかった。
「国生とか藤谷、心配だな……」
ふと思いつき、坂持国生と藤谷龍二
(新出)の名前を出す。
一也も親しくしている国生は、靖史とも仲が良かった。
龍二は靖史とは同じ写真部だ。万事に不器用で、それを楠悠一郎らにからかわれたりもしていた。
「うん、坂持は根性あるから大丈夫だろうけど、藤谷が心配だ……」
てっきり安否を気遣っているのかと思ったら、「あいつ、気が小さいから、死ぬのが怖くて、プログラムに乗っちゃっているかも」違う心配だった。
一也からしてみれば、おっとりとした藤谷が乗っているとは考えにくいが、この状況だ。誰が乗っていても不思議ではない。
「委員長はどうしてるんだろうねぇ」
包帯を巻いた右腕をさすりながら、靖史が言う。
委員長とは、一也の仲間の一人である鮫島学のことだ。
「あいつとも、なんとかして合流したいな……」
「委員長、頼りになるものね」
靖史の台詞に、無言で頷いて返す。
学は気位が高く、扱いにくいところもあるが、知識が多方面に豊富で頭が切れる。
また、運動神経もよかった。
一也は陸上部の短距離スプリンターをしているが、体力測定の50メートル走では学に負けてしまい、「俺の立場も考えろ」と冗談混じりに不平を言ったものだ。あのとき学はまんざらでもない顔で笑っていた。
穏やかな、日常の思い出。
思いがけず、胸が詰まる。
と、「そういやさ」少し黙っていた靖史が口を開いた。
「うん?」
「俺、小学校から結構、委員長と同じクラスになることが多かったんだけどさ」
「サメって小学校のときも、あんな感じだったの?」
何となく訊いてしまい、話の腰を折ってしまった。
学とは小学校区が違った。同じクラスになったのも三年が初めてだったので、半年ほどの付き合いだった。
「ええと、もっと偉そうだったよ」
靖史が苦笑し、「そう、偉そうだったんだ……なんか、回りを見下してる感じでさ。友だちなんかぜんぜん作らなかった。まぁ、頭のいい奴だから、クラスで孤立しないようにはしてたけど」続ける。
「想像つくなぁ」
同じく苦笑いをする。
「でさ、三年になって、野崎と親しくなったでしょ。ほら、統制院の件があってさ……」
言いにくそうに靖史が口ごもる。
思想統制院は、思想に問題がある者を捉え、再教育する施設だ。
学はネットの海外アクセスを問題視され、一也は反政府志向を疑われ、捕縛されたことがある。一也に関しては冤罪だったのだが、この経歴に興味を持ったのか、学から話しかけてきたのが友だち付き合いの始まりだった。
「野崎と親しくなって、委員長はなんか変わった。険が取れたっていうかさ、トゲトゲした感じが減ったっていうかさ……」
なんだか気恥ずかしかったが、靖史の言うことはだいたいであっているような気もした。
「人って、変わるよね」
ふっと遠くを見つめて、靖史が言う。
「中村?」
「俺も変われるかな……」
切なそうな表情。
「何が?」
訊くが、靖史は儚げに笑うだけだった。
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