<中村大河>
「よっと」
大河が渓流に仕掛けていた笹竹をさぶりと引き上げると、小魚やエビが葉の間から河原に滑り落ちた。
凪下南美から教わった漁で、笹浸し漁というそうだ。
沢に束ねた笹を水中に漬けておき、それを寝床にした魚類を捕るという単純な仕組みだが、毎回何かしらはかかっている。
ただ12月に入り、水生生物の動きも鈍っているのか、はかばかしい漁果は得られていない。
腰を伸ばし、周囲を見渡す。
ちょうど正午になったところだが、空は厚い雲に覆われ、うす暗い。
沢は上流に当たり、傾斜は急で流れが速い。水面は波立ち、飛沫があがっていた。川筋に沿った河原は大河がいる片面だけで、向かいは川からそのまま上がりこう配の斜面になっていた。
魚中心の食事にもすっかり慣れた。
南美は小動物を捕るための箱檻型の罠を持っており、何度か仕掛けていたが、一度も獲物をとらえていなかった。
獣道などの知識が必要で、素人には少々難易度が高いらしい。
彼女がAスポットで入手していたのはワイヤー製のくくり罠だったので疑問に思い訊くと、箱檻型の罠はもとは西塔紅実が入手したものだったそうだ。
くくり罠よりも熟練を要さないそうだが、それでも成果は上がっていない。
だけど、南美は失敗を生かしながら挑戦し続けていた。
西塔紅実も同じようにしていたそうだ。小動物の捕獲は、南美にとって何かの象徴でもあるのだろう。
あたりはすっかり白銀世界だ。
山野は白く雪化粧が施され、吐く息も白い。
今もふわふわと粉雪が舞い降りてきている。
切りつけるような冷気。
歩けば、さくさくと雪を踏む音がする。
スニーカーでは足先が凍傷になってしまうので、解放物資に入っていた長靴を履いていた。
厚い手袋を脱ぎ、両手に息を吹きかける。
マウンテンジャケットのジッパーは首元まであげ、首にはマフラーを巻いていた。
朔を失ってから三日が経っていた。
喪失感は未だ消えない。
時折涙、嗚咽も零れる。
だけど、立ち上がり、生活は続けていた。
何かを口にしないと、腹は減る。防寒に努めないと、身体は凍える。現実は、悲しみに暮れることなど許してはくれない。「環境に適用できるやつが生き残っていく」いつか聞いた朔の台詞だ。
これも、一つの適応なのだろうか。
朔の亡骸は、凪下南美と一緒にCスポット近くに埋葬した。
瀬戸晦らも同じ場所で眠りについている。
それぞれ薄く土をかぶせただけだったが、すぐに雪が覆ってくれた。
おそらくこのプログラム終了後に、政府によって掘り起こされるのだろう。
ふと、朔の遺骨の引き取り手があるのだろうかと思った。
朔は両親を亡くしていると言ってた。今となってはその真偽は分からないが、大河は朔の話が本当だったのではないかと考えていた。
それは珍しいことではない。
珍しいことではないが、寂しいことだ。
両親が揃い、姉もいる大河には、想像することもできない孤独だ。
水も汲み、キャンプ地へと向かう。
いまは、原始人よろしく洞窟を住まいにしていた。Cスポットがある丘は洞穴地帯だ。あちこちに、その入り口が存在していた。
そのうちの一つの中にさらに簡易テントを張っており、たき火で暖も取っているが、夜は凍えるような寒さに襲われる。
雪で覆われた地面を踏み進む。
歩を進めるたびに足首のあたりまで雪に沈み、歩きにくい。
大河が生まれ育った京都市内は降雪はあるが、積雪はそれほどない。
雪の中での生活は未経験で、慣れない疲労感が身体を蝕む。
やっとのことで洞窟に辿り着く。ぽかりと半円を描く入口。
「戻ったよ」
中に声をかけたところで、異変に気付いた。
凪下南美の姿が無い。
彼女の荷物もなくなっていた。
がらんとした岩肌の洞穴。人の気配が消えたことで、寒々とした雰囲気が増していた。
「ああ……」
息をつく。
彼女の出奔に意外は持たなかった。
来るべきときが来た。そんな感覚。
朔を失ってから、二人の間に会話はほとんどなかった。あっても、白々しい空気が流れていた。
ふとした瞬間に、南美に無表情に見つめられていることに気づき、肝を冷やすこともあった。
きっと彼女も、同じように感じる瞬間が多々あったに違いない。
このまま二人でいれば、いつかどちらかがどちらかを手にかけてしまう。そんな予期、プレッシャーに彼女は耐えられなかったのだろう。
不思議に、孤独感はなかった。
安堵すら感じる。
だけど、身体が震えた。
寒さからではなく、恐怖感に、身体が震えた。
これで、二人は共闘ではなく敵対となった。
もちろん、距離感を保ち、遭遇しても互いにやりすごせばいい。それが理想だ。
しかしそれが儚く空虚であることを、大河と南美はよく知っている。プログラムの現実を、自身に潜む暗闇を嫌と言うほど見てきた二人はよく知っている。
漏れる吐息。震える指先。
救いを求め、大河は周囲を見渡した。……しかし、何もなかった。
−02/28−
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