<尾田陽菜>
優子が裁ちばさみを振りかぶる。
「ね、知ってる?」
そのまま勢いをつけて振り下ろしてきた。必死の思いで避けるが、手の甲をはさみの刃が掠め、薄く悲鳴を上げる。じりじりと後じさっていると、振り下ろした勢いそのままに地面に膝を突いていた優子が立ち上がり、言葉を続けた。
「沙織、生谷が、好きだったのよねっ」
「えっ」
止まっていはいけないところで、動作をとめてしまった。
しっかりと両手ではさみを握り締めた優子が突進してくる。刃は陽菜の脇腹に飲み込まれた。ばっと赤い血が飛散する。果樹園の柑橘の香りに鉄臭い血の匂いが混じった。
呻きながら、地面に落ちてた包丁をつかむ。
これを見た優子が笑った。今までに見たこともない笑顔だった。そして、口を開く。
「また、携帯をつかんでるよ」
はっとして、陽菜は手元に目を落とした。しかし、その手にあったのは、包丁の鈍い光だった。
騙された!
「ばーか」
今度は横振りに切り付けられる。陽菜の胸元が赤く染まった。
痛みに目の前が眩み、膝と包丁を落としてしまった。
優子が駆けよってくる。
そして、陽菜の側頭部に裁ちばさみを押し当てた。
「沙織のこと、気がついてなかったでしょ」
言われた通りだった。沙織が生谷高志を好きだなんて、一度も考えたことがなかった。
彼女の意図は見え透いていた。精神的に揺さぶって、反撃させないようにしている。分かっていた。分かってはいるのだが、彼女の狙い通り、頭と身体が動かない。悲鳴すらあげることができない。
「沙織、何も言ってなかったけどっ」
右手の甲にはさみを突き立てられる。
「OKならちゃんとOKして欲しかったんと思うっ」
また胸元を切られる。
「OKじゃないのなら、ちゃんと、生谷を振って欲しかったんだと、思う!」
優子が沙織の気持ちを代弁しながら、攻撃してくる。
その一つ一つを陽菜は甘んじて受けた。
……ああ、私は、彼女になんて残酷なことを!
男の子が怖かった。だけど、素敵な恋にも夢見ていた。決して弄んだわけではない。熱意を持ってアタックしてきてくれる高志に期待を寄せてもいた。意気地のない自分を、一歩踏み出せない自分を、彼なら変えてくれるのではないかと、期待していた。
臆病だったから。どうしようもなく、臆病だったから。だから、彼任せにしていた。
事を先延ばしにする私を、沙織はどんな気持ちで見ていたのだろう?
と、陽菜の右手に何かが触れた。
携帯電話だ。カメラモードにしたままだった。次の陽菜の行動は、ほとんど無意識のものだった。カメラのフラッシュが光る。
「くっ」
フラッシュ目を眩まされた優子が、一瞬顔をそむける。
しかし、それだけだった。すぐに携帯電話を払いのけられる。
ここで、低く鈍い銃声があたりにこだまし、二人から少し離れた果樹の枝がはじけとんだ。
慌てた表情で、優子があたりを見渡す。
「な、何やってんだよ、お前ら!」
声のした方向を見ると、ひょろりとのっぽの影が立っていた。影の正体は、すぐに分かった。バスケットボール部の矢田啓太郎
だ。
「黒木、お前、尾田を襲ったのか?」
震える啓太郎の声。
優子の行動は素早かった。踵
を返し、駆け出す。
啓太郎が、駆け出す優子に向けて銃を向ける。それを見た瞬間のこと、「逃げて!」陽菜は叫んでいた。
「逃げて! 優子!」
その声に驚いた彼が銃を下げる。
同じく驚いたであろう優子が一度だけ立ち止まり、振り返った。そして軽く首を振ると、果樹園の向こうへと姿を消した。
*
「尾田、大丈夫か?」
陽菜は、啓太郎の足音と心配そうな声を聞いた。その視界は朦朧(もうろう)としており、意識もぼんやりと霧がかかったようになっていた。
「なんで……」
彼の声がする。身体が浮き上がるような感覚。どうやら、抱き起こしてくれたようだ。ひょろりとのっぽの体躯に不釣合いな童顔。穏やかな笑顔。そう親しく話したことがあったわけではないが、それなりに好印象を持っていた。
落ちて行く意識の中で、陽菜も疑問符を掲げた。
……なんで、優子は私を襲ったんだろう。どうして、私は優子を助けたんだろう。なんで、どうして……。
分からないことだらけだった。
そして、混沌に包まれたまま、陽菜は息を引き取った。
−尾田陽菜死亡 26/32−
<矢田啓太郎>
矢田啓太郎は、その腕の中で陽菜が息を引き取るのを見届けた。
「なんで……」なんで、こんなことに。
同じ疑問を口にする。
啓太郎が呆然と立ちすくんでいると、「矢田、危険だ。中へ戻れ」背後から声がした。
「安東……」
果樹の陰から姿を現したのは安東涼
だ。
濃紺のデニムに黒地のジップアップシャツという姿。
涼は慎重にあたりを見渡してから、「やる気になった誰かが、今の銃声を聞いてやってくるかもしれない」と言った。
「だけど、このままじゃ」
啓太郎は、支給武器であるワルサ―P38をポケットに仕舞い、陽菜の脱け殻に視線を落とした。
「そうだな、死体を放置したままだと危険かもな」
「えっ?」
「俺たちが近くにいることがバレるかも知れない」
啓太郎は「そう言う意味で言ったんじゃないんだけどな」と、憮然としながら陽菜の身体を抱きかかえた。
人の身体ってこんなに重かったんだ……。
小柄な陽菜だが、脱力した身体はずしりと重く、結局、涼の手を借りることとなった。
−26/32−
矢田啓太郎 一也や生谷高志と親しい。『オヒトヨシ』一也がひそかに恋慕を抱いている相手。
安東涼 孤児院育ち。大人びた性格。高志らを殺害。
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