OBR4 −ダンデライオン−  


076 2005年11月26日12時00分


<中村大河>


 大河も負けてはいなかった。
 ヒロの顔を両手でつかむと、一度軽く上体を起こす。そして勢いそのまま、頭から突っ込んだ。
 顔面に頭突きを食らった格好になったヒロが、声を上げた。鼻から赤い血がこぼれる。その双眸がぎゅっと閉じられた隙を大河は見逃さなかった。
 サバイバルナイフを拾い、叩きつけるようにして刺す。
 どこかを狙う余裕などなかったが、結果として右胸を刺す形となった。
 刃先がジャケットやその中に来ている上着を突き抜け、肉を切る感触が手のひらに届く。そのまま刃は進み、肋骨で止まった。
 さらに一撃と振り上げた手を掴まれる。
 押し上げられるが、上乗りになった大河のほうが有利だった。ナイフを両手で握り、全体重をかける。
 せめぎ合いは長くは続かず、刃先が再びヒロの皮膚に届いた。今度は体心よりやや左寄り。おそらく心臓を貫ける位置だ。

 もうひと押しと体重をかけようとしたら、「十太がッ」ヒロが叫んだ。
「十太が、謝りたいって言ってタッ」
 さらに続けてくる。
「え?」
「悪いことをしたナって言ってタ。滝口クンが兵士だってばらしたことヲ、後悔してタッ」
 唾を吐くようにして言う。
 ヒロにしては余裕が見えない、息せき切った台詞だった。 
「今更、何言ってん、だ」
 苛立ちを込める。
 朔の秘密を暴露したのは彼だ。謝るなら始めからしなければよかったのだ。今更いい人ぶられても遅い。しかし、視界の滲みを止めることができない。涙が頬を伝った。
 重苦しい何かが取り除かれた感覚。
 ヒロの表情がふっと緩んだ。いつもと同じ、飄々とした雰囲気に戻る。
「……滝口クンもサ、辛かったと思うヨ」
 遅れて、ヒロがごぼりと血を吐く。
 大河の腕をつかんでいた手の力が抜け、ナイフが華奢な痩躯に沈んだ。



 数分後、大河は地面に尻をつき座り込んでいた。ぜいぜいと息を上げる。部活で鍛えられ、体力はあるほうだが、さすがにハードだった。
 視線を落とすと、血の海の中、ヒロが仰向けに倒れ目を見開いている。瞳孔が急速に拡大していく。
 脈を取るが何の反応もない。呼吸も止まったようだ。
 彼の命を奪ったのだと分かった。
 呼吸を整え、ふらりと立ち上がる。
 切られた胸元の傷が痛み、顔をしかめる。幸い、傷は浅かった。
 碓氷ヒロの死亡は確認した。だがもう一つ。大河にはもう一つ、確認しておかなければならないことがあった。
 杉林を抜け、先ほどの広場へと戻る。

 広場には、ヒロが腰かけていた丸太とドーム型の小型テントだけが残されていた。
 テントの入り口は、巻き上げ式のロールスクリーンになっている。
 降りていたスクリーンを捲り上げる。
 大河の目が見開かれた。ややあって、「ああ……」大きく息を吐く。
 立ち回りの最中、大河は微かな違和感を持っていた。
 その正体を、得る。
 テントの中、膝を抱えるようにして座っていたのは徳山愛梨 だった。瞳はうつろで、大河が現れたことも認識できていないようだ。
 ぼんやりと宙を見つめている。
 名河内十太の姿はなかった。食料を集めに行っているという話は本当なのだろう。

 ……碓氷ヒロは、逃げ出したのではなかった。
 急襲者の注意をひきつけようとしたのだ。
 彼の駆け足がスムーズでなかったのも、意図的なものだったのかもしれない。
 逃げ切ってしまっては、注意をひきつけた意味がなくなる。 
「なんなんだ」
 天を仰ぐ。
「なん、なんだよ」
 口調を強め、同じ台詞を繰り返す。
「お前は、プログラムに乗ってたんじゃないの、かよ」
 藪の向こう、杉林に横たわっているであろう碓氷ヒロに恨みごとを投げる。
「謝るのなら、秘密をばらさなければよかったのに。辛かったのなら、打ち明けてくれればよかった、のに」
 ここにはいない十太と朔にも投げる。
「これじゃ、俺だけ、ワルモノじゃ、ないか」
 脚の力が抜け、地面に両膝をつく。

 やがて、テントの脇に何か小さなものが落ちていることに気づく。
 大河のM360Dだった。
 こんな所に落としたのかと拾い上げる。
 ゆらりと右手をのばし、銃口を徳山愛梨に向けた。小型の回転式拳銃。そのグリップを握り、トリガーに指先をかける。
「……だけ、なのに」
 生きたいだけ、なのに。俺は、生きたいだけなのに。
 手が震える。
 だけどこの距離だ。どこかしらには命中するだろう。一撃で死ななければ、何度か撃ち込めばいい。

 ふと「……滝口クンもサ、辛かったと思うヨ」死に際のヒロの言葉が思い出された。
 かっと胸が熱くなる。
 目を吊り上げ、「そんなのっ」声を荒げた。
「そんなの、分かってるよ!」
 怒声を地面に叩きつける。
 大河は、滝口朔という少年をよく知っている。プログラム以前の姿も、プログラムを経て変わっていった姿もよく知っている。
 彼が自分を殺しになどやってくるわけがないのだ。
 確かに朔は兵士であることを隠していた。大河は裏切られていた。それは事実だ。だけど、性質は有りのままの姿だったはずだ。
 朔は芸能やスポーツ、流行りの音楽などに異常に疎かった。
 対象校への潜入の際、わざわざ時流に乗れないように振舞う必要性が、特異な目で見られるように振舞う必要性がどこにあるのか。
 彼は装わず……正確には装えず、というところだろうが……大河に接してきていたということだ。
 きっと、特殊な環境で生まれ育ったのだ。そして、世間ずれしてしまった。
 その生活は、決して幸せなものではなかったのだろう。

 分かっていた。頭のどこかで分かっていたが、大河はプログラムの現実に変えられ、裏切られたという思いに叩きのめされ、自暴自棄になっていた。
 分かってはいたが、疑心と恐怖に煮崩れていく自分を止めることができなかった。
 結局のところ、死にたくなかった。
 だから、矢崎ひろ美を殴りつけ、碓氷ヒロを刺し、そしていま徳山愛梨に銃を向けている。
 顎を引き、左手を震える右手に添える。

 皮膚感覚が鋭敏になり、空気の流れすら感じていた。聴覚が冴えわたり、杉林の向こうで飛び立つ鳥の羽音が聞こえた。先ほどの烏だろうか。
 風が吹き、杉の木が揺れた。
 葉と葉が擦り合い、ざわざわと音が鳴る。枝葉の間から、太陽の光が薄っすらと落ちている。

 
 ここで銃の向き先がすっと動いた。

 緩慢に動いた銃口は、自身のこめかみにあてられた。ひやりとした感覚が走る。
 目を細める。息を一度軽く吸う。
「なん、なんだ。……なんなんだ、よ」
 先ほど碓氷ヒロに向けた台詞を再度呟き、大河は目を閉じた。作られた暗闇の中、先ほど清水に映した自分の顔が浮かぶ。幻想の瞳は開かれていたが、黒くうつろだった。 
 手の震えはいつしか止まっていた。
 そして。
 トリガーを引く。
 重い反動とともに、耳をつんざく撃発音。火薬のにおいがあたりに散った。

 弾丸は……テントの上部を撃ち抜いていた。
 引き金に力を込めた瞬間、誰かに右手をつかまれ、捻じり上げられたのだ。
 ばっと振り返り、その誰かを見る。
 丸顔に頭の丸い鼻、くりくりとした愛らしかった瞳には鋭い光が宿っていた。茶色に染められていた髪は黒く染めなおされている。
 表情は険しく、かつての可憐なイメージはなかった。
「なぎ、した?」
 そうそれは、凪下南美だった。
 大河は彼女に腕を掴まれていた。 



−碓氷ヒロ死亡 07/28−


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中村大河
陸上部のエース。人懐っこい性格。朔と親しくしていたが、朔が兵士であったことを知り憤慨。プログラムを経て変わり、クラスメイトにも手をかけた。