OBR4 −ダンデライオン−  


073 2005年11月17日08時00分


<凪下南美>

 
 西塔紅実の右のわき腹から血があふれ出ていた。
 厚いマウンテンジャケットの生地を超え、赤い液体が滲み出ている。
 一瞬の沈黙の後、紅美が横倒しに倒れる。
 痛いのだろう。うめき声をあげる。しかし、右手は宙に差し出されている。その手が握っているのは、彼女の銃だ。 
 彼女からM360Dをもぎ取り、銃口をさくらに向ける。
「ひっ」
 先ほどの勢いはどこへ行ったのか、さくらが恐怖に顔をゆがめ、後ずさる。
 両手で銃を構え、グリップに力を込める。しかし、命中しない。
 歩を進め、さらに一発。やはり、命中しない。
 結局、ほとんど押しつけるようにして発射した三発目が、さくらの額に命中した。白目をむき、額から血を噴きあげながら仰向けにどうと倒れる。
 返り血を浴びた。辺りに消炎と血の匂いが充満しはじめる。

 被った血がぬめって気味が悪いが、今は西塔紅実だ。紅実を抱きあげ、「西塔!」もう一度彼女の名を呼ぶ。
 彼女にかばわれたのだと思い知る。
 状況から見て、さくらに狙われていたのは南美だった。
 紅実は、南美を助けようとしてくれたのだ。

 やがて、閉じられていた瞼が、震え、開く。息が荒い。
「凪下……」
「血がっ」
 周囲に赤黒い血の池が広がり始めていた。
 いったいどれだけの血液が失われたのか。
 南美に医学の知識は乏しかったが、致命傷であることは分かった。
「よくやった」
 わざとだろう、顎先をあげ、不遜な台詞をはいてくる。ついで、にやりと皮肉めいた笑みを浮かべてきた。
 視線は、仰向けに天を仰いでいる塩澤さくらに向けられている。
 彼女はピクリとも動かない。額を撃ち抜かれたのだ。即死だったろう。
「よく、やった」
 もう一度言い、「私は、覚悟したんだ」続けてきた。
「え?」
「覚悟して、凪下と、合流したんだ。自己責任。だから、あんたが気に病む必要は、ない」 
 似たような台詞を、少し前に聞かされたことを思い出す。

 まずは、自身が塩澤さくらに恨まれていたという簡単な事実を認識する。
 数週間前、南美は崖から落ちかけていたさくらを救わなかった。
 あのとき塩澤さくらにあてた、『自己責任』『自分で何とかしなよ』『崖の途中に茂みもあるし、うまく引っ掛かれば助かるんじゃない?』数々の台詞は、すべて紅美をイメージして発したものだ。
 彼女ならばこういうだろうと思いながら、言葉にした。
 また、自分も西塔紅実のステージにあがれたと感じたものだ。
 結局、さくらは崖から落ちたが、死には至らなかった。
 そして、そのあと現れた紅実は南美との合流を求めてくれた。
 彼女は、南美のことを認めてくれたようだった。悲惨な状況下、誰かに認められるという感覚を持てるということは、単純にありがたかった。
 あのとき、いい気分だった。
 だからかもしれない。
 南美は、さくらとのやり取りを軽く捉えていた。また、サバイバル生活に没頭するあまり、プログラムが人と人との戦い、感情のぶつかり合いであることも失念していた。

 人を見捨てれば、恨まれる。
 簡単な帰結だ。

 西塔紅実は分かっていた。南美が塩澤さくらに恨まれていると知っていた。南美が非常に危険な状態にあることを把握していた。
 だけど、合流を求めてくれた。
 覚悟。紅実は、人を殺した時よりももっと覚悟が必要な事柄があったと言っていた。
 その覚悟をしたのが、自分との合流時だったのだと理解する。
「なら……なら、どうして?」
 どうして、こんなにも愚かな自分と合流してくれたのか。どうして、一緒に行動してくれたのか。どうして、命をかけて助けてくれたのか。
「どうして?」
 訊き返された。
 そのあと、はにかむような、気恥ずかしそうな笑みが続く。
 およそ、紅実らしからぬ表情だった。

 そして、新たな可能性に気づく。
「考えなかったの? 私がまだあなたを恨んでると考えなかったの?」
 きのこの毒にあたったとき。南美は、危険性を把握していたのに警告してくれなかった彼女を非難し、罵声を浴びせた。
 その後のプログラムを経験することで復讐心は消えたが、そんなことは彼女は知らなかったはずだ。
「考え、た。だけど……」
 急激に、彼女の話しぶりが弱弱しくなってきた。
「だけど?」
「だけど、それ、も」
「ジコセキニン、か」
「……そう」
 恐怖からではなく、彼女の覚悟に対し、身体が震えた。
「どうして? 何が西塔を……」
 変えたのか。
 紅実は個人主義だった。プログラムまでの彼女、プログラムが始まった当初の彼女ならば、こんな選択はしなかったはずだ。
 理知的に、安全を優先したはずだ。内憂など抱えなかったはずだ。何が彼女を変えたのか。
 これに紅実は答えてくれた。
「ずっと、中村ラジオを……聞いてたから、かな」
 茶化すように言う。
 中村ラジオとは、受信機のことだ。
 もとは麻山ひじりがAスポットの初回物資解放で獲得していたもので、彼女は好意を抱いていた中村大河に設定していた。
 設定した生徒の音声を盗聴することができる解放物資で、ターゲット変更は不可。
 紅実は早々にこれを入手していたので、プログラムのほとんどを中村大河の音声とともに過ごしたことになる。 
  
 少し前、彼女には心境が変わるような事柄はなかったはずだと思った。
 それが間違いだったと知れる。
 彼女は音声を通して、中村大河とずっと一緒にいた。彼と一緒にプログラムを体験し、彼と一緒に様々に考え、影響を受け、変わっていったのだ。
 大河も変わった。
 プログラムの現実を数々に突きつけられ、変わった。
 特に、滝口朔が兵士だったと知ったときの衝撃は、相当の変化をもたらしたようだ。そして、別離。
 所詮他人に起きた悲劇だと何でもないことのように振舞いながらも、彼女なりに胸を痛めていたのか。
 一体化していた者に訪れた孤独。
 その孤独に彼女は胸を痛め、そして、恐怖していた。
 孤独に黒く染められることに、怯えていたのだ。だから、危険をおしてでも誰かと一緒にいたいと思ったのだろう。
 実際、大河は澱み、その後矢崎ひろ美を殺している。
 

 言い出すつもりがなかったように見えた内心を彼女が吐露してくれた理由も、今となってはわかる。
 はじめは沈黙で濁すつもりだったに違いない。
 しかし、視界に塩澤さくらを捉えてしまったのだ。
「ああ、そう……か」
 何かがすとんと胸の底に落ちた。
 紅実の、『私が覚悟して決めたことだ』『だから、これから先何があろうと気に病む必要はない』という台詞。
 彼女は、南美を救おうとしてしまう自分すらも予期していたのだ。その結果、命を失う可能性も捉えていたのだ。
 それでも、合流の道を選んだ。
 紅実は決意や覚悟をはるか以前に済ませていた。だから、遺言とも言える台詞をあの場で吐けたのだ。
 
 恥ずかしかった。
 彼女と同じステージになど上がれたと感じていた自分が、恥ずかしかった。

 気づけば、紅実の瞳が閉じられていた。
 全身の力が抜け、だらりと腕が地面に落ちている。 
 彼女の名を呼ぼうとし、自分の浅はかさを悔み謝ろうとし、やめた。
 この友人は、そんなことを望まない。
「ジコセキニン」
 彼女はその命題に沿って生き、死んだのだ。死を前に泣き叫ばれたり、謝られたりすることなど、求めてはいないだろう。 
 亡骸をゆっくりと地面に寝かせ、合掌する。

 そして、荷物をまとめると、ゆっくりと歩き始めた。
 銃声が、危険な誰かを呼び寄せる可能性があった。この場はすぐに離れたほうがいい。
 理知的な思考。
 この思考もまた、紅実の望みだろう。
 目の前がうるんだ。
 押しとどめようとするが、一滴。一滴の涙が頬を伝い、南美の口元から嗚咽が漏れた。



−塩澤さくら・西塔紅実死亡 08/28−


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凪下南美
開始早々に仲間ときのこの毒にあたるが、一人生き残る。その後朔たちからサバイバル術を学び、Bスポットから一人出て行った。崖から落ちかけている塩澤さくらを見捨てた。