<野崎一也>
「もう、すぐだ」
政府支給の腕時計に目を落とし、野崎一也は一人小さくうなづいた。
もうすぐ午前7時になる。さきほどの放送で、7時ちょうどから30秒だけ通信回線が復活すると告げられた。
もうすぐ通信が可能になるのだ。
制服のポケットから携帯電話を取り出し、電源を入れる。
一也は充電器を持ってきていなかったので、節電が必要だった。
指定されたほんの短時間しか通信できないようだから、三日間で電池が切れることもないと思いたいが、睡眠ガスで眠らされている間も電源は落とされていなかったらしく、残量は心もとなかった。
修学旅行へ向かう荷物もそのまま渡されている。誰かが型の合う電池式充電器を所持しているかもしれない。また、若者が住んでいそうな家に侵入し、探してもいいかもしれない。
うまく行けば入手できるだろう。
一也が今いるのは、南の集落のはずれにあるバス停だ。
時刻表を見ると、毎日それなりの本数は運行していたようだ。
「あれ……? なんで、こんなに本数が」
ふと、疑問に思う。
教師をしている一也の父親が、やはり瀬戸内海に浮かぶ小さな島の出身だった。
田舎の祖父母は健在で、年に1,2度一也も訪れていたが、あの島ではバスは走っていなかった。昔はあったらしいが、過疎化に伴い採算がとれなくなり廃止されてしまったと祖父が言っていた。また、よくある話だとも言っていた。
あの島と角島は、規模やさしたる名産や観光資源が無いあたりが似ている。
ここでも同じことが起きていてもおかしくないのだが……。
また、土肌ではあるが、道路も綺麗に整備されているようだった。
それぞれ小さなことかもしれないが、気にかかった。一也は割合に神経質な性質だ。この疑問も一也らしいと言えば一也らしい。
何事にも大雑把だった生谷高志とは、その意味では性格が合わず、よく喧嘩したものだ。
高志とは幼馴染の仲だった。
照れくさくて気持ちの深い部分を話し合うなんてことはめったにしなかったけれど、喧嘩もいっぱいしたけれど、肝心なところでは頼り合った。
自身が同性愛者だと打ち明けることができたのも、相手が高志だったからだ。
……ただ、元々は話すつもりなどなかった。
一也にとっては普通のことなのだが、世間的には特殊で、また打ち明けるのは危険が伴うことだった。
ずっと秘密にして生きていくつもりだった。
だから、高志に「最近変だぞ」と訊かれたときも、適当に嘘をついて逃げようとした。
高志相手でもとてもすぐには話せず、たっぷり一ヶ月悩み抜いて、話したものだ。
その高志にも、いま一也が矢田啓太郎に特別な感情を抱いていることは黙っていた。
とてもじゃないが、言えるような話ではなかったのだ。
そのスタンスは、今でも変わらない。
自殺しようとしていた渡辺沙織にも話せなかった。
臆病な自分が嫌になる。
携帯電話には、矢田啓太郎の電話番号が表示されていた。
画面の端に常時表示されているはずのアンテナマーク。そのマークが消えている。現在電波が届いていないということだ。
やはり妨害電波が島には流されているのだろう。
通信可能になる午前7時になったらすぐにかけるつもりだった。鮫島学や坂持国生のことも気にかかっていたが、30秒しかない。複数にかける時間はなかった。
メールで文章や添付ファイルを送ることも考えた。
一也の携帯電話は学のつてで手に入れた国外製品だ。
学のものよりは劣るが、処理能力が高い。相当量のデータを瞬時に送ることができるが、次の通信可能時間が分からないので、返信を待つことができない。
またどう送っていいかも悩むところだった。
ふっと息をつき、携帯電話に表示された矢田啓太郎の番号に指を這わせる。
彼は、春の日差しのような人だと、一也は思う。
啓太郎はいつだって穏やかに笑っている。悩みもあるのだろうし、激情にかられたり、面白くないこともあるのだろう。だが、彼はそういった負の気持ちを、その穏やかな笑みの下にしまい込んでいた。
秘密を抱え、気持ちを押し殺すことに疲れきっている一也には、そんな啓太の穏やかさが強いものとして映った。
啓太のことを好きになった一也は、自分のことを少しだけ好きになれた。啓太と一緒にいると、自己嫌悪と言う毒々しい水を吸い重くなった心が少しだけ軽くなった。
だから、一也は啓太が好きだった。
この気持ちを本人に話すことなんてできないが……。
そうこうしているうちに7時になった。
携帯電話を睨みつけるように見つめていると、電波状態を示すアンテナが復活した。
慌ててかける。
向こうも携帯電話と睨めっこをしていたのだろうか、すぐに啓太郎がとった。
「一也!」
彼にしては珍しい上ずった声だった。
「……ありがとう」そして、どういうわけだが、礼の言葉が続く。涙ぐんでいるようだ。
「え、なんで。いや、そうじゃなくて」
言葉が詰まる。
言いたいことなら、いくらでもあった。
……怪我をしていないか。どこにいるのか。誰かと一緒なのか。
しかし、口がふさがれたようになり、台詞が出てこない。
頭を振って、喉を開けようとするがうまくいかない。
もどかしくてたまらなかった。
啓太もまた「あ、えと、あの」と、次の言葉が出てこないようだ。
と、電話の向こうで別の誰かの声がした。誰かが啓太郎に話しかけたのだ。男子生徒だ。あまり聞き覚えのない声だった。
「あ、安東。あのさ、僕いま安東と一緒にいて、今いるのが診療所……」
ここで、ぷつっと電話が切れる。
「啓太郎っ。おい、啓太郎っ」
これで呪縛が解けた。必死で携帯電話の向こうに話しかけるが、無音しか返ってこない。
30秒の通信可能時間が終わったのだ。
「ああ……」
肩を落とす。
合流する手はずを整えるはずだったのに、結局何もできなかった。
遅れて、気づく。
「安東?」
確かに彼は安東と一緒にいると言っていた。
安東とは、一度遭遇している。
少し前、高志の亡骸を見つけた時に、少し離れた位置に立ってた。
彼は物静かで、休憩時間も本を読んでいるような生徒だった。一人を好み、クラスの輪からは意識的に離れているようだった。
彼が高志を殺害したかどうかは分からないが、手放しで信用できる相手、状況ではなかった。
不安を打ち消すように頭を強く振り、一也は天を仰いだ。
うす曇りだった空がいつの間にか晴れていた。空気は澄み渡り、空は青い。これは吉兆だろうか。
そうであって欲しかった。
高志を殺したのが安東涼だとは知らず、一也は天に祈る。
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