OBR4 −ダンデライオン−  


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093 2006年02月某日


<中村大河>


 一度、朔が住んでいたマンションにも訪れている。
 滝口優は、昨年10月の頭に引っ越していったそうだ。ちょうど、大河らが巻き込まれたプログラムが始まった時期だ。
 開始早々の転居。
 そのタイミングに、どこか寂しさを感じる。
 本当に、クラス潜入の為に作られた仮の家族、仮の住まいだったということか。
 滝口優という名前もおそらく偽名だろう。
 少し……いや、かなり残念だった。
 優のことを思い浮かべる。
 がっしりとした長身。彫りの深い整った顔立ち。太い眉。明るく快活な性格で、大河にも気安く話しかけてくれた。大河には姉はいるが兄はいない。「こんな兄貴がほしかったな」そんな風にも思っていたものだ。
 ……どこまでが嘘だったんだろう。
 考える。
 彼が朔を見る目は、優しく親しげだった。
 あれも、嘘だったんだろうか。
 朔とは違い、器用な男だったので、性質までも偽られていた可能性は多分にあった。

 彼らが住んでいた部屋はまだ空いていたので、管理人に無理をいって入れてもらった。
 すでに引き払われた部屋には何もなく、フローリングの床材と埃の匂いがした。
 あの部屋には何度か遊びに行き、泊ったこともある。
 今思えば仮住まいだったからだろう、家具の類が少ない簡素な部屋だった。
 ただ彼らなりの生活臭はあった。
 縁の欠けたマグカップ、キッチン台の上に置かれたスポンジ。二人は料理らしい料理はしなかったので、調味料の類はほとんどなかった。
 風呂場のシャンプーやボディーソープ。男所帯らしく、ドラッグストアの廉売品を使っていた。
 朔の部屋は文学作品や時代小説で埋もれていた。「漫画とかないの?」と訊くと、歴史漫画が出てきたものだ。
 また、あちこちに小さな観葉植物が置かれていた。……意外にも朔の趣味だった。
 思い出すエピソードの一つ一つに胸が締め付けられる。

 それらが、全てなくなっていた。
 何もない、空虚な空間。
 引っ越したのだから、空き部屋なのだから当然なのだが、まるで朔という存在が始めからなかったようで、息が詰まった。 この先、大人になって、職に就き、誰かと結婚して、子を成して、やがて老いていく。
 その中で、人を殺したという事実を忘れることはないだろう。
 死んだクラスメイトや、兵士たちのことを忘れることもない。
 また望めば、彼らの友人知人と、その想い出を語ることもできる。
 しかし、朔だけは別だった。
 話せる相手がいなかった。
 詰まる所、大河は誰かと彼のことを話したかった。朔の想い出を語らい、ともに悼む誰かが欲しかった。そうすれば、朔がこの世にいたという事実が鮮明になる。
  
 クラスメイトの残る一人、優勝を分かち合った凪下南美は転居してしまい、居場所が分からない。
 ただ、南美にもぶどうが丘高校への進学の話が来ている可能性は高い。
 二人がぶどうが丘高校へ進学を決めたとしたら、今春にでも再会できる。
 彼女とは会いたいような会いたくないような不思議な気分だった。
 ともに、心の暗闇を覗いた関係だ。
 本来ならば、その記憶は思い出したくないもので、再会を願うことはないだろう。
 その気持ちは大河にもあった。
 だけど、会えば、朔の話ができる。
 その可能性が、彼女を手に掛けなかった、二人での優勝の道を選んだ成果のひとつだと、今は思う。
「……決めるか」
 呟く。
 決めたのは、ぶどうが丘高校への進学だ。



 ふと、滝口優と名乗っていた男を探してみようかと思った。
 あの男は、おそらくは、朔の有明中学校潜入中の見張り役、世話役だ。
 彼が朔に見せていた兄としての視線は親しみのあるものだった。
 しかし、彼らは本当の兄弟ではなかった。また、暮らしていたマンションからも跡形もなく姿を消されてしまっていた。
 その視線までも偽りだったのか、それともそれだけは本当だったのか、判断はつかない。
 ただ例えまやかしだったとしても、彼が朔と少なくとも半年の間、暮らしを共にしていたのは事実だ。
 彼は、大河が知らない朔の顔をたくさん知っている。

 大河は、その正体を陸軍兵士ではないかと考えていた。
 担当教官だった宇佐木涼子。その本来の職は、陸軍士官学校の教育官だった。
 ならば、滝口優も兵士ではないだろうか。
 宇佐木教官とは、プログラム終了後も手続き等で何度か会っている。 
 プログラム説明を淡々と進めていた彼女、最中に行われた放送も実に機械的なものだった。
 帰還後の手続きも極めて事務的に行われたが、考えてみれば彼女は見せしめをしなかった。
 説明時に、見せしめとして、恐怖感を煽る手段として、参加選手を殺害する担当教官が多いと聞く。だけど彼女はそうしなかった。
 ぶどうが丘高校への進学を勧めてくれたのも、彼女だ。
 距離感は十分すぎるほどに取られているが、参加選手を弄ぶような質ではないのだろう。 
 彼女に請えば、彼と面会させてくれるかもしれない。

 
 窓ガラスの向こうに、吉祥寺の街並みが見える。雑踏の多くは、同年代かその少し上だ。その間に紛れる、スーツ姿の大人たち。
 みなコートに袖を通した厚着だ。色とりどりのマフラー、手袋。
 いつしか、この街に蒲公英の種を蒔こうと考えていた。
 種植えの時期なんて分からない。
 発芽はもしかしたら今年の春ではなく来年になるかもしれない。だけど、いつか芽は出、花開くのだろう。そして種子を飛ばし、また次の年に花が咲く。
 小説『ダンデライオン』の影響だろうか。
 蒲公英は、死んでいったクラスメイトたち、その中でも朔の想い出と繋がっている。
 この街で、彼らと、新たな友人たちと過ごしていく。この街の景色の一つになる。まずは、そこから始めよう。
 その中でもまた様々な試しを受けるに違いない。
 当たり前の人間関係の中にも試しは潜んでいる。
 ……俺は、その全てにちゃんと答えを出していく。

 がらんどうだった部屋にも、朔の気配が蘇っていた。  
 かかっていた霞が晴れたような感覚。
 朔は、いた。あの部屋に、学校の校舎に、彼はたしかに存在した。そして、死んだ。
 瞳が再び潤みを増す。
 今度は、涙が零れる前に拭いとった。
 目の前の現実をまっすぐに見据えた後、コーヒーカップを両手でくるみ、双眸を閉じる。まだ2月になったばかり。春はもう少し先だ。



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