<名河内十太>
定期放送で西塔紅実の死を知り、名河内十太
は闇夜に深く息をついた。
オーバーオールに厚手のトレーナー、そのうえからマウンテンジャケットを羽織っている。
切れ上がった瞳に、通った鼻梁、浅黒い肌。短かった黒髪は約二カ月の間に伸び、今は自然に前に下ろしていた。
誰がいつ死んでもおかしくないプログラム。常に刺激を求め、人とは少しずれた感覚の持ち主の十太だが、遠縁で幼馴染の彼女の安否だけは常に案じてきた。
その死はやはり悲しいが、死そのものよりも、紅実が彼女らしく死ねたかどうかが気にかかった。
自己責任。彼女が好んで使っていたフレーズだ。
彼女は彼女らしく、前を向いたまま死ねたのだろうか。
Cスポットがある丘のふもとに近い杉林。高いもので30メートルはあるだろうか、細長い幹が直立して並んでいる。褐色の樹皮が縦に割れ、ところどころで帯状に剥げ落ちていた。
現在は廃れてしまっているが、鎖島は林業の島だったらしい。
この杉林も人工林なのかもしれない。Cスポット近くにも製材所跡があった。
林道から少し林に入ったところにぽっかりと口を開けた空間。
そこに簡易テントを張り、十太たちはキャンプ地としていた。
いまは十太がたき火の番だ。
火の赤が、暗闇を明るく切り取っている。
切株に腰かけ、夜空を見上げる。そのそばには立ち上がり、ふらふらと身体を揺らしている徳山愛梨
。その目はうつろだ。
すっかり気がふれてしまっており、保護した当初は奇声を上げる、引っ掻いてくるなどの振舞いも目立った。
時が流れるうちに彼女の状態にも変化が生じ、現在は時折放心が見られるようになっていた。
このまま落ち着いてくれれば助かるんだけどな……。
彼女につけられた腕の傷をさすりながら、十太は火に薪をくべる。
と、ごそごそと音がし、簡易テントから碓氷ヒロ
が出てきた。
中背の華奢な痩躯を震わせ、マウンテンジャケットに袖を通している。
そして、「寒いネ」語尾にアクセントを置く独特の話し方で言う。
テントの中には、瀬戸晦
が残っている。
晦とは少し前に合流した。
十太たちが、彼や滝口朔が兵士だと考えていることは、明かしていない。
それぞれ偽った状態での合流。
当然のことながら、十太には緊張感もあった。
しかし、ヒロは以前と変わらず晦と接している。プログラム前、普段の学校でヒロは瀬戸晦と親しくしていた。わだかまりはないのだろうか。
のどが渇いたのか、ペットボトルに汲んでおいた清水を飲みはじめる。
くりくりとよく動く瞳、ぽってりと厚い唇。つるりとした白い肌。決して整っているわけではないが、愛嬌のある可愛らしい顔立ちだ。
ヒロの傍には、錆ついたサーベルが横倒しになっている。
最初に殺した崎本透留から彼が奪い、その後も十太を含めた多くのクラスメイトを傷つけてきた刀だが、ろくに手入れもしなかったため、すっかり切れ味が落ちていた。
水を飲み終わるのを待ち、「紅実が死んだ、な」話しかける。
「そうだネ」
彼と紅実は交際していた。
「そういやさ、あいつのどこがよかったんだ? あんな可愛げのない女」
紅実と十太が遠縁で、何でも言い合える仲だったことは、ヒロもよく知っている。
辛口の品評が親しみからくることは分かっているのだろう、特に気を悪くする様子もなく、「可愛いじゃン、彼女」返してきた。
「悲しいんだ?」
訊く。
「悲しいんダ」同じフレーズを言い方を少し変えて返してくる。
およそ変わり者の彼だが、さすがに感じるものはあるのだろう、目を伏せ、暗い表情になった。その様がなまくらになったサーベルと被って見える。
また、佇まいに何か儚いものを感じ、十太は小さく息をのんだ。
ややって、十太は苦笑いを浮かべた。
凶刃を置き、悲しみ暮れるヒロに、どこか歯がゆさを感じている自分に気が付いたからだ。
「人はもっとクロになるべきだと思う、よ」
知らず、口にしていた。
「水嶋サンにもそんなこと言ってたネ」
クロは西塔紅実が飼っていた黒猫だ。
幼少時代、彼女はクロとハムスターとの同居を試みようとした。そして、今となっては当然のことながら、クロがハムスターを捕るという結果になった。この小さな事件は紅実に相当の影響を与えたのだろう、それ以来彼女は『自己責任』というフレーズをよく使うようになった。
ハムスターは十太のペットだった。
この話を水嶋望にした際、当時の気持ちをヒロに訊かれ、『俺は、クロに、旨かったかい? って訊いたよ。ハムは可哀相だったけど、猫はそういう生き物だもの。仕方ないじゃん』と答えたものだ(45話)。
この気持ちは、ハムスターを失った当時から変わらない。
紅実は自らの行動に責を持つことを、十太は自然のあり方を心に刻んだということだろう。
「俺は、人はもっとクロになるべきだと思う。そのほうが刺激的だしね」
詰まる所、ヒロにはクロであって欲しかった。
およそ倫理から外れている思考であることは分かっていたが、それが名河内十太であるならば、それも仕方のないことだ。
ヒロは、何も答えてこない。
「……お前にやってみたらって言ったのって、誰なんだ?」違う質問を投げてみた。
誰かにそう言われ、プログラムに乗ったそうだ。
そして、自身が操り人形のようで嫌だとも言っていた。
前にも訊いたが、答えてくれはしなかった問い。しかし今度は回答を得た。
「瀬戸、だヨ」
静かに名を告げてくる。
……瀬戸晦がヒロの背を押したのか。
彼が兵士だと予測した今、特に意外は感じなかった。
この長期プログラムの優勝事件は二つ、最後の一人になるか、三カ月生き延びるかだ。みなが不戦になってしまってはプログラムの意味がない。
掻きまわし役が必要だろう。
そしてその役にはヒロは適任だった。
晦は普段からヒロと親しくしていた。その友情はおそらく偽りだ。
ヒロの本性を掴み、近づいていたのだ。
「プログラムが始まってすグ、Aスポットであいつに会ってサ。そんときに言われたんダ」苛立ちが見えた。
これまでの行動が自分の意思でないようで、悔しいのだろう。
ふと思い立ち、ヒロの携帯音楽プレイヤーを手に持った。
暇に任せて時折聞かせてもらっており、吹奏楽部でクラッシク音楽に造詣の深いヒロからレクチャーも受けている。
そのせいで、いつの間にか十太もクラシック音楽に詳しくなっていた。
クラシックジャンルのプレイリストから一曲を、外部スピーカーで流し始める。
ピアノ曲。高音域を中心とした、爽やかで軽快なメロディ。きらきらと光を反射する水滴のイメージが音に乗って染み入ってくる。
「……ラヴェルの、水の戯れダネ。それがどしたノ?」
「碓氷ヒロのイメージソング。音の感じもだけどさ、タイトルがまさにお前だ。この曲、俺的には、お前のイメージだよ。自由なイメージが、お前に被る」
「……じ、ゆウ」
華奢な彼が、何か大切なもののように、復唱する。
実はこの曲は、ヒロが十太を襲ったときにかけていた曲だった。
彼の中では、十太のイメージということだ。
ヒロが瀬戸晦に背中を押されたのは事実だろう。
だけど、それだけではない。
この気まぐれで気ままな少年が、誰かに指繰られて動くわけがないのだ。
詰まるところ、崎本透留や柳早弥を殺したのも、間刈晃司を傷つけたのも、十太を斬りつけて来たのも、全てヒロの意思だ。
そして、徳山愛梨を保護したのも。
瀬戸晦はプログラムの掻きまわし役としてヒロを選んだ。その晦が、気の触れたクラスメイトを救わそうとするだろうか。
愛梨がいた洞穴は、ヒロが連れだしてすぐに禁止エリアに設定されている。
十太にしてみれば、命の恩人として礼の一つでも言ってほしいところだが、彼女は爪を立ててくるだけだ。
彼女の世話を主にしているヒロの身体には生傷が絶えない。恩を仇を返すとはこのことだが、彼はまったく気にしていないようだ。
ヒロと徳山愛梨の間には、過去何もなかったはずだ。
話したこともほとんどないと言ってた。
また、彼はそれまで積極的にゲームに乗り、クラスメイトを手にかけてきていた。
そのヒロが愛梨を助けると言ったときは驚いたが、気まぐれな彼らしいとも感じた。
やがてヒロが顔を上げ、「ボクは水なんだってヨ、徳山」愛梨に声をかける。
その声色は優しかった。
「ほんト、感謝しろよナ。ボクたちだから、無事でいられるんダゾ」
恩を着せるというよりは、自由だと言われた照れくささを誤魔化す感じだ。
答えを求めている風でもない。
実際のところ、拾ったのがヒロだから彼女が無事でいられるというのは、事の正鵠ではある。
これが乱暴な男子生徒だったら、彼女の性は守られなかったに違いない。
その点、ヒロは紳士的だ。
何せこの状態なので、身体を拭くなど介護が必要だが、その際も極力彼女の肌を見ないよう気をつけている。世話をしてやってるんだから……などといった下種な考えとは程遠い位置に彼はいるようだ。
それがまた、澱みない水のイメージに繋がる。
ヒロは多くのクラスメイトを傷つけ、殺害している。
彼彼女らの無念を思えば、こんな風に感じてしまうのは間違いだと承知しているのだが、彼の毒はやはり涼やかで、嫌悪感を抱けない。
ヒロは紅実と交際していた。
もしかしたら、彼女に誠実でいようとしてくれているのかもしれない。
それは、紅実と幼馴染である十太にとっては、ありがたい心情でもあった。
しかしここで、十太は軽く目を伏せる。
……ヒロは、気づいているのかな。
自由だと考えることは、逃げ道を自ら封鎖するということだ。
誰かに操られてプログラムに乗ったと考えているうちは、言い訳がつく。
人殺しは自らの意思ではないと、自分を誤魔化すことが出来る。
だけど、もう言い逃れはできない。
自由と責任は二つで一組なのだ。
これは、十太自身への戒めでもあった。
……水嶋望を殺したことに逃げ口を見つけてはいけない。
しかし、そう考えることで、何かが晴れたような気がした。
彼女を殺した後、なんでもない風を装いながらも、何かずっと、わだかまりの様なものを感じていた。心の空に張った、もやもやとした灰色の雲。
いつの間にか、その雲が風に流され、晴れ間が見えている。
気まぐれに、時々の気持ちに正直に生き、その決定に言い訳を作らない。それが、水と言うものだろう。
そしてこれは、西塔紅実が好んだ生き方でもある。
「ジコセキニン」
小さく呟いてみたら、ちょうどヒロが同じ台詞を吐いたところだった。
−08/28−
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