OBR1 −変化−


016 2011年10月01日07時00分 


<安東涼> 


 気づけば、矢田啓太郎が濡らしたタオルで尾田陽菜の顔についた泥を拭ってやっている。
 涼からは出てこない行動だ。そもそも、誰かに襲われているクラスメイトを助けようとする発想自体が、涼にはなかった。
 まぁ、そんな啓太郎だからこそ、合流しようという気になったのだが。
 
 最初は殺そうとした。
 診療所の二階の窓から遠く畦道あぜみち をこちらに向かって歩いてくる彼が見えたとき、身を隠し、サブマシンガンを構えたものだ。
 一度は向けた銃口を下げたのは、その疲労感からだった。 
 涼は決して身体が強くない。続く緊張、肉体的な消耗。人を殺した罪悪感。早くも、プログラムは涼の身体を蝕み始めていた。
 生き抜くためには、休息が必要だった。
 その際には見張りを立て安全を確保しなければならない。
 そして、見張り役として、啓太郎ほど適任な者はいなかった。穏やかでお人よしの彼に、普段から好印象も持っていた。
 今も、「なんで……」と戸惑っている様子だ。
 まぁ、先々は分からない。プログラムの現実に心折れ、ゲームに乗る可能性は、誰にだってある。
 
 ふと、先ほど矢田啓太郎に電話をかけていた野崎一也のことを考えた。
 プログラム中、彼とは一度遭遇している。
 生谷高志らを殺したあと、近くの神社で身体を休めていた。
 すぐにその場を離れたほうがいいことは承知していたが、初めて人を殺めた衝撃は深く、身動きが取れなかったのだ。
 銃声を聞きつけたのだろう、しばらくして彼が現れた。
 彼は生谷高志とは幼馴染だと聞いている。
 その亡骸を確認し泣き崩れる彼を遠目に見、心が痛んだ。自身の罪の深さを感じ、手が震えた。
 一也をあの場で殺すことも考えたが、距離があった。また、高志と佐藤理央を殺したことで身体精神ともに疲弊しており、諦めた。

 野崎一也はごく一般的な生徒だ。ほとんど話したことはなかった。
 ただ、時折妙に切なそうな顔をしていることがあり、気には掛かっていた。
 当たり前の15歳として、彼なりに思い悩むこともあるのだろう。
 先ほど啓太郎が診療所のことを話していた。
 おそらく彼はここにやってくる。合流せざるを得ない。そうすると、彼もいずれ手に掛けることになる……。
 まるで、黒い沼地に足を踏み入れた様な気分だった。
 ずぶずと足元から暗い闇へ沈みこんでいく。
 涼はふっと重い息を吐いた。


 と、しばらく黙っていた啓太郎が「ねえ、ケータイ番号、交換しない?」ポケットから二つ折り式の携帯電話を取り出した。
「はぐれたときとかに連絡取れるようにしとこうよ」
 のんびりとした口調。
 それは、何らかの事由で離ればなれになってもまた合流したいと言うことか。
 唖然としてしまった。
 次いで、何か裏があるのではないかと考えてしまう。

 まじまじと啓太郎の顔を見ていると、「ん、どうしたの?」きょとんとした顔を返された。
「俺は携帯電話を持っていない」
 本当のところを言う。
「ええっ、今時珍しいね……あ、ごめん」
 ここで、涼が孤児だということを思い出したらしい。
 境遇を思えば、携帯電話は贅沢品だ。
「いや、慈恵院でも持ってるやつは結構いる。俺の場合は、単純に必要なかっただけだ」 
 連絡を取り合う友人などいなかったので、持つ意味がなかったのだ。
 クラスメイトでは鮫島学とかろうじて交流があったが、学校外で会ったり連絡し合ったりするような仲ではなかった。
 言った通り、孤児院でも携帯電話を所持している者はいた。同じ孤児院で過ごしている木多ミノルは所有しているはずだった。
 かかる費用はみなアルバイトで稼ぎ、捻出しているようだ。
 神戸第五中学校ではアルバイトは禁止されているが、孤児院から通っている生徒は事情を考慮され、例外扱いとなっていた。
 このプログラムでは、私物の携帯電話の所持を許されているが、涼には関係のない話だった。

 ……しかし、俺を信用してるってことか。
 酔狂にしか思えない。
 遅れて、自分の思考が自虐なのか懐疑なのか分からなくなり、苦笑する。
 その様を不思議そうに見た啓太郎が「二階で見張りしたほうがよくない?」問いかけてきた。
 これに、「いや」と首を振る。
「普通の建物と違って一階あたりの高さがあるから、二階からだといざというとき逃げ出せない。相手が侵入してくるのは一階だろうから、一階にいたほうが気づきやすいだろうし」
 続けると、「それもそうか。ごめんね、余計なこと言って」頷く。
「いや、一人で考えているとどんどん煮詰まってくるから、気づいたことは言ってくれ」
「分かった」
 少し嬉しそうに啓太郎が表情を和らげる。

 彼の素直さに、多少の後ろめたさを感じる。実は、涼には啓太郎に二階に上がって欲しくない理由があった。それを誤魔化したのだ。
 二階には、あるものが隠してある。
 ……死体。
 聞きとられては大変なので、頭の中でつぶやいておく。

 野崎一也と遭遇した後、東の集落を北に上っていたらこの診療所が見え、医薬品を補充できるかもしれないと中へ入った。
 鍵はかかっていたので裏口の窓を破って入ったのだが、そのとき別の窓が破られていることに気づかなかった。
 結論としては、診療所には先に筒井つついまゆみ(新出) が侵入しており、二階の病室で彼女に襲われた。
 まゆみは最近は落ち着いたが、二年までは楠悠一郎らと一緒になって悪さばかりしていた生徒だ。同じく三年になって落ち着いた重原早苗などと普段は一緒にいる。
 幸い迎え撃つことができたのだが、それは偶然が涼の味方をしただけだった。驚き、思わず力を込めたのが、サブマシンガンのグリップだったというだけだった。
 彼女が持っていた包丁は奪い、啓太郎には民家で手に入れたと説明してある。
 まゆみのことは話していなかった。クラスメイトを殺したことは伏せておいたほうが何かと都合がいいだろう。

 ただ、懸念もあった。
 野崎一也は生谷高志の亡骸を確認している。連射できる銃で死んだことは見当がついているだろう。サブマシンガンを所持していることは十分な嫌疑となるはずだ。
 先ほどの放送で、午前6時までの死亡者として渡辺沙織、佐藤理央、生谷高志、香川美千留、楠悠一郎の名前が告げられていた。
 読み上げられる順に規則性が無いところから見て、死亡順なのか。
 啓太郎は高志とも親しくしていた。
 やはりショックだったようで、彼の沈んだ表情の一因となっている。
 涼が生谷高志を殺したと知れば、彼の恨みも買う。
 二対一となる前に、彼らを始末する必要があった。
 しかし今は身体を休めなければならない。

 続く緊張、緊迫。人殺しという最大の禁忌を犯した罪悪感、消耗。涼の疲労はピークに達しており、注意力が散漫になっていた。
 また、これからのことに気を取られ過ぎていた。
 日頃の涼ならば気づくはずだった。気づかなければならなかった。
 筒井まゆみに銃弾を叩き込んだのは、放送よりも前のことだった。涼は彼女を殺したと思っていたが、それならば死亡者リストに名前が上がるはずだった。
 しかし、筒井まゆみの名前は死亡者リストに入っていなかった。
 それは、彼女の生存を意味している。



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安東涼
孤児院育ち。生谷高志らを殺害したが、彼らに弔いもしている。生涯補償金を得、官営孤児院にいる弟を迎えに行きたい。