OBR4 −ダンデライオン−  


075 2005年11月26日12時00分


<中村大河>


 中村大河
の目の前には林が広がっていた。
 鬱蒼とした、奥行きの深い杉林だ。それぞれが直立し、天を突いてる。
 上を向いた枝を覆う針状の葉は厚く重っている。太陽の光をさえぎっており、昼間だというのにうす暗い。
 Cスポットがある丘のふもと近く。杉林の中に大河はいた。マウンテンジャケットに厚手のナイロンパンツという姿。ディバッグを背負っている。

 視線を下げると、湧き水があった。
 岩と岩の間から流れ出、平たい岩の上、窪みにごく小さな池を作っている。
 軽く頭を振り、水面に顔を映す。
 ……酷い顔をしていた。
 そして、人殺しの顔だ、と思った。
 肌は浅黒く、頬はこけ、眼窩は落ちくぼんでいる。唇は渇き、割れていた。痩せたせいか、丸みを帯びていた顔の輪郭が少しシャープに見える。
 そして、右のこめかみには殴られた痕。
 十日ほど前、矢崎ひろ美を殺した。その時に反撃にあい、負った傷だ。
 握っていたリボルバー銃、M360Dを岩の上に置き、清水を両手ですくい顔を洗うと、少しすっきりした。
 
 と、背後で何か物音がし、大河はばっと振り返った。とっさに銃をつかみ、構える。
 しかし目前にいたのはただの烏だった。
 苔むした岩の上にとまり、黒く濡れた羽根を休ませている。
 大きく息を吐き、緊張を解く。
 ……朔かと思った。
 呼吸を小さく刻み、乱れた心拍を整える。
 滝口朔。ほんの数週間前まで友人だと思っていた者の名だ。
 名河内十太から朔が兵士だったと告げられた今、抱いていた友情は泡と消えていた。その代わりに、大河の心を冷やしているのは……畏怖。
 イメージするのは、銃を手に忍び寄る朔の姿だ。学制服ではなく、軍服に身を包んだ姿。それは、大河の命をつけ狙う姿でもあった。
 朔は探知機をCスポットで獲得している。指定した生徒の居場所が表示される携帯ツールだ。
 正体を掴まれた朔が、いずれ、秘密を守るために自分を殺しにやってくる。
 いつの頃から生まれた思考が、大河を追いつめていた。
 
 朔はそんな奴じゃない。そんな風にも考える。
 しかし、俺が知っている朔は、本当の姿なんだろうか? 疑念を捨てることができない。
 実は兵士であるという裏の顔があったのだ。性質すらも装っていた可能性はある。
 ……そんなことは、ない。朔は朔だ。俺の知っている朔がホントの姿なんだ。
「でも、違ったら?」
 疑心を口に出す。悪寒がした。背筋に氷をあてられたような感覚。
 ……違ったら、俺は殺される。
 ならば、することは決まっている。
「やられる前、に」乾いた唇をぺろりと舐め、歩き始める。銃は手に持ったままだ。
 やられる前に、やらなくては。
 生への執着は、殺意に結びつき、矢崎ひろ美を殴り殺すに至った。
 プログラムの終了期限まで、残り一ヶ月以上ある。
 とてもじゃないが、身体と心が持つとは思えなかった。一刻も早く、もう一つの優勝条件である『最後の一人になる』を満たさなければならない。

 ここまで考えて、大河はふと顔を上げた。
「碓氷は……まだ?」
 疑問形の思考。
 開始当初からずっと碓氷ヒロがこの殺人ゲームに乗っていたのは確実だ。
 彼はまだ殺し手なのだろうか。彼はまだ最後の一人になろうとしているのだろうか。
 分からなかった。
 最近になって彼は、気が触れてしまった徳山愛梨を保護している。それまでとは真逆の行為。
 長期にわたるプログラムの中、改心が彼に訪れたのか。それとも単純に気が変わったのか。
 大河はなんとなくだが、後者のような気がしていた。
 ヒロとはそれなりに親しくしていた。
 気ままで気まぐれな彼のこと、事の善悪とは違う部分で心変わりがあったとしても不思議ではない。
 

 唐突に杉林が開いた。直径10メートルほどの円形に切り取られた広場。
 簡易テントの前、誰かが丸太に腰かけている。
 華奢な中背。くりくりとよく動く瞳、ぽってりと厚い唇に、つるりとした白い肌。決して整っているわけではないが、愛嬌のある可愛らしい顔立ちだ。マウンテンジャケットを羽織っている。
 碓氷ヒロだった。
「中村じゃン」
 地面に一度手をついた後、立ち上がり、にっと笑う。
 あまりにごく普通に接してくるため、一瞬プログラムであることを忘れそうになる。

「あれ、背が伸びタ?」
 ヒロが小首を傾げた。
 言われて気づく。地面は平らなのに、以前はあったヒロとの身長差を感じない。
 彼が言うとおり、背が伸びたのだろう。
 ここ数週間一人でいたため、気づいていなかったのだ。
「なんカ、顔もオトナな感じになったネ」
 感想を述べ、ヒロが痩躯を少し動かした。
 斜めに向き合う形になり、彼の左腕が見えなくなった。
「大人?」
 ここで初めて大河は台詞を吐き、「そう、俺は大人になったんだ」続けた。
 プログラムが始まった当初は青臭い理想論を振りかざすだけの子どもだった。理知的に動きクラスメイトの死を軽んじる朔に憤り、罵ったこともあったぐらいだ。
 しかし今はプログラムの現実を知り、変わった。
 ……それは、大人になったということだ。俺は大人になった。
 そう、思った。

 ヒロは、名河内十太や徳山愛梨と行動を共にしていたはずだ(瀬戸晦が合流したことを大河は知らなかった)。
「名河内と徳山は?」
 訊くと「今、食料を集めに行ってル」答えが返ってきた。
 そして、ヒロがまた少し身体を動かし、杉林との境目にある藪に足を踏み入れる。下生えを踏むがさりという音が辺りに響いた。
 次にその瞳が動き、大河の右手が握るM360Dに視線が移る。
 ヒロが呼吸を整えているのが分かった。

 大河は、彼が逃げ出す準備をしているのだと思っていた。ヒロが駆けだせばその背に向けて銃を撃つ。そのつもりだった。
 大河はすっかり容貌が変わってしまっており、かつての健全な雰囲気など微塵もなくなっている。
 殺意も濃厚に滲み出ているはずだ。
 ヒロに襲撃を予期されていても不思議ではない。
 しかし、息を短く切った後の彼の行動は、前進だった。
 数歩間合いを詰め、隠れていた左腕がサイドスローを決める。
 その手から丸い小さな物体……手のひら大の石だった……が投げ出され、大河の右肩に被弾した。衝撃に腕は跳ね上がり、M360Dを手放してしまう。
 銃は弧を描き、どこかに行ってしまった。
 同時、ヒロが踵を返し、駆けだす。
 銃を探している暇はない。ズボンのベルトで挟み止めていたサバイバルナイフを抜きとり、彼の後を追い、杉林の中へ入る。
 ヒロは地面に一度手を置いてから立ち上がっていた。
 あのときに石を握りしめたのだと、知れる。

 大河は陸上部の短距離エースだ。また、ヒロの駆け足はもつれ、たいしたスピードも出ていなかったため、すぐに追いつくことができた。
 後ろから抱きつくようにして、飛びかかる。
 もみ合い、地面に二人して倒れこんだ。
 仰向けの体勢になったヒロに馬乗りになり、両手でナイフを振りおろす。
 狙いは腹部だ。狙い通りの場所に刺さることはないだろうが、身体の中心を狙えば外すことはないだろう。
 と、ヒロの左手が左から右へ勢いよく振られた。
 同時、胸元がかっと熱くなった。
 ぼとぼとと血が落ち、ヒロの身体を汚す。
 視線を移すと、ヒロの左手にもサバイバルナイフが握られていた。その刃が赤く濡れている。胸のあたりを切られてしまった。
 今度は右から左に振られ、ナイフの刃と刃がぶつかった。
 それぞれの手からナイフが離れ、地面に落ちる。



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中村大河
陸上部のエース。人懐っこい性格。朔と親しくしていたが、朔が兵士であったことを知り憤慨。プログラムを経て変わり、クラスメイトにも手をかけた。