OBR4 −ダンデライオン−  


009 2005年10月01日21時30分


<滝口朔>


 近寄ると、崎本透留の生存が絶望的であることがわかった。おびただしい出血、胸元の傷は深く、首筋も斬られている。
「鈴木……?」
 中村大河に緊迫が走る。
 鈴木弦が透留を殺したと思っているのだろう。
 しかし、「それは、ない」朔 は冷静に否定した。
 弦を信用しているわけではない。
 これだけの出血、血もあちこちに飛び散っている。もし弦が手にかけたのなら、血を浴びているはずだった。
 状況を分析した論理的帰結だ。
「違う、俺も今見つけたところだよ」
 弦 も否認してきた。

 朔も鈴木弦も、プログラムの記録のために派遣されてきた兵士だ。
 積極的に一般生徒を殺して回ることは好ましくないとは釘を刺されていたが、制限されているわけではない。
 誰だって命は惜しい。
 弦がゲームに乗ることもあろう。
 だが、状況が鈴木弦の無実を主張していた。

 血糊の件もそうだったが、崎本透留の傷は長い刃物で為されたものだった。
 弦の周囲には、そのような得物は見えない。
 物資を分けていたとき、透留本人がサーベルを持って行った。奪われ、襲われたのだろう、と憶測する。透留のディパックも見当たらなかった。
 考えられる理由を話すと、「そ、そうなんだ」大河が震える声で返してきた。
 その顔は青ざめ、怯えの色が浮かんでいる。

 朔は同じように震えることが出来なかった。
 死体を見たのはこれが初めてで、透留の亡骸は酷い有様だったが、特段恐怖は感じなかった。
 ただ、心乱れてはいた。
 ……この感覚はなんだろう。
 自身の心を探る。
 惑い。
 そう、これは困惑だった。朔はいま確かに、思い惑い、心乱れていた。
 何に対してなのか、どうして惑うのか、それはまだ分からなかった。



「大河、手伝ってくれ」
 制服の上着のうえに、マウンテンジャケットを羽織り、横たわる透留の身体を抱き起こした。
 マウンテンジャケットは冬季の登山に用いられる衣類だ。
 フード付きで左右に大きなポケットがついたデザイン。軽量で完全防水撥水、脱湿にも優れる。
 先ほど朔も中村大河も入手しておいた。
 色は朔がブルーベースで、大河はオレンジベースだ。
 着込んだのは、透留の血糊が制服に付くことを懸念してのことだった。
 マウンテンジャケットの素材なら、付いてもすぐに洗い流せる。
「え、え?」
「ほら、俺が頭側を持つから、大河は脚を」
「どして?」
 
 朔としては当然の行動だったので、説明しなかったのだが、大河には分からないようだ。
「他の連中に崎本の死体を見られるのはまずい。茂みの奥に隠そう」
「え? なんで?」
「ゲームに乗った奴がいるってばれたら、そいつらも乗ってくるかもしれない。崎本が死んだことは、放送でばれるけど、放送だけなら自殺と思ってもらえる可能性もあるからな」
 いずれ誰かがゲームに乗ることは予想できていたが、想像以上の早さだった。
 ここからなし崩しに殺し合いが始まることを避けたかった。

 政府としても、ある程度の期間は選手たちに生き延びて欲しいに違いない。
 早期決戦してしまっては、長期設定した意味がない。
 長期プログラム。
 サバイバルの様相も多大にあるとはいえ、純粋なサバイバルを実験の主題としているわけではないだろう。
 スポット貯蔵物資や初期装備の充実振りから、そのあたりの意図が読み取れる。
「あー、そゆ、ことね……」
 透留はごく普通の体格だったが、脱力した身体は重みを感じた。
 鈴木弦も加わって三人で苦労して、茂みの奥に運んだ。
 ちょうど窪地があったので、そこに落としいれ、上から枝葉をかける。地面に広がった血糊は土をかけて隠し、木々にとんだ血液も出来る限りふき取った。

 兵士二人はそれほどでもなかったが、やはり一般人である大河は始終がくがくと震えていた。
「二人とも……平気なの?」
 上目遣いで訊いてくる。
 朔はうまく返せなかったが、鈴木弦は如才なく「怖いに決まってるっしょー。ほら、手が震えてる」と演技をして見せた。
 ありがとうと弦に頷きを送り、ビデオカメラのスイッチを入れ忘れていることに気がついた。

 ……意識してないと駄目だな。
 これからでも遅くないだろう、自然な動きを装いビデオカメラと連動している腕時計のスイッチを入れる。首輪がぶんと小さく振動した。
 窪地に隠した崎本透留の亡骸を撮影する。
 身体全てを隠すことが出来なかったので、手足が一部枝木の間から出てしまっていた。
 ビデオに収めることはできないが、血の匂いも強くする。
 隠しきれてないなと自嘲気味に笑うが、まぁしないよりはマシだと思い直した。

 鈴木弦はカメラを回していないようだった。
『撮影は?』
 大河に聞かれないよう声には出さず、話しかける。
 士官学校で読唇術は習っていた。
 弦は一瞬ぽかんとした顔をし、『ああ、そうだったな……』と返してきた。朔がすでに始めているからだろうか、結局スイッチを押す素振りはなかった。
 気のない返事と態度に、任務を分かっているのだろうかと眉をひそめる。 



 長居は危険だ。また、このエリアはあと2時間もすれば禁止エリアに指定される。
「さ、行こう」
 中村大河を促すと、「え? や、だって」口ごもりを返してきた。
「ん?」
「ほら、だって」
 丸いフォルムが真顔になる。
 戸惑っていると、大河はゆっくりとした動きで透留の亡骸に手をあわせた。
「そんなことしてる場合じゃないだろ、はやく」
 苛立ち、大河の手を引こうとすると、彼は驚きを返してきた。
「……友だちだよ?」
 とがめるような口調だった。

 その強さに、さらに困惑する。
「これは、崎本じゃない。ただの死体だ」
「なにそれ」
 面持ちにはっきりと怒りの感情が見える。哀しみも滲んでいた。
 ……分からなかった。
 大河が何に憤り、心痛めているのか、分からなかった。

 朔の論理的な頭脳は、一刻も早くこの場を離れろと告げている。
 生存のためには、間違いなく正しい判断なはずだった。大河は決して頭は悪くない。その彼に理解してもらえないことが、不可解でならなかった。

「これって何さっ。透留に、そんな言い方ないだろ!」
 声を荒げ、掴みかかってくる。
「何、するんだ、手を離せっ」
 朔は朔で唾を飛ばし、怒声を返した。
 その間も戸惑いは続く。
 ……なんなんだ、この状態は?
 やがて困惑が、混乱へ至った。
 どうしていいか、何を返していいのか分からず、呆然と立ちすくむ。
 大河に襟ぐりを握られ、揺さぶられた。朔と大河では、頭一つは身長差がある。至近距離から見上げてくる大河に罵られ、息が詰まった。

 そこに、「喧嘩してる場合じゃないよ」鈴木弦の救いの手が入った。

 言われて、『喧嘩をしていた』ことに気がついた。
 ……実は、初めての経験だった。
 今まで人との関わりを極力避けてきた。優秀だったせいか、孤児院時代も士官学校でもよく敵意を向けられたが、負け犬の遠吠えと相手をしたことがなかった。 
 弦の台詞で落ち着いたのだろう、大河は「ごめん、色々ありすぎて……」目に涙を浮かべがっくりと肩を落とした。
 突然プログラムに巻き込まれ、友人の死体を目の前に突きつけられたのだ。
 そのストレスは多大に違いない。
「いや、オレこそ……」
 と、「鈴木?」大河がぎょっとしたような顔をした。視線は弦に向かっている。
 同じように弦を見やった朔も驚かされた。
 
 鈴木弦は、涙を流していた。

 大きな瞳からぼろぼろと落ちる、涙、涙。肩は、ぶるぶると震えていた。
 弦のこんな有様を見るのも初めてだった。
「ごめん、驚いた? ちょっと喧嘩になっちゃったけど、もう大丈夫だよ?」
 大河が気遣うと「いや、違う。お前らの喧嘩は関係な……くもないか。でもまぁ、大きな理由……じゃない」涙声が返ってくる。
 木々に囲まれた林道、格子状になった枝葉の間から月の光が差し込んでくる。
 その光に照らされた、弦の細面。
 大振りの目鼻立ちから読み取れる感情は……絶望。
 ややあって、「俺、行くわ。二人とも元気でな」弦が駈け出した。  

「……どゆこと?」
 大河が鳶色の目を見開いた。
 ……陸軍兵士が? 覚悟してやってきたんじゃないのか?
 朔も、大河とは違うところで戸惑う。
 そもそも、鈴木弦というキャラクターと落涙がいかにもあわなかった。
 ……どういうことだ?

 走り去る華奢な背に質問を投げるが、返答はなかった。



−27/28−


□□  バトル×2 4TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録

 
バトル×2
各種設定・ルール

滝口朔 
主人公。陸軍所属の兵士であることを隠している。記録撮影のために事前よりクラスに潜入していた。成功報酬の強制士官免除が望み。孤児院育ち。
瀬戸晦
同じく潜入している兵士。肉体派ではないが、分析能力に優れる。
中村大河
朔と親しいが、朔が兵士であることは知らない。