<中村大河>
斜面に向かっている危険性は十分に承知していたが、止まることはできなかった。
じきにこのあたりは禁止エリアに設定されてしまう。
いつ止むともわからない吹雪が晴れるのを待っていても、迎えるのは死だ。
一歩。また一歩。外音の消えた世界を進む。
聞こえるのは、自身の鼓動だけだ。
と、誰かに肩を掴まれたような気がした。
「朔……?」
振り返るが、やはり天地の識別すらつかない白一色だ。
向き直したところで、一瞬気流に乱れが生じた。白い空間に、爪で掻いたような傷痕が生じる。その奥には、本来あるべき景色が切れ切れに見えた。
ひゅっと息をのむ。
後一歩で斜面の落ち端だった。切れ込んだ地面から、雪をかぶった杉木が見下ろせる。また、右手に岸壁らしきものが視認できた。
このまま進んでいたら、滑落していた。
慄然とし、立ちすくむ。血の気が引いた。
傷痕は一瞬で、視界はまたホワイトアウトしていたが、先ほど見た風景を頼りに、進む。
やがて目の前の白が消え、灌木が飛び出した岩壁に到達した。
右手に洞穴の入り口も見える。
音も復活した。ごうごうと音を立てて雪が舞っている。
洞穴は気流の吹き溜まりになっていた。もう少し時間がかかっていたら、入口が雪でふさがって見えなくなっていたかもしれない。
目的地を見失い、遭難していたかもしれない。
辿り着いたことに安どする前に、ぞっと背筋が凍る。
……また、朔に助けられた。
実際に朔に肩を掴まれたわけではないが、感覚的にはそれが事実だった。
洞穴の入り口、逆三角形の前で一度立ち止まり、その形状を確認する。
この洞窟はCスポットに近く、大河も何度か前を通ったことがあった。
そのつもりで見ないと分からないが、洞窟侵入口の造形に人の手が入っている。元々あった形を加工してあるのだ。
中へ入ると、古いたき火の跡があった。
凪下南美が起こし、その後桐神蓮子が使っていたものだが、大河の預かり知らないことだった。
たき火の主は『あれ』に気づかなかったのだろうかと、考える。
推察が誤りではないかという懸念、不安が増す。
また、推察があっていても、狙う場所がここではなかった可能性への、恐怖が募る。
じきに、Cスポットを含むこのあたりは禁止エリアになってしまう。
可能性云々で言うならば、『その場所』はCスポットの付近に設営されている可能性が高い。
ここ以外だった場合、禁止エリア設定までに見つけることは難しい。
また、次ぎの禁止エリア解除まで、凪下南美の命が持つとは思えなかった。
懐中電灯の明かりを頼りに、洞窟の奥へと進む。
洞窟は下りを経て行き止まりになっていた。ごつごつとした岩壁。
思わず、息をのむ。
手が震えた。
しかしすぐに、その鳶色の瞳が光を放った。
入口が加工されているのなら、この行き止まりにも手が入っているのではないだろうか。
そう考え、突き当りを手の甲で叩くと、コツコツと軽い音がした。
今度は深く息を吸い、のみ込んだ。
心臓のドラムがめちゃくちゃに鳴っている。緊張と恐怖と期待。様々な感情に押し潰されそうになりながら、壁を探る。
鍵のようなものはない。横にスライドもできないようだ。ならば……。
大河は意を決し、勢いをつけて突き当りの壁を蹴り上げた。
果たして、重い反動もなく、壁に穴が空いた。
「やっぱり……」
ごくり、唾液を喉へ落とす。
時間が無いことは分かっていたが、大河はしばらくの間立ちすむ足を動かすことができなかった。
やがて頭を強く振り、意識を戻す。
懐中電灯の明かりを穴から差し入れると、洞窟にはまだ先があることが分かる。板材に岩肌の化粧を施した『壁』でふさいでいただけだったのだ。
それは、推察が正しく、目指す場所がここだったということだ。
偽物の壁をさらに蹴り破り、侵入口を作る。
奥は、広い空間になっていた。
ぐるりと懐中電灯の光を当てる。15,6畳ほどはあるだろうか。やはり岩肌で天井が高い。
探ったが、加工はされていないようだ。ここが、正真正銘の突き当りということか。
そして、壁の一面は格子状の棚
になっていた。その一つ一つに扉が付けられており、丘の上のCスポットと同じく、駅ロッカーのようにも見える。
扉には同じく三角形の装飾。やはり、白黒の二色で解錠未解錠が分かるようになっている。
ただし、こちらは三角形が逆を向いていた。
普通頂点となる角が下に、底辺となる面が上になっている。
各スポットにつけられたトランプマークの装飾には意味があった。Cスポットだけトライアングル、三角形であったことにも意味があった。
三角形と逆三角形。併せればひし形、ダイヤのスートになる。
政府関係者の稚気だったのだろうか。
子どもじみた図形遊びだ。
Cスポットは、二つに分けてあった。
地上の三角形と地下の逆三角形。
地面を間に挟んで、スートを形作っていたということだ。
開けた箱型の棚の一つ一つには、医薬品が入っていた。
抗生剤、各種軟膏、包帯、消毒薬、高カロリー輸液、注射器……。
医学書が入っている棚もあった。
棚はかなりの部分が解放されていたが、内蔵物資に手をつけた様子はなかった。
偽物の壁が破壊されていなかったところから見ても、大河以前にこの存在に気付いた者はおらず、プログラム開始以来の解放物資が、そのまま残っている。
Aスポットは生活物資、Bスポットは食料と住居、Dスポットは武器。
それぞれ内蔵品には特徴があった。
そして……Cスポットは二か所に分けてあり、物資は医療品に特化していたのだ。
思えば、基本物資となるはずの医療品の物資解放が他のスポットでほとんどなかったのも、ヒントだったに違いない。
このプログラムには、いくつかの作為や仕掛けがあったらしい。朔が気にしていた。
これも、その一つだったのか。
ただし、トランプスートの欠如というヒントはあった。この洞穴の形も、ダイヤの相場所を示すヒントだったのだろう。ダイヤの片方、皆がそれだけだと思っていた地上のCスポット物資の一回解放量が少なかったのも、きっとそうだ。
朔の疑問がなければ、彼と行動を共にしていなければ、きっとたどり着けなかった道だ。
ここでも、朔に救われている。
医療物資のいくつかをディバッグに詰め、洞穴を飛び出す。
幸い、吹雪が少し弱まっていた。
風は以前強く、常緑樹や落葉樹が雑多に生い茂った雑木林が煽られ、大きく揺れているのは変わらない。
じきにこの辺りは禁止エリアとなる。
迷っている時間はなかった。意を決し、駆けだす。
雑木林の中、雪化粧をした木々の間から、曇天の空が見えた。遠く、群青色の海が波立っている。浮かぶ船は、警備のための巡視船だろうか。
「朔……」
友の名を呼んだのは、無意識だった。
−02/28−
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