<木多ミノル>
午前8時、木多ミノル
は藪の中で座り込み、制服に身を包んだ身体を震わせていた。
場所としては、南の山の中腹になる。
鬱蒼とした森。ブナやミズナラ、クヌギといった雑多な樹木が混合し、光を取り合っていた。風に揺らされた葉と葉が擦り合い、ざわざわと音を立てている。
このあたりの地面の多くは岩肌で、沢が近いせいか、苔類が繁殖していた。
地面に着いた手に感じるぬるりとした湿りが気味悪い。
中背のひょろりとした体躯に、にきび痕が目立つほほ、二重のはっきりとした瞳、額に落ちる前髪。その全てに大きな恐怖感が張り付いている。
ポケットから携帯電話を取り出し、睨みつける。
スラム街で手に入れた出所怪しい品なので、本体はタダ同然だったが、毎月の使用料を捻出するのは孤児のミノルにはなかなかに大変だった。
それでも持っていた。
携帯電話は、人の輪の中にいることの証だ。
クラスメイト達はメールだのSNSだのツイッターだのを通して、それこそ網の目のようにして繋がっている。ミノルがいるのはその網目の端の端だが、ミノルにとっては網目の構成の一つとなっていること自体が意味のあることだった。
先ほど、通話許可時間があったが、誰にもかけなかった。かけることができなかった。
ミノルには友人と呼べる者はいない。
日頃携帯電話に連絡をくれるのは楠悠一郎ぐらいだった。
ただ、素行の悪い生徒の中心である彼には、校内に取り巻きが大勢おり、ミノルはその一人に過ぎなかった。
粗暴な彼からくる電信は使い走りや何かしらの命令ばかりだったが、それでも嬉しかった。
いつも、受信音を心待ちにしていた。
受信音が鳴り、二つ折りの携帯電話を開き、電話を取る。メールを見る。その様を誰かに見てもらう。携帯電話があれば、孤立しているわけでないと、自分は寂しい人間ではないと、周囲にアピールできる。
だから、時に乱暴も振るわれたが、一緒にいると情けない思いをすることも多かったが、楠悠一郎から離れるわけにはいなかった。
その悠一郎は死んだ。
彼に死なれては、連絡を取る相手、取ってくれる可能性がある相手がいない。
連絡がこないところ、かける相手が見つからず肩を落としているところを誰にも見られなくてよかった。
本心から、そう思う。
自分が孤独な人間であることは痛いほどに自覚しているが、他人にその様を見られるのだけは避けたかった。
びくびくと周囲を伺い、そのくせ虚勢を張る。
粋がっても誰も認めてくれないのに、そうすることで余計に人の輪から離れてしまうのに、やめることができなかった。
その結果が、この状況だ。
ため息が漏れる。
*
ミノルは孤児だ。出生後まもなくして繁華街の裏路地に捨てられ、保護された。その後はカソリック系の養護施設である慈恵院で育っている。
捨て子となった事情は分からないが、まぁろくな理由ではないことは確かだ。
自分ほど不幸な人間はいないのではないか。そう、思う。
不幸だから他人とうまく関われず、孤独なのだ。そう、思う。
孤児院という環境、周囲には似た様な事情を抱えている者が多かったが、ミノルからしてみれば、彼らはまだ幸福だった。
面会に来る人がいる、容姿に優れている部分がある、友だちがいる、スポーツができる、勉強ができる、人と上手に話せる……。
彼らは何かしらを持っていた。自分は何も持っていない。羨ましく、妬ましい。
嫉妬、羨望。
ミノルの身体の大半を占める内容物だ。
……安東涼のように生きることができていれば。
ふっと、思う。
涼とは同じ孤児院で過ごしている。ただ、彼は数年前までは家族と一緒に過ごしており、その思い出がある。
両親とは死別したようだが、弟はどこかの施設でまだ生きているそうだ。
彼もまた、ミノルが持っていないものを持っていた。
羨望にたる、嫉妬にたる存在だった。
そして何よりもその態度。
涼は携帯電話を所持していないはずだ。彼は、ミノルがかろうじて引っ掛かっている網目の中にすら入っていない。
だけど、毅然としていた。
クラスで交流があるのはクラス委員長の鮫島学だけなのに、その彼とも別段友人付き合いをしているように見えないのに、気にしていないように見える。
休み時間は一人で本など読んでいる。
孤児院でもいつも一人だ。
一人でいるところを誰かに見られるだなんて、ミノルには耐えられないことなのに、彼は自然に振舞っている。
ついで、筒井まゆみの顔が頭に浮かんだ。
まゆみは3年に上がるまでは、楠悠一郎のグループの一人だった。羽村京子などと一緒に悪さばかりしていた。
何事もシンプルに捉え、裏表のないさっぱりとした気性だった。
彼女はこの春に突然グループを抜けたのだが、そのときも「じゃ、私抜けるから」とあっさりと宣言したものだ。
もちろん、摩擦は生じた。
悠一郎は離脱にペナルティを科す人間だった。抜けた当初のまゆみには生傷が絶えなかったはずだ。
しかし彼女は屈しなかった。
なんでそんなに頑張るんだと、訊いたことがある。
まゆみは軽く笑って、「私は、私のやりたい風にやる」と胸を張っていた。
結局、当時悠一郎と交際していた羽村京子がとりなすまで暴力は続いたが、まゆみは音を上げなかった。
とうてい、ミノルにはできない芸当だ。
安東涼のように孤独を恐れずにいられれば、何かが変わったのだろうか。
筒井まゆみのように強くいられれば、何かを変えられたのだろうか。
じわり、額に汗がにじむ。
先ほど近くの沢の水で顔を洗ったが、身体が汗でべとついて気持ちが悪い。10月の山中。決して気温は高くないはずだ。粘っこい汗が止まらないのはプログラムの緊張感からだろうか。
ミノルはプログラムにおいても、身の置き所を決めかねていた。
死ぬのは怖い。
かといって、人を殺すのもまた怖い。
どうしていいか分からず、初期配置となった北の山から動くこともできなかった。
と、ほど近くで、誰かが藪を掻きわける音がした。
どきりと心臓が跳ね上がる。
漏れそうになる悲鳴を必死で抑えた。身体を小さくし、身を隠す。がくがくと手が震えた。喉が渇く。
ふらり、現れたのは、結城美夜(新出)
だった。
小柄で華奢な体躯。白く透き通るような肌。黒い艶髪をおかっぱにしている。黒目がちな大きな瞳。
視点が定まっていない。表情もうつろだ。ミノルは、テレビの映像で見た夢遊病患者を思い出した。
右腕に何かか変えていると思ったら、着物を着た人形だった。
人形は美夜に良く似ていた。髪型まで一緒で、奇妙な構図だった。
どうしようかと迷ったが、何かしら情報を得られるかもしれない。
「おい」
ミノルは身を隠していた藪から出、声をかけた。
しかし、美夜は反応しなかった。
視界には入っているはずだが、ちらりとも見てこない。
「重原早苗、羽村京子……」
淡々とクラスメイトの名前を呟いており、正直気味が悪かった。
「……結城?」
ひらり、その手から紙片が落ちる。
拾い上げると、ノートの切れ端だった。裏返し、ぎょっとする。顔が強張った。
そこには、楠悠一郎と佐藤理央の名前が連なって書かれていた。紙全体が文字で黒く埋められており、所々に「死ね」という文字も書かれている。怨念のようなものを感じ、背筋がぞっとした。
「おい、これ、なんだよ?」
訊くが、彼女はそのまま森の奥へと消えていった。
どうやら、気が触れてしまったようだ。
もともと彼女は大人しい質だった。プログラムの恐怖に正気を保てなかったのか。
美夜や、彼女が親しくしていた吾川琴音は、地味な生徒だった。二人は園芸部に所属しており、花壇に水をやっているところをよく見かけた。
羽村京子や筒井まゆみからは逆立ちしたって出てこない行動だ。
控え目な雰囲気や植物を愛する心やさしさに、ミノルなりに好感を持っていたのだが……。
遅れて、気づく。
楠悠一郎や羽村京子は、クラスでも目立って素行が悪かった。重原早苗も二年までは荒れた生活をしていた。三年になって落ち着きはしたが、大人しい彼女には恐怖の的だったのだろう。
佐藤理央は素行は普通だが気が強く尾田陽菜を苛めていた。美夜が恐れるのも分かる。
だから、呪詛を文字にしたため、口にしているのだ。
筒井まゆみやミノル自身の名前が挙がっていない理由も、なんとなく分かった。
まゆみは荒れてはいたが、同じ学校の生徒には手を出さなかった。
ミノルのことは……大人しい美夜をしても恐れるに足りないということか。
彼女が消えた森を見つめ、立ち尽くす。
美夜が入ったことで、暗がりの密度が増したように見える。まるで、黒い塊だ。
その黒に何か禍々しいものを感じ、ミノルは身体を震わせた。
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