<中村大河>
苦しげな寝息を立てている朔を見やり、ふと考える。
……俺は、君のことを全然知らないんだな。
有明中学校転入までのことは聞いていた。東京暮らしが長く、両親と死別してからは、兄の優に育てられた。優の転勤のため、京都に越してきた……。
優とは朔の家に遊びに行った時に何度か会っており、親しくしていた。
三人でキャンプに行ったこともある。
がっしりとした長身は朔と同様だったが、顔のつくりや雰囲気が全く違い、似ていない兄弟だと感じていた。
「きっと、偽の家族だったんだ」
推察を呟く。
役割は、生活のフォローや見張りだろうか。
それは、朔の前歴が偽りだったことを意味する。
偽りの家族、偽りの学園生活、偽りの人生。それはきっと……寂しいことだろう。
知った時は憤怒に繋がった事柄に、いまは憐憫、同情を抱く。
一般生徒が兵士の境遇に胸を痛ませる。
そうあることではないのかもしれないが、大河は確かに胸詰まる何かを感じていた。
優に連れられて行ったキャンプ場は、長野県にある神崎高原リゾートの一角だった。
神崎リゾートは陸軍の駐屯地が隣接しており、軍部との関係も深いと聞く。
今思えば、数あるキャンプ施設から神崎リゾートが選ばれたのも意味あることだったのだろう。
南美は、兵士の一人である鈴木弦と一時期交際していた。
訊くと、「そう、あいつ私のこと騙してやがった。ほんと、むかつく」と口をとがらせた。
「でもさ、あいつ、なんか一生懸命だった。学校でも外でも、友だちいっぱい作ってさ。……兵士がどんな生活してるか知らないけど、やっぱりうちらみたいな呑気な感じじゃないんだろうね。だから、一生懸命に楽しんでたんだろうね」
後半のほうが長いあたりから、彼女の中でも整理がついていることが伺えたが、「浮気されたことだけは許せないけどっ」最後の吐露に苦笑する。
考えてみれば、この二人は兵士とのかかわりが深い。
と、朔の瞼が細かく震え、開かれた。
「朔!」
声を上げる。
虚ろな瞳。黒眼の色が薄まったような気がする。
その目が大きく見開かれ、「たい、が」掠れた声で、名前を呼ばれた。
朔はゆっくりと自身の身体を確かめ、「助けて、くれたのか」驚いたように言う。
「裏切っていた、のに」助けてくれたのか。
「そんなの、どうだって……よくはないけどっ。今でも怒ってるけど!」
手が震えた。
「けど! だけどさ……」
感情の置きどころ、台詞の置きどころが分からず、言い淀む。
その様を見た朔は苦しげに笑うと、「すまなかった」謝ってきた。
一呼吸おいて、「やっと、言えた」満足そうに頷く。
束の間、ぽかんと口を開けてしまう。
朔が傷ついた身体をおして自分を探してくれたのは、裏切りへの謝罪のためだった。
……そんなのどうだって良かったのに!
先ほどの台詞とは真逆のことを思う。口に出した台詞を後悔する。
ややあって、朔はゆっくりと目を瞑ると、「俺は、死ぬんだ、な」小さく呟いた。
「そんなこと!」
憤るが長くは続かず、「……そんなこと、ない、よ」最後には小声になった。目が潤む。
朔は、毒の入った小さなボトルを震える手で掴んだ。
「中崎たちが、これを使って」
唇の端が震えている。
中崎祐子らBスポットのメンバーのうち数人が一度に死亡者リストに乗ったことがある。理由は分からないが、集団自決を図ったのか。
Bスポットにいたとき、朔は祐子と親しく話していた。
あのとき、彼はなんだか穏やかな顔をしていた。
この愛想なしが女の子とと意外に思ったし、朔は朔で大河にからかわれ照れくさそうな顔をしていた。
あの姿は嘘ではなかったはずだ。
確かに経歴は偽られていた。だけど、性質のすべてまでを欺いてくるほど、朔は器用ではない。あれらは偽りのない、彼自身の顔だ。
ごく普通の、15歳としての顔。
右手は負傷しており、満足に動かせないようだ。左手だけでボトルのふたを開け、朔は地面に中身を流した。
「え?」
行動の意味が分からず、戸惑う。
「すまない」
続く、朔の台詞。
再度の謝罪の意味もわからなかった。
「どういう意味……」
聞こうとするが、すでに朔の目は閉じられていた。
苦しげな吐息。
眉は寄り、額には脂汗が浮かんでいる。
抗生剤などの処方薬や治療を施せれば救える可能性もあるのだろうが、現実には朔の命をつなぎとめる手立てがあまりにも少なかった。
また、応急処置をどうしていいのか分からない。
朔が凪下南美に施していた処置を横で見ていたのに、実際にやろうとすると手と頭が止まる。
これが、逆だったら。
思う。
「逆だったら」
「え?」
唐突に口に出すと、凪下南美が怪訝な顔をした。
「朔と俺が逆だったら」
軍で学んだ朔には、医療の知識と技術がある。大河自身、プログラム中に水難し、朔の心肺蘇生で命を救われた。
逆だったら。
大河が倒れ、朔が付き添っていたのなら。朔ならば、状況を打破できたのかもしれない。
悔しくて、身体が震えた。
「俺って、なんにもできない」
涙が零れる。
このプログラムを通して、様々なことを学んだ。以前はできなかったことができるようになった。
だけど、まだ。
だけど、まだ足りない。
歯がゆさは伝わったのだろう、「中村……」震える大河の肩に南美が手を置いてくれる。
怒りなどぶつけなければ良かった。
続けて、思う。
これは、言葉にはできなかった。
朔が兵士だったことに憤慨し、離れてしまったから、自分は自暴自棄になってしまった。離れてしまったから、朔は無理をした。
憤怒を抑えるだけの理性、分別を持てなかったことが、悔しくてたまらなかった。悔恨の情が、大河の身体を震えさせる。
あのとき、今現在のように思えていたら。朔の事情を慮ることができていたら。
そうすれば、この場に違った形でいられたはずだ。
まだ未熟だったと言ってしまえば、それまでだが……。
ややあって、南美が夜空を仰いだ。
「雪だ……」
気づけば、雪になっていた。
暗い闇夜を彩るように、しんしんと降り続ける白。
冷え切った空気に切りつけられるようだ。
雪はその後も降り続け、鎖島を白く覆い、そして。そして、日が変わる頃、朔は静かに息を引き取った。
−滝口朔死亡 02/28−
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