<中村大河>
凪下南美が姿を消してから一週間後の、午前九時。
大河は、Cスポットのある広場の前にいた。
曇天は続き、広場も雪におおわれている。広場には積雪の障害となる木々がないため、雪深い。現在も空からはらはらと粉雪が落ちてきている。
枝木でつくった手製のかんじきを長靴の底に縛り付け、進む。
かんじきは必要に迫られ製作した。
深い雪の上を足を大きく沈めずに進むためのもので、耐曲製のある枝木をU字型にして二つ組み合わせて環にし、その中に縄と枝で網目を作っている。
ちょうどテニスラケットの打面のような構造だ。
何度も失敗を繰り返し、なんとか使用に耐えられる強度を確保できた。
箱を重ねたような形状、ロッカー型のCスポット。
箱の扉についた白色三角形の小さな装飾が解錠の印だ。
解錠時に、三角形の装飾が黒から白に切り替わる仕組み。
今回の物資解放は積み重なった箱の上方だったので、雪を掘らずに済んだ。
中を開けると、スティック型の携帯食料や缶詰、衣類やタオルが入っていた。銃弾もあり、どきりと脈が上がる。
やはり、薬の類は見当たらない。
昨日から身体が熱っぽく、解熱剤、せめて風邪薬がほしかったのだが……。
このプログラムはサバイバルの様相はあるが、あくまでもプログラムだ。純粋なサバイバル実験ではないことは、生活物資や食糧が定期補給されるあたりからも伺えた。
四つあったスポットも、AスポットとDスポットは崖崩れに呑まれ、Bスポットは閉鎖され、残りはこのCスポットだけだ。
また、それぞれに特性があり、Aスポットは生活物資、Bスポットは食料と住居、Dスポットは武器が中心に提供されていた。
Cスポットは解放量は他と比べ目立って少ないが、バランス型ということで偏りがないのはありがたい。
ただ、できれば薬の類も入れてほしかった。
薬は土砂や海の底となっているAスポットやDスポットの物資の中に入っているのかもしれない。そうなると、重機などの手を借りないことにはどうしようもなかった。
こんなであと20日も持つのだろうか。
この数日、大河を苦しめているのは、あるイメージだった。
雪に覆われた雑木林。その白い地面に、大河がうつ伏せに倒れている。その上から降り続ける雪。やがて大河の身体は雪に埋もれ、消える。
それは、死のイメージだ。
広場には足跡がなかった。雪はちらちらと降っているが、足跡を消すほどではない。
凪下南美は、今回は物資を諦めたのだろうか。
彼女とは、あれから一度も遭遇していない。
会えばどうなるか……おそらく、まだ殺し合うことはないだろう。
だけど、3日後、一週間後は分からない。
ほうっと息をつき、広場から出る。
吐く息は白かった。
笹を浸してある沢へと向かう。
スポットから得られる保存食は極力セーブしておきたかった。
外気に冷やされた頬がぴりぴりと痛む。食事は一応取れているが充分量ではなく、空腹感に刺される。疲労感、消耗感。
プログラムの一ヶ月を、二人が互いを殺めず生き延びる。
その命題の厳しさに、大河は喘いでいた。
やっと、本当にやっとの思いで、その三分の一は過ぎた。しかし……。
残り期間への焦燥、切迫は高まり、大河の背を強く押していた。このままでは、人殺しと言う暗闇に前のめりに倒れこんでしまう。
片側が下がりこう配の急斜面、ほとんど崖に近い形状になった山道を進む。
雪で崖の入り端が分かりにくく、足取りは慎重になった。
やがて白い視界の先、他の道が合流しているのが見えた。
どきりと脈が上がる。
合流してきている道に、誰かの足跡がついていた。もしかしなくても、凪下南美のものだ。足跡は、大河と同じ方向に向かっていた。
どうしようかと立ちすくんでいるうちに、「あれは……」大河の眉が寄った。
少し先の雪道面が乱れていることに気付いたのだ。
そこまで駆けより、張り出した木の枝をつかみ、滑り落ちないよう身体を保持しながら斜面の下を覗き込む。
果たして、青色のマウンテンジャケットを着込んだ南美が倒れていた。
高低差としては、大河がいる位置から10メートルはあるだろうか。
仰向けなので、顔が確認できる。目は閉じられているようだ。ぴくりともしない。
死亡したのなら、放送が流れるだろう。足を踏み外したのか。転落し、気を失っているに違いない。
山道をぐるりと回り下り、崖下へと赴く。
南美の身体には、薄く雪化粧が施されていた。
落ちる途中で傷を負ったのか、白い地面のあちこちに赤が飛んでいた。今日は朝から雪が続いている。被り具合から考えると、そう時間は経っていないようだ。
罠の可能性も考慮し、まずは距離を取り、彼女の両手を視認する。
銃や刃物は持っていない。ほっと息をつく。
本当に気を失っている様子だ。
「凪下、凪下っ」
近寄り、彼女の肩をゆすぶるが、反応はなかった。
胸が疼くと思ったら、吊り橋から転落死させた高木航平の亡骸が被って見えていたからだった。
あのとき、朔の命を救うために、航平を落とした。
渓流の中から突き出た岩の上に落ち、彼は死んだ。
雪と外気に冷やされているはずなのに、彼女の身体は焼けるように熱かった。感染症か何かを起こしているのだ。
航平の最期の次ぎに重なってみるのは、朔の最期。
ごくり。唾液を呑み込む。
……このまま放っておけば。このまま放っておけば、彼女は死ぬ。
ひゅっと風が吹き、雪が剣舞した。風が出てきた。このまま吹雪になるのだろうか。切りつけられる肌、心。白い地面に幻想の血がぼとぼとと落ちた。
迷う、迷う。
大河の進む道の両側に存在する闇。その暗がりが光を侵食し、道が狭まってくる。息が詰まった。
「俺が通りかかったのは、たまたまだし」
見なかったことにすれば、いい。
「何の関係も、ないし」
彼女には命をすくわれているけど、その前に俺も助けているから、借りは差し引きゼロだ。
踵を返し、彼女に背を向ける。
そして一歩足を闇へと進めた。何か密度の高いものが、体内に潜り込んでくる。ざわざわと全身が総毛だった。
ごくり、唾液を喉に落とす。
しかしここで、大河は「ああ、畜生!」唾を飛ばし、叫ぶ。
これを機に、ざっと音を立てて暗闇が消えた。
再度踵を返し、南美に駆けよる。
幸い骨折はしていないようだ。大河のキャンプ地はここから近い。まずはそこまで運び、たき火で冷えた身体を温めようと、心に決める。
肩を抱き入れ、南美を背負う。
彼女の元に戻ったのは、滝口朔の顔を思い浮かべたからだった。
朔の顔は、普段の学園生活の風景に繋がっていた。
今ここで彼女を見捨てたら、仮に優勝できたとしても、その世界には戻れないような気がしたのだ。
いたって利己的な理由から、大河は彼女を救う決意をしていた。
だけど、それでいいとも思う。ここで人としてそれが当然だからだとか、偽りの仮面をかぶったところで何の意味もない。
陸上部で鍛えられているとはいえ、プログラム中に多少背が伸びたとはいえ、小柄な大河のこと、彼女との体格差はそうなく、その道筋は厳しいものになった。
雪に足を取られ、何度も転びそうになる。
それでなくても続くサバイバル生活で体力は削がれている。すぐに息が上がった。
ぐらり、決意は揺らぐ。
闇をおしのけた光に、温かさはなく、大河の身体と心を痛めつけてきた。それでも大河は、最後の一人を背負い、進む。
−02/28−
□□■
バトル×2 4TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録
|