OBR4 −ダンデライオン−  


083 2005年11月30日16時00分


<滝口朔>


 両膝を床についた体勢のまま、朔は左手の甲で吐いた血を拭う。苦く、錆を舐めたような味がした。
 遅れて、はっと飛び退く。
 撃たれたということは、サブマシンガンの照準に入っているということだ。
 しかし、追撃はなかった。
 木材の山の崩落に、名河内十太は呑まれたはずだ。先ほどの銃撃も、倒落した木材の隙間から行われた。
 そうこうしている内に、轟音を立て木材がさらに崩れた。
 製材所の敷地が再び埃で煙った。
 その煙が晴れないうちに、政府支給の腕時計が小さく振動する。
 視線を落とすと、画面に名河内十太の死亡情報が表示されていた。
 先ほどの倒壊で止めが刺されたのか、あるいはそれ以前に命が尽きたのか。
 何にしても、彼は死んだ。
 
 ふっと、重い息を吐き、無秩序に積み重なった木材の山へと近づく。
 土埃と血、火薬の匂いが、ない交ぜに漂う。
 新たな崩落を引き起こさないよう、慎重に材木をずらし、その隙間に懐中電灯の明かりを射しいれた。
 果たして、巨大な積み木の奥、暗がりに、十太の身体が見えた。
 胴体のほとんどが木材に押し潰され陰となっているが、首から上は見えた。ちょうどこちらを向いている。光を失った両眼は開かれたままだ。
 頭部に打撃を受けたのだろう、顔面の左半分が血に濡れていた。
 サブマシンガンは銃身がぐにゃりと曲がっており、やはり木材の下敷きになっていた。
 あれではもう誰も使うことができない。

 十太の口は閉じられていた。
 思えば、この戦いの間、彼とは一度も会話を交わしていない。多弁な彼らしからぬ最期だった。
 その命を閉ざした者として、死にざまを瞼に焼きつけておく必要がある。そう思った。
 彼に手を併せ、床に座り込む。
 身体が沈むような感覚。
 何か形のないものに呑み込まれ、深く深く沈んでいく。
 その底は、どす黒い血だまりになっていた。自身の血であり、これまで手にかけてきたクラスメイトの血だ。
 じわり、暗黒色が体内に浸みこんでくる。
 息苦しさを感じた。
 その理由について、幻想の血だまりに喘いでいるからか、それとも現実に呼吸器官を損ねてしまったのか判断が付かない。



 なぜだか、普段の学校のシーンが脳裏に浮かぶ。
 より自然な記録のため、兵士たち四人は事前に有明中学校に潜入していた。
 朔が転入生を装ったのは、今年の四月だ。
 他の三人は二学年中に転入していたが、孤児院でも士官学校でも人を寄せ付けず娯楽にも目を向けず過ごしてきた朔は、世間とのずれを修正する準備期間が長くなり、潜入時期が遅れてしまった。
 まぁ、修正しきれなかった部分も多く、結局自然にふるまうことはできなかったのだが。

 そんな朔のことを面白がってくれたのが、中村大河だった。
 彼がいなかったら、クラスで浮いてしまい、潜入どころではなかったに違いない。
  
 大河とはプログラムが始まって早々に合流し、行動を共にした。
 顔を見たときは正直にうれしかったが、構えたナイフをすぐには下げられなかった。
 あのとき結局同行することにしたのは、三カ月と言う長期間を一人で生き抜くのは難しいとの判断からだった。
 記録任務を遂行するには、一人で動くわけにもいかないという事情もあった。
 打算の合流。
 しかし、いつしか警戒心は解け、彼に信頼を置いていた。
 プログラム中、大河とは様々なことがあった。
 崎本透留の亡骸を理知的に処理したときは食ってかかられたし、間刈晃次に襲われ返り討ちにしたときは鬱積した気持ちをぶつけられたものだ。
 しかし、鈴木弦の投身を目撃し、水嶋望を看取り、Bスポットの仮そめの平和を目の当たりにし、朔は次第に変わっていった。
 水難した大河を命をかけて救ったこともあった。
 逆に、大河に命を救われたこともあった。
 一緒にすいとんや魚を食べた。好みのタイプを聞かれ、的外れな返事をしてしまい大笑いされた。中崎祐子と親しく話していたら、からかわれた……。

 いま、中村大河の姿はない。
 数週間前、十太に朔が兵士であることをばらされた。よほどショックだったのだろう、大河は憤り、烈火をぶつけ、立ち去って行った。
 彼の怒りはもっともだ。
 恨まれて当然だ。
 
 ここで、「謝ればいい」死んだ中崎祐子の声がしたような気がした。「中村くんと何があったか知んないけどさ、ちゃんと事情を話して、分かってくれるまで謝ればきっと。きっと、許してくれるよ。それが、正しいニンゲンカンケイ」
 これが、力となった。
「……謝ってない」
 血の気を失った唇から、零れる言葉。
「俺は、まだ」
 ……大河はきっと許してはくれない。それだけのことを俺はした。
 そうも思う。
 彼の怒りを思えば、謝罪など無意味なのかもしれない。
 ……だけど。だけど、俺はまだ。「謝っていない」
 最後のフレーズは口に出す。
 潮が引くように、幻想の血だまりが引いて行ったような気がした。
 身体が少し軽く感じる。
 しかし、立ち上がりったところで、彼から受けた罵声が心の中でよみがえり、朔は肩を落とす。
 大河のあんな顔や声はもう見たくなかった。
 決意が鈍る。一度は離れた黒色が戻ってくる。

 プログラムが始まった当初は、冷静でいられた。理知的な判断を、平然と下せた。決めたことを迷いなくこなせた。だけど今は、躊躇している。
 ……いつの間に俺はこんなに弱くなったのだろう。
 いや、と首を振る。
 元々が強かったわけではない。揺れることなく過ごせたのは、人として未熟だったからだ。何か一つだけを考えていればよかったからだ。
 平面だった精神はプログラムを経て多面体となり、逡巡が生まれていた。

 迷う、迷う。
 次ぎの一歩がなかなか踏み出せない。
 また、踏み出さないほうが身のためだという判断もあった。
 一応の応急処置は行ったが、傷は深い。今は無理をせず、身体を癒し、休めるべきだ。

 しかし結局、ディバッグから探知機を取り出していた。
 手のひらサイズのメタリックなフォルム。その大部分を液晶画面が占める。Cスポットで手に入れたもので、指定した選手の居場所が表示される。
 設定は一度きりで変更がきかない。また、探索可能範囲は最大で1キロほどしかない。使いどころが難しく、未使用だった。
 使うならば、今しかない。
 物資スポットは一つしか残っていない。
 大河がCスポットがあるこの丘のどこかにいる可能性は高かった。
 探知機に大河の出席番号を入力する。
 果たして、画面の中ほどに赤い光が点滅した。
 ここから直線で100メートルほどだ。地面が起伏した雑木林を進む道中を思えば、決して近い距離ではない。
 やはり、治癒と体力回復を待つべきだ。
 雨も降っている。濡れればさらに英気がそぎ落とされることになる。
 幸いここは屋根がある。
 先ほど入った事務所ならば、風も避けられる。身体を休めるには絶好のロケーションだった。

 ……さぁ、事務所へ向かい、ディバッグを置き、救急処置を続けよう。
 かつては得意としていた理知的で合理的な思考。

 だが思考に反し、朔の脚は製材所の外へと向かっていた。
 それぞれ止血は施したが、右腕、左脚、左わき腹に銃撃を受けている。右腕を左手でおさえ、左脚を擦るようにして進む。
 身体が重く、深海を歩くかのようだった。



−名河内十太死亡 03/28−


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滝口朔
記録撮影のために潜入している兵士の一人。任務を成功による強制士官免除が望み。孤児院育ち。