<尾田陽菜>
尾田陽菜は、果樹園
の中で膝を抱え、震えていた。
位置としては会場の東になる。すでに果実の取りいれは終わっているようだが、柑橘系の甘酸っぱい香りが残っていた。
空は曇っており、うす暗い。
「どうして、どうして、どうして……」くり返す陽菜の疑問。
どうして、なんで、こんなことに。
本来なら、今ごろは修学旅行の真っ最中のはずだった。所持を許された自分の荷物の中には、衣類や化粧ポーチの他に、たっぷりのお菓子。
夜は、黒木優子や渡辺沙織といった仲の良い友達とおしゃべりに華を咲かせながら、お菓子を食べるつもりだった。
それが、どうしてこんなことに。
陽菜は、涙で濡れた顔を制服の袖でぬぐった。昨夜から櫛を通していない肩までの髪は、すっかり乱れてしまっている。
彼女は地味でおとなしい性格だ。
多少なりとも目立つ所があるとすれば、その愛くるしい顔立ちだった。髪質はあまりよくなく、手入れが大変だが、大きな瞳に小ぶりの鼻。そして、つるんとした肌。
当然、男子生徒には人気があった。
その反面、一部の女生徒からは多少やっかまれてしまっているが、優子や沙織といった友達にも恵まれていた。
対象となる中学3年生の少年少女にとっては、プログラムは恐ろしいイベントだ。
陽菜も3年生になったときに、優子や沙織と「もし、プログラムの対象クラスになったら、どうする?」などと話した事がある。
たしか、優子が訊いてきたのだ。
あのとき、陽菜は「私は、戦えないよ。友達と殺し合いをするなんて考えられない」と答えたような気がする。沙織は、いつも通りのはっきりとした口調で「私は、戦う。襲われたら身を守る」と言っていた。
もちろん、陽菜たちは本気で自分たちがプログラムの対象クラスとなるとは考えていなかったし、もし対象クラスに選ばれたとしてもクラスメイト達が殺し合いをするとは思ってもいなかった。しかし、現実に陽菜たちのクラスはプログラムの対象クラスに選ばれてしまったうえ、殺し合いは始まっていた。
夜中から銃声が何度もしている。
また、さきほどの定期放送で追加禁止エリアと、死亡者の発表があった。その中に沙織の名前があったのだ。
姉御肌で面倒見が良かった彼女。
陽菜に辛く当ってくる一部の女子……佐藤理央や香川美千留ら体育会系の女子たちだ……からも守ってくれていた。
その彼女は、もうこの世にはいない。
沙織は宣言通り戦ったのだろうか、それともただ殺されたのだろうか。
放送ではその理由までは告げられないので、陽菜は彼女が自ら命を絶ったことを知らなかった。
また、死亡者リストには、理央や美千留、生谷高志の名前もあがっていた。
高志とは親しくしていた。
高志はどうやら自分のことを好いてくれているらしく、アプローチもしてきていた。これを、陽菜はあやふやに返していた。
可愛らしい容貌をしている陽菜は、日頃から男性の視線を浴びる機会が多かった。
そこに性的な色合いが含まれることも多々あった。電車で痴漢にあった経験もあり、大人しい陽菜にとって男性は恐怖の対象となっていた。
もちろん、高志のアプローチがごく真っ当なものであることはよく分かっていたが、受け入れるのはやはり怖かった。
だけど、期待はしていた。臆病な自分を高志が変えてくれるのではないかと、期待はしていた。
ふっと息をつき、地面に置いた裁ちばさみの表面をそっと指でなぞる。
これが陽菜の支給武器だった。これだけでは心もとないので、途中民家に忍び込み、包丁を一本拝借している。
私物の携帯電話はすぐそばに置いている。
先ほどの放送で、一時間後の午前7時ちょうどから30秒だけ使用可能となると告げられた。あと少しで通信可能時間が来る。
沙織はすでに死んでしまっているが、もう一人の友人、黒木優子は存命だ。なんとしても合流したかった。
携帯電話を取り上げる。動かすと、子猫を模したストラップがゆらりと揺れた。ボタンを操作し、画像データを表示する。
普段の学校で沙織や優子と撮った写真が次々と表示された。
「帰りたい」
あの、当たり前だと感じていた生活に帰りたい。
強く、願う。
いつもしていたようにカメラモードに切り替え、レンズ越しに風景を見る。
そこは……学校ではなく、うす暗い果樹園だ。
肩を落とした瞬間、レンズの向こうで、果樹の間を誰かが横切った。
「ひゃっ」
短い悲鳴をあげ、後ずさる。
悲鳴を上げた時に閉じてしまった瞳を、あまりの恐怖で開けることができない。目を瞑ったまま、陽菜は震える手で包丁を掴み、声のした方に向けた。
これに、相手がぷっと吹きだした。
「何それ、そんなので戦う気?」
聞き覚えのある声。恐る恐る目を開けた陽菜の前に立っていたのは、苦笑いを浮かべた一人の女子生徒だった。
見慣れた茶色地の制服。政府支給の大型ディパックを背負い、学校指定のスポーツバックを肩掛けしている。陽菜よりも幾分背の高い中背に、ソバカスだらけの頬、一重の瞳、赤茶けた長い髪……。
それは、日頃から仲の良かった黒木優子だった。
うす曇の空と果樹の茂みのおかげで辺りは陰ってしまっているが、親友の顔を見間違えるはずはなかった。
「ゆ、優子っ、ど、どうしてここが?」
「私もここに隠れようと思ったの。そしたら、誰かいるのが見えて。恐かったけどそれが誰か確かめないのはもっと恐かったから……」
軽い口調で言うと、優子は笑った。
「まさか、陽菜だとは思ってもみなかったけどね。……で、いつまでそれを握っているつもり?」
「え?」
見ると陽菜が握っていたのは包丁ではなく、携帯電話だった。無我夢中だったから掴み間違えたのだ。
「あーあ。可愛い顔が台無しね」優子がポケットからハンドタオルを出すと、陽菜の顔を拭ってくれた。
「ありが、と」
優子がぬぐう後から後から涙がこぼれる。ずっと気を張り詰めていたのだ。友人との思いがけない再会に、陽菜の涙腺は緩みっぱなしだった。
「もう、会えないかと思ってた」
「私も……」
沙織とは合流できなかったが、優子とはできた。運命とは皮肉だ。
「沙織、死んじゃったね」
優子が言う。
「うん。誰に殺されたんだろ」
「分からない」優子は頭を振り、「誰か、危険な奴、知ってる?」話を続けた。
情報交換は大切だが、陽菜はまだ何も見ていなかった。ただ、数時間前に南の集落付近で何度か銃音を聞いていたので、その話をする。
その間、優子は、陽菜を落ち着かせるためか、後ろに回り、櫛で髪をといてくれた。
そういや、沙織の髪って艶があってきれいだったなぁ。
そんなことを考えていると優子がさらに質問してきた。
銃は一種類だったか、撃たれた者の悲鳴は聞いたのか。人影を見ていないか。その一つ一つに答えながら、陽菜はしだいに優子の様子に違和感を感じ始めていた。
普段はもっと明るい口調で話すのに、やけに落ち着いて聞こえる。
また声のトーンが一つも二つも下がり、低音になっていた。
ぞくり。陽菜の背中に悪寒が走った。「ゆ、優子?」声が震える。
「どうしたの? 震えてる」
後ろから聞こえる優子の声。今までに聞いたこともないような艶っぽい声だった。
陽菜はぐっと地面を掴み立ち上がると、振り向きざまに手に握った土を優子めがけて投げつけた。
彼女は、左の手の甲でその土つぶてを防いでいた。空いた右手に光るのは陽菜の支給武器だった裁ちばさみだ。
脇においていたのを、いつの間にか取られていたのだ。
包丁は陽菜の視界に入る位置にあったので、取れなかったのだろう。
後ずさりしながら、陽菜は疑問を口に出した。
「ど、どうして?」
「あんた、前々から気に食わなかったのよね」
優子があざけり笑いを返す。
「ちょっと可愛いからって、いい気になってさ」
「そ、そんな……」
陽菜の瞳に涙が滲んだ。
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