<中村大河>
吉祥寺駅
を出たところで、中村大河はぶるると身体を震わせた。二月の初頭、吹きつけてくる風は肌を刺すようだ。
濃紺デニムに、明るい青色のパーカージャケット、スニーカーという姿。ジッパーを首元まで引き上げた。
駅前には商業施設が立ち並ぶ。
吉祥寺は武蔵野市にあり、吉祥寺駅はその中心だ。
碁盤の目状に街は広がっており、生まれ故郷の京都をどこか思い出す。
雑踏の多くは、学生と見える若者たちだ。
駅から徒歩圏内にいくつか大学があり、バスで行ける近隣にもやはり教育機関が点在しているそうで、武蔵野は東京有数の学生の街だそうだ。
路上駐車された車の窓ガラスに自身の姿が映っている。
部活で日焼けした肌、くりくりとした丸い瞳。
明るく、健康的な雰囲気だ。
プログラム中はそのきびしい現実に負け、様相も変わっていたが、いまは大分落ち着き、以前の雰囲気に戻っている。その影響は消えてはおらず、多少表情が暗くなっていることは否めないが。大人びた、と言ってもいいかもしれない。
まだ小柄な部類だが、背も幾分伸びた。
少年期を過ぎ、次ぎの段階へと向かっているということだろう。
成長という、当たり前の現象。
だけど、死んだ彼らはもうそれを享受することはできない。
*
鎖島でのプログラムから一ヶ月が経っていた。
もう一つのCスポットで医療物資を手に入れた後、大河は凪下南美を寝かしていた洞窟へと向かった。
道中は雪に足を取られ厳しいものになったが、なんとかCスポット周辺が禁止エリアになる前に脱出した。
その後、凪下南美に抗生物質を投与、彼女を救うことができた。
と言っても、すぐに治癒したわけではなく、看病は続いたのだが。
彼女が回復してからも、二人でプログラムを過ごした。
南美を救ったことを後悔しなかったと言えば嘘になる。食料は変わらずに乏しく、雪に覆われた島は極寒だった。
その苛酷さに消耗し、憔悴し、プログラムの現実に何度陥落しそうになったか分からない。
それは、南美も同じことだったに違いない。
だけど、互いを手に掛けることはなかったし、逃げ出すこともなかった。
もう疲れ切っていてそんな力も残っていなかったのかもしれない。半ば意地になっていたのかもしれない。
ただ、少なくとも朔の影響はあった。
……俺たちは試されている。
出された課題を全うしようという意識は、確かにあった。
とにかく二人はプログラム期間を生存し、同時優勝を果たした。
その瞬間も、鎖島は雪が降っていた。
曇天の夜空、雲間からかすかに漏れる月の光。白く光る雪がちらつく。視線を下げれば、辺り一面の雪景色。雑木林は雪に覆われ、一つの白い塊に見えた。
あの情景を、一生忘れることはないだろう。
鎖島を出るとすぐに、京都市内の病院に運ばれた。
治療と療養を経て、二週間ほど前に退院したところだ。
しかしまだ無理のできない身体だった。心理傷害も深く、鎖島でのことがフラッシュバックし苦しめられるのもしばしばだ。
特に思い出すのは、滝口朔が兵士だったことを知り、怒りをぶつけたときのことだ。あのときの朔の顔、打ちのめされたような朔の顔が、幾度となく脳裏に浮かぶ。
有明中学校に戻ることはできず、現在は通信制の教育を受けている。
住まいも、京都から大阪に移った。
優勝者は転地し、そこでひっそりと生きていくのが通例だ。望めば偽名も使えるし、整形手術医も紹介してくれるようだ。
すでに大阪に転地はしているが、名前や顔形を変えることに関しては悩むところだった。
両親は共稼ぎだったが、元々京都から大阪の会社に通勤していたので、支障はないようだった。
大河は父母、姉との四人家族だ。
肉親はみな、身体も心も傷ついて帰ってきた大河のことを心配してくれている。
多少ぎこちなさはあるが、それは仕方のないことだ。
プログラム優勝を機に関係が崩れてしまう家庭も多いと聞く。まずまず幸せな帰還と言えた。
凪下南美とはプログラム以来、一度も会っていない。
入院先は別々だったし、彼女も転地したようだ。政府に問い合わせてもどこに行ったかは教えてくれず、連絡の取りようがなかった。
*
高校は……政府に勧められたフリースクールに進もうかと思案していた。
私立ぶどうが丘高校。
全寮制の学校で、プログラム優勝者を積極的に受け入れており、随所に配慮やケアがあるそうだ。
学園の優勝者たちは、経歴を明かしている者もいれば、隠して過ごしている者もいて、様々とのことだった。
そのどちらになるかは、今は分からない。
ぶどうが丘高校への進学自体も、まだ少し迷っている。
今日は学校の下見だった。実際に見て進学するかどうか決めようと考えたのだ。
ぶどうが丘高校は武蔵野市郊外に敷地を構えており、この吉祥寺駅からバスで30分ほど揺られた先にある。
学園に知らせている到着時間にはまだかなりあった。
とりあえず、駅近くのカフェ
に入る。
山小屋風の内装。インテリア雑貨、キッチン雑貨の販売もされている。リーズナブルな価格設定のわりに洒落た雰囲気だ。
学生に人気のようで、店内は若者で溢れていた。
彼らのざわざわとした話し声が、なぜだか耳に心地よい。
入り口の自動ドアを通りながら、あのプログラムで死んでいった者たちのことを考える。
親しくしていた者もいた。ほとんど話したことが無かった者もいた。
その亡骸を確認できた者はその何割かだが、数人は大河が手に掛けた。今でも高木航平らを殺めたときのことを夢に見る。
関わりや思い入れは正直様々だが、彼らが命を失ったことだけは等しい事実だ。
案内されたテーブルにつく。
少し、めまいがする。
現在住まいにしている大阪から東京への長旅の疲れが出たのだろう。
プログラムから一ヶ月。日常生活に支障が無いところまで回復していたが、まだまだ本調子とは言えない。
横に置いていたトートバックから一冊の本を取り出した。『ダンデライオン』。Aスポットの解放物資の中に入っていた。陸上部に所属するごく普通の男子中学生を主人公にした青春小説だ。
朔によって読み込まれ、すっかりぼろぼろになっている。
開けば小さな紙袋。中に蒲公英の種が入っている。蒲公英の英名はダンデライオンだ。小説との符合から、朔はしおり代わりに使っていたみたいだった。
プログラム中、みなが憧憬を抱いた学園生活。鈴木弦や朔たち兵士も同じように感じていたらしい。
届いたホットコーヒーに砂糖を入れながら、あのプログラムに潜入していた兵士たちのことを思う。
滝口朔、鈴木弦、瀬戸晦、水嶋望。
彼らのことは、この半月の間にいくらか調べた。
四人とも、強制士官者だった。
強制士官制度は、反政府運動で捕縛された者の身内の一部に懲罰的に執行されるものだ。
とは言え、朔以外の兵士三人には、親兄弟や近しい親類、友人が残っていた。
その中で朔の経歴は目立って寂しいものだった。
両親は反政府運動に関わった咎で死罪となっており、残された彼には頼るべき親類もなく、天涯孤独の身だった。当然、兄弟は存在しない。
やはり、『滝口優』は偽物の家族だった。
また、ずっと他人を寄せ付けない生活をしていたようで、親しい友人知人も見つけることができなかった。
有明中学校に来て大河と親しくなり、図書館でよく遭遇していた西塔紅実とは見知った仲になり、そしてプログラム中では中崎祐子や高木航平らと馴染んでいった彼の姿を思い浮かべる。
例え、任務による潜入だったにせよ、朔にとっては何かしら意味のある時間だったのではないだろうか。
だけど、西塔紅実らクラスメイトはみな死亡している。高木航平に至っては、朔が命を救おうとしたのに、大河自身が殺した。
コーヒーカップの持ち手をぎゅっと握る。
自身が人殺しだという事実に、息が詰まった。
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