OBR4 −ダンデライオン−  


084 2005年11月30日17時00分


<滝口朔>


 製材所から出、風雨に体をさらす。
 雨脚は弱かったが、身体は冷え、ぶるると胴震いをする。
 濃灰色の空に圧迫感を感じた。夜は近く、世界は光を失いつつある。 
 雑木林 に入ったところで足元がふらつき、下生えの低木の上に倒れた。支えた手のひらを枝葉がさしてくる。
 這うようにして前へ進み、土で汚れた岩に肩を預け、ずりずりと立ち上がった。
 ぐらり、視界が揺れた。

 自身の境遇を考えるとき、朔は鎖を思い浮かべる。
 反政府運動に身を投じた両親は死罪となったが、その側杖で朔は強制士官された。
 士官といっても実態は強制収容とそれほど変わらない。待っているのは、重労働と危険任務だ。いずれは身体を壊すか、命を失うか。
 両親の処刑が物心がつく前だったせいか、政府への恨みは感じない。
 ただ、運命の鎖は取り除きたかった。
 イメージする世界、牢獄の中、朔は鎖で全身を縛られている。身一つ、裸の肌に鎖が食い込む。
 プログラム任務を無事終えれば、強制士官履歴が抹消される。望めば、退役も許される。
 朔は、解呪された先の世界に光があると信じて、任務を受けた。
 
 駄目だ。こんなことをしては、駄目だ。
 任務を無事に終えるためには、鎖を解き放つには、光を得るためには、休むべきだ。傷を癒すべきだ。

 思考に反した脚の運びは止まらない。
 雨に濡れた藪をかきわけ、泥の浮いた斜面を登り、下る。
 時々立ち止まり……と言っても、もともとが遅々たる進みではあるのだが……探知機を確認する。
 大河を示す光は、こちらに向かって少し動いていた。
 名河内十太との激戦で立った銃声や、木材が崩れる轟音は彼のところまで届いただろう。
 様子を伺いに向かってきているのかもしれない。 
 
 やがて水の気配が強まり、細い渓流に出た。水の勢いは緩やかだった。水面を雨粒が打ち、小さな丸い環が舞っては消える。
 大河を示す光は、渓流の向こうだ。
 橋などかかっていないため、中を突っ切ることにする。
 水中の岩はコケに覆われていた。
 足を取られ、音を立て倒れる。そうでなくても雨に打たれた身体が、びしょ濡れになった。
 水は血で赤く染まり、流れていく。
 滲んだ赤色が流れからいつまでたっても消えないと思ったら、傷口が開いていた。血が水面に落ちている。

 疲労が困憊となった身体を鞭打ち、さらに進む。
 灌木に覆われた斜面。ごつごつとした岩を乗り越え進む、獣道。
 濡れ鼠の身体は、おこりを起こしたように震える。がちがちという、歯と歯が叩きあう音が止まらない。
 しかし、いつしか悪寒を実感できないようになっていた。
 目前の景色がぼやけ、すべてが滲んで見える。
 五感の喪失は、忌々しき事態だ。
 傷が熱を持っているからだろうか。単純に、疲労が目に来たからだろうか。
 そう考え、不安を払しょくする。 
 傷の痛みが薄れていることについては、気づかないふりをした。

 なぜ?
 自身に問う。
 俺は、なぜ、ここまでして大河に会おうとする?
 答えは見えない。

  
 唐突に、人の手が入った山道に出る。
 両側を雑木に囲まれた、くねくねと曲がる細い道だ。石や木の根で階段状に成形された道。踏み固められた地面。土肌は雨で水を含んでいる。
 ほっと息をついた瞬間、「朔!」遠くで声がした。
 すでに身構えるだけの体力は残っていなかった。呆れるほどに緩慢な動きで、向き直す。
 両側を木々に囲まれた上がりこう配の山道、その上に傘を差した誰かが立っている。
 オレンジ色のマウンテンジャケット。
 小柄だった身長がいくらか伸びたように見える。もともと長めだった茶の入った髪はさらに伸び、襟足を紐で結んでいるようだ。
 丸顔から膨らみが消え、シャープな印象に変わっている。
 目も鋭くなった。しかし、瞳の色は変わらず鳶色だ。
 ……立っていたのは中村大河だった。戸惑った様子だ。

 プログラム初日も、山道で大河に名前を呼ばれた。あのとき、彼はプログラム早々の邂逅を喜んでくれた。
 しかし今はこのありさまだ。
 二か月でこれほどまでに状況や関係が変わるとは。

 大河を視界にとらえることで、身体の力が抜けた。
 探知機が指先から零れおちる。
 そのあとを追って、崩れるようにして倒れこんだ。右腕を左手で支えた体勢を変えることができず、受け身を取れなかった。泥水が流れる山道、尖った小石に頬を切られる。

 大河が駆けよってくる。
 水たまりを踏み進む足音が次第に近くなり、やがて水音が止まった。
 仰向けの状態、首を動かすと、ほど近い距離に大河が履くスニーカーのつま先が見えた。
 正直なところ、彼に殺される可能性も覚悟していた。
 今でも銃やサバイバルナイフは所持しているに違いない。しかし、この距離になってもそれらを使ってくる気配はなかった。
「朔……」
 繰り返される呼名。
 怒声ではない。殺意も感じられない。ただ戸惑っている、そんな声色だった。
 朔の裏切りが露見した数週間前、憤怒を向けられた。
 その怒りの感情が、大河から消えている。この数週間の間に、彼にもきっと様々なことがあったのだ。その積み重ねが、何かを変えてくれた。

 中村大河に導かれた『普通の中学生』としての生活は、今となっては光り輝いて見える。
 ただ、プログラムを経て様々な経験を得、思うのは、有明中学校まででも望めばその生活はあったはずだということだ。
 朔がいた洛南孤児院は意図的に競争を煽っており、特殊な環境だった。
 通っていた小学校も政府の息が強くかかっていた。
 しかし、作ろうと思えば友人は作れたはずだ。士官学校ででも仲間は作れたはずだ。
 自ら閉ざしていた重い扉。それを開いてくれたのが、中村大河だった。
 普通の、中学生。普通の、学園生活。
 鈴木弦が恋い焦がれた世界だ。その投身を見たときは理解できなかった彼の憧憬は、いまとなっては朔自身の情念でもある。

 ……ああ、なんだ。なんだ、そうだったのか。
 泥水がたまった山道に、雨粒が薄茶の水環を作る。
 生まれては消える水の環を、仰向けの体勢のままぼんやりと眺め、朔は緩やかにほほ笑んだ。 
 なんだ、とっくに鎖は解けていたのか。俺は、光を得ていたのか。



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滝口朔
記録撮影のために潜入している兵士の一人。任務を成功による強制士官免除が望み。孤児院育ち。