<崎本透留>
倒れているところを滝口朔らに発見されたその10分ほど前、崎本透留は雑木林を抜ける林道をゆったりとした足取りで歩いていた。
……恐怖心は、ある。
しかし、三ヶ月間がんばればいいんだ。殺しあう必要なんてないんだ。という思いもあり、それが緩やかな足の進みに繋がっていた。
平心の理由には、横を歩く碓氷ヒロも存在もあるだろう。
最初は一人でAスポットを出発したのだが、ヒロが後から追いかけてきた。
彼とは吹奏楽部仲間だった。
中背で華奢な体躯。
くりくりとよく動く瞳、ぽってりと厚い唇。つるりとした白い肌は、にきびに悩まされる思春期男子としては羨ましい限りだ。
決して整っているわけではないが、愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。
人懐っこい性格で、その童顔もあいまって、しっかり者の透留には弟のように感じることがあった。
他の友人たちにも概ね同じような扱いを受けている。
マイペースで物事に動じない性質でもある。
吹奏楽部の指導教員は厳しいことで知られるが、注意されてもケロリとしている。
プログラムも彼にはさほど影響を示さなかったのか、不戦で終えることも可能なルールに安心しているのか、いつもどおりの口調で話しかけてきた。
ヒロは語尾にアクセントを置く、独特の話し方をする。
「キャンプみたいだネ」
「……そうだね」
実際はキャンプどころの騒ぎではないのだが、彼が言うと本当にそう思えてくるから不思議だ。
ヒロの片耳には、先ほど獲得した音楽プレイヤーのイヤホンがつけられていた。
しゃかしゃかと音が漏れ聞こえている。
……こんなときにノンキなやつだなぁ。と苦笑する。
「しばらく柳を探すことになるけど、別に付き合わなくてもいいからね」
「リョーカイ、了解。柳と合流したらお邪魔ムシは消えるから、心配しないでネ」
「何言ってんだか」
さらに苦笑を重ねる。
柳早弥は、透留の交際相手だ。
告白は早弥からだった。大人しく可愛らしいところに惹かれて付き合い始めたのだが、いざ付き合ってみると意外に気が強かった。
どうやら、交際前までは猫を被っていたらしい。
まぁ、今となってはどうでもいいことだ。
笑うときは大きく口を開け、目を吊り上げて怒り、大粒の涙を流し声を上げて泣く、そんな彼女を今は気に入っていた。
よく喧嘩もするが、言いたいことを言い合える仲、ともいえた。
「ラララ〜ララ」メロディをつけてヒロが言う。
「ん?」
「ラフマニノフ」
「ああ……」
ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第2番。
ヒロは作曲家名しか言わなかったが、漏れ聞こえる音で分かった。
胸に迫る甘美なメロディが重ねられたロマンティックな名曲だ。
大東亜共和国において、外国産の文化は概ね制限されており、音楽に関しても同様だったが、昨今クラッシク音楽に関しては規制は緩やかだった。
思想色が強い作家、曲には制限があるようだが、有名無実となっていた。
「いま、かかってんだ」
イヤホンを指して言い、「透留のイメージソング」続けた。
「なにそれ」
声を上げて笑う。
いい気分だった。ヒロと友だちでよかった。そう思った。
「あ、ごめん。ちょっと待って」
トレッキングシューズの紐がほどけてしまった。
靴はもともとは革靴を履いていた。山歩きにはいかにも向いていないので、さきほど物資の中から取得しておいた。
まだ足に馴染んでいないため、少し歩き辛い。
荷物を脇に置き、しゃがみこむ。
「ラララ〜ララ、ララ」
頭の上からヒロの声が降ってくる。
ラフマニノフを続けている。適当に歌っている風ながら、音程はきちんと取れていた。
甘い声質と情緒的なメロディがよくマッチしている。
「さ、行こうか」
起き上がろうとした瞬間、背中に熱い痛みが走った。
「え?」
流れる疑問符。顎先を上げ、前に立つヒロを見上げる。ヒロは刀を両手で握り締めていた。
刀はサーベル型だった。ヨーロッパ由来の湾曲した片刃。
刀身は70センチほどで、柄には指や手を保護する手甲がついていた。サーベルは、透留が武器として獲得したものだった。
靴紐を結ぼうとして置いていたのを、とられたのだ。
「ララ、ララ」
ヒロが刀を振り降ろしてくる。胸元を斬られ、あたりにばっと血が飛び散った。手で出血を抑えようとするが、うまくいかない。
振り下ろした体勢そのままに、ヒロがよろけた。
刀の重みに、華奢な身体が持っていかれてしまうのだろう。
そのまま、ヒロは尻餅をついた。
「結構、大変だネ」
飛沫した血液は、ヒロにもかかっていた。白いつるりとした頬に血糊がつき、制服は真っ赤に染まっている。
返す手で今度は首筋を斬られた。
不思議に、恐ろしさは感じなかった。
痛みも疑問も、消えていた。
ただ悲しかった。早弥ともう喧嘩できないと思うと、それが悲しかった。
ゆっくりと身体が傾ぎはじめる。
地面に横なりに倒れるその瞬間、透留は早弥の怒った顔を思い浮かべた。
−崎本透留死亡 27/28−
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